第12話 魔法書
3年前のある夕暮れ後。
掠れるような声がして部屋を覗くと、ブリジット姉さんが、ベッドでうずくまって泣いていた。
「どうしたの? ブリジット姉様」
「シャルル。いつもごめんね。貴女は、わたしみたいになっちゃダメだよ。貴女は、わたしたちとは違うのだから」
その後は、ブリジット姉さんがお菓子を出してくれて、2人で紅茶を飲んだ。
その日の夜、ブリジット姉さんは、初めてお客様の相手をした。
わたしの、数少ないこの家での思い出。
——あれから姉さんは笑わなくなった。
♦︎
今日はセシル様と会う日。
わたしは先に森のお屋敷について、セシル様が来るのを待っている。
膝の上には、先日の魔法書。
さっき、カノンから受け取ったのだけれど、カノンは少しだけ不機嫌だった。
あの後、舞踏会から戻ってきたお義母様は、上機嫌だった。セシル王子が気遣いをしてくれたらしい。
「ブリジットあたりなら、あの王子とお似合いなんじゃない?」
お義母様は、そう言いながら屋敷の中を右往左往した。
あんなに無能だと馬鹿にしていたくせに、王家の血が欲しいのだろう。わたしのお相手だとも知らずに、愚かな人だ。
でも、もしセシル様の事がバレたら、全力で妨害しにくるだろう、なんとなくそう思った。
わたしは魔法書に視線を落とした。
金縁でずっしりしている。本の横には、金属がせり出して本が開かないようになっている。魔力をこめるとこれが開くというのだから、どういう仕組みになっているのだろう。
「お待たせ。待たせちゃった?」
セシル様が来た。ニコニコしている。
「いえ、わたしも来たばかりです」
「そっか。今日はね……」
最近のセシル様は、お城であったことを教えてくれる。事情を伏せて、わたしが知らずに危ない目に遭うことを心配しているらしい。
全部を隠して「君に心配をかけたくない」と言えば簡単なのに。不器用なセシル様らしい。
「んでね……メイド長が」
すると、セシル様がわたしの後ろに回り込んで、抱きしめてきた。
「なっ!? セシル様?」
「これ、メイド長おすすめの女の子をドキドキさせるテクで、バックハグっていうんだって」
すっごいドキドキする。
心臓が口から飛び出そう。
セシル様がわたしのうなじに口を近づけて言った。
「ドキドキした?」
「しませんし!」
すると、セシル様は小さくため息をついた。
これだけのことで、わたしの胸は痛くなる。
わたしは手を伸ばした。
「え? 手首を持てばいいの?」
セシル様は首を傾げて、わたしの手首に触れた。
「心拍が野うさぎみたいに速いよ?」
「セシル様といると、いつもこうなんです。わたしがうさぎみたいに早く死んじゃったら、セシル様のせいですから」
「それは困る」
「キャッ。ち、ちょっと。まだ今日の訓練が」
セシル様はわたしを押し倒した。
「こうやって仲良くするのも練習になるって、シャルルが言ったんじゃないか」
「そうですけれど」
♦︎
お互いに服を着て、ソファーに座った。
真ん中には黒の魔法書。
セシル様は目を閉じて、本の水晶に触れた。一瞬、水晶が淡く光ったが、何も起きなかった。
『クロエ母様も、上質の魔力が必要』と言っていたし、魔力不足かも知れない。
すると、セシル様が唇をすぼめていることに気づいた。
「セシル様。どうかしたのですか?」
「シャルルがキスをしてくれないから、力が出ない」
この人は本当に、困ったものだ。
わたしはセシル様の手を握った。
「今日のところは、これで我慢してください」
すると、辺りの空気が変わった。
どんどん気温が下がっていく。
魔力が渦を巻いて、魔法書が開いた。
思ったより、あっけなくて。
わたしは唖然としてしまった。
セシル様の方を見ると、舌を出していた。
(この人、さっきは絶対に手を抜いていた)
この本は、異国の言葉で書かれている。
その中のいくつかの呪文について、セシル様に試してもらうことにした。
魔法には相性がある。
わたしの魔力は白い波動だが、ターンアンデッドなどの神聖魔法は使えない。正確には『まだ』使えない。逆に、最初からターンアンデッドが使えたのに、回復や解毒ができない人もいる。
つまり、同じ色の系統であっても得手不得手があるのだ。
わたしには難しい理屈は分からないので、一つずつ試していくのが、手っ取り早い。
まずは、火や氷、雷や土といった基本属性の攻撃魔法を試してみることにした。
「そうです。精神を安定させて、わたしに続いて詠唱してください」
「分かった。王家の血が目覚めて、あたり一帯を破壊してしまうかも知れないな」
セシル様はドヤ顔をした。
考えにくいが、絶対にあり得ない話ではない。
セシル様が両手を前に出した。
しばらく唸ると、辺りの温度が急速に低下した。
イヤな予感がする。
「セシル様、やめておきましょう」
わたしの言葉とほぼ同時に、広げた手の前に、ポンッと小さな氷の塊が出た。
可愛い氷。飲み物を冷やすくらいしか使い道がなさそうだ。
凹んでるかな?
わたしがセシル様の顔を見ると、笑顔だった。
「これで、暑い日に、シャルルに冷たい飲み物を飲ませてあげられるね」
その顔をみていると、またドキドキが止まらなくなる。
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