第9話 闇夜の潜入
ピピピピッ。
ナイチンゲールが美しい声で囀り始める頃。
馬車が屋敷の前につけられた。
いななきと蹄鉄が石畳を叩く音が響いている。
お義母様は、足早に階段を降りてきた。
不機嫌そうだ。
「シャルル。ああ、本当に鈍臭い子。わたくしのハンカチーフのシワ伸ばしは終わってるの?」
わたしは、まだ熱の残るハンカチを出した。
「すみません。今日は寒いので暖炉になかなか火がつかなくて」
うちにあるのは、暖炉で温めて使う鉄製のアイロンだけだ。
「チッ、粗熱が飛んでないとシワが戻りやすいのよ。本当に使用人以下の役立たずね。今日は王家の舞踏会なのよ!? 恥をかいたらアンタのせい」
お義母様は声を荒げると、わたしからハンカチを奪うようにしてバッグに入れた。
お義母様のドレス。
あの若草色のシルクのドレスは、わたしの実母、クロエ母さんのものだ。
お義母様と目が合う。
「物欲しそうな目で見るなっ」
お義母様は、そう言って出て行った。
後ろ姿を見送っただけなのに、わたしの足は震えていた。
「にゃーん」
猫のペルシャが、体をすり寄せてきた。
うちでは猫を飼っている。
青い目の大きな猫。
「寒いのかな?」
わたしはペルシャを抱き上げた。
この家で、この子だけが温かい。
♦︎
ギギギ。
蹄鉄の音が聞こえなくなるのを待って、わたしは裏口の扉を開けた。
ひゅおと粉雪混じりの風が入ってくる。
暗がりの中、黒マントの少女が立っていた。
「シャルル様。準備はいいですか?」
少女は、短剣を確認すると鞘に収めた。
亜麻色の髪に小麦色の肌。
健康的な太もも。
彼女はカノン•アルフォード。
アルさんと一緒にいたメイドだ。
「前も思いましたけれど、カノンさんの短剣、よくお手入れされてますね」
「そうですか? わたしのことは呼び捨てでいいです。まぁ、前は組織で働いていましたので」
カノンは、元アサシンらしい。
そんな物騒な経歴の人が何故、王子様に支えているのだろう。
「舞踏会の件、ありがとうございます」
わたしは頭を下げた。
「いえ。あのポンコツ王子にも少しは役に立ってもらいませんと」
今夜は、セシル王子の妹君の社交界デビューの舞踏会がある。通常、男爵家が王家からお呼ばれすることはないのだが、セシル様の口利きで、招待してもらった。
お義母様は喜び勇んで出て行った。
わたしは静かにドアを閉めた。
すると、カノンに質問された。
「シャルル様は、いつもシワ伸ばしをしているのですか?」
「うちは貧乏貴族ですし、今日はメイドがいませんので」
「そうですか。ご苦労なさってますね。では、手早く済ませましょう。ご夫人の寝室は2階ですか?」
「はい」
「家の中に他に人は?」
「今は長女のカトリーヌお姉様だけです。兄はお義母様に同行しました」
下の姉は今日はお得意様からの予約で出かけている。
上の姉のカトリーヌは、わたしを嫌っている。本当はカトリーヌ姉さんもいない日を狙ったのだが、お客様の都合で予約がキャンセルになった。
そのため、今日のカトリーヌ姉さんは機嫌が悪い。今は浴室にいるが、いつ戻ってきてもおかしくない。
「よりによって、居るのは不仲な方のお姉さんですか」
カノンはつま先を器用に使って、滑るように階段を上っていく。わたしも、スカートの裾を上げてついていく。
「部屋に鍵は?」
「掛かっていると思います」
ドアの前でカノンは片膝をついた。
カノンは太もものポーチから、針金のような棒を2本出すと、鍵穴に目を近づけた。
吐く息が白くなって、ドアノブに当たった。
何か呟くと、カノンは鍵穴に棒を差し込んだ。
寒さで指先が白くなっている。
カチャカチャ。
カノンが棒を上下に動かす。
「シャルル様。周囲を警戒していてください。寒さで手の感覚が鈍くて……少し時間がかかりそうです」
わたしは階段の下を覗いた。
人の気配はない。
「はい。あの、もしお姉様が戻ってきたら、どうしたら?」
「シャルル様。お姉さんとの最後の会話は?」
質問の意味が分からない。
「えっ……『売国奴の娘、汚い顔を見せるな』ですが」
思い出しただけで、膝から力が抜けそうになる。
カノンの眼光が鋭くなった。
「その人、殺していいですか?」
「ダメですっ。大騒ぎになっちゃいます。それに殺すのはさすがに可哀想です」
「じゃあ、顔面に2、3発回し蹴りを入れるくらいにしておきましょう」
「それ、たぶん死んじゃいます」
「そうですか。残念」
カノンは言葉をとめて、棒を凝視した。
指先が微かに震えている。
(きっと寒いんだ)
わたしは、両手でカノンの手を包むようにした。
「温かい……。ありがとうございます。王子があなたを選ぶのは、こういうところなんだろうな。わたしのことは見てもくれないのに」
「えっ?」
わたしが聞き返すと同時に、階段の下から声がした。
「シャルル。いるの?」
ギシッ。
階段を踏む音。
まずい。
カトリーヌ姉さんだ。
——ガチャン。
「開いた」
カノンがドアノブに手をかけた。
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