二 溶解
だが、脳髄が再生したのは、彼女の笑顔ではなかった。
私の意思など無視して、鼻腔の奥が、あの甘ったるい腐臭を幻嗅したからだ。
意識が飛ぶ。
昨年の秋の半ば。
彼女が消えてから、一ヶ月が経ったあの日。
警察の捜索も空しく、彼女の行方は杳として知れぬままだった。
だが私は、何かに導かれ、駆り立てられたかのように、あの場所へと車を走らせていた。
彼女が「お気に入りの場所」だと言って愛していた、放棄された向日葵畑。
車を降りると、そこには終わってしまった季節の墓場が広がっていた。
盛りを過ぎ、収穫されることもなく放置された数千本の向日葵たち。
かつて太陽を追いかけていたその首は、一様に力なく地面へと垂れ下がり、枯れ果て、黒ずんでいた。
ふと、視線が止まる。
枯れた向日葵の波の中で、一箇所だけ、茎が不自然に薙ぎ倒され、暗い空洞ができていた。
まるで、何かがそこで息絶えたかのように。
私は、その密林を掻き分けて進んだ。
道などなかった。
だが、風に乗ってその空洞から漂ってくる、鼻を刺すような「異臭」が、確かな道しるべだった。
胸騒ぎなど、生温かいものではなかった。確信があった。
彼女はここにいる。
この、茶色く枯れた絶望の中心で、私を待っていると。
そして私は、畑の最奥で見つけてしまった。
その、焦げ茶色の群衆の中に、「それ」はあった。
最初は、枯れた向日葵が折り重なって、黒い山を作っているように見えた。
あるいは、泥に塗れた古着の塊か。
それは人の形などしていなかった。
夏の灼けるような暑さと、纏わりつくような湿り気が、一ヶ月という残酷な時間が、かつての形を溶かし、風景の一部へと還していた。
だが、私の視線は目を逸らすことができなかった。
その黒い泥のような塊の中から、鈍く光る銀色を見つけたから。
彼女がいつも身につけていた、あの銀の指輪。
それが、肉の削げ落ちた、白骨の指に嵌まっていた。
そして、どす黒く変色してはいるが、見覚えのあるワンピースの柄は、間違いなく最後に見た彼女が着ていたものだった。
呼吸が止まる。
顔は見えない。表情もない。
けれど、間違いない。
この腐った土塊は、君だ。
鼻をつく猛烈な腐臭。
黒い山に群がる、無数の蠅の羽音。
ジジジ、ジジジ。
私はその場に膝をつき、胃の中身をすべてぶち撒けた。
悲しみではない。
あまりにも変わり果てた姿への恐怖と、それでもなお「彼女だ」と分かってしまった自分への絶望だった。
誰の証明も要らなかった。
あの瞬間、あの向日葵畑で、私は理解してしまったのだから。
彼女は、私に見つけてもらうために、ここで腐ることを選んだのだと。
向日葵の根元で、向日葵の養分となり、向日葵そのものへと変貌することを望んだのだと。
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