第4話 血まみれの王子。
セシル様は血まみれだった。
肩の傷は深くて、白い骨が見えている。
わたしはスカートの裾を引きちぎって、彼の肩を覆うように巻いた。でも、血が止まらない。
「どうしよう」
もっと締め付けたいのに、指先が震えてしまって力が入らない。呼吸が浅くなって苦しい。
わたしは、他人のことで自分がこれほど動揺するとは思わなかった。
「セシル様。死んじゃイヤだ」
彼は答えてくれない。
どんどん冷たくなっていく。
——魔法。
その言葉が脳裏をよぎる。
母はわたしに魔法を教えてくれたが、『絶対に他の人に知られないように』と何度も念を押した。
この国では魔法は忌み嫌われる。
彼を救えば、きっと彼に嫌われてしまう。彼は身分が高いから、わたしは捨てられるかもしれない。
でも、それでも。
彼との時間を失いたくない。
母が教えてくれた魔法。
その中には『回復』がある。
ごくり。
唾を飲み込んだ。
わたしは彼の肩に触れた。
彼の生命力の波動に合わせて、わたしの魔力をゆっくりと練っていく。
「円環の理にて、かの者の傷を癒したまえ」
詠唱した。
母に教えられた通りに、正確に。
指先が触れた部分に、四葉のクローバーのような光の輪が現れた。光が彼の傷に吸い込まれ、傷が治っていく。
光の輪が彼の瞳に映り込んで揺れる。
彼の口が微かに動いた。
「はぁはぁ」
苦しそうな息遣い。
わたしは、身構えて目を瞑った。
「綺麗な光」
彼はそう言って微笑んだ。
怪我が落ち着くと、彼は語り出した。
彼が自分のことを教えてくれるのは、初めてだ。
「信じられないかもしれないけれど、僕はこの国の王族なんだ」
彼の顔は真剣だった。
突拍子もないことだけれど、嘘のはずがない。
「はい」
つつーっと、背中に汗が伝って冷たい。
「疑わないんだね。でね、無能って言われている三男。ごめんね。ガッカリさせたかな?」
彼は力なく笑った。
他人の噂と、自分の目で見たもの。
どちらを信じるべきかは、明白だ。
わたしは首を横に振った。
「そんなことない。セシル様だけだよ? わたしに優しくしてくれるのは」
「君だって……。いや、話を続けよう。今日、城でちょっとした式典があったのだけれど」
彼は少しだけ間をおいて、わたしと目が合うとまた話を続けた。
「兄さんが余興をやりたいって言い出してね。弓での的当てだったんだけれど、力加減を間違えて兄さんに勝ってしまったんだ。そうしたら、この有様」
「えっ。ゲームで勝っただけで?」
王族のことは分からない。でも、相手が平民ならともかく、セシル様も王子なのだ。お遊びで、ここまでされるものなのだろうか。
「あぁ。くだらないだろ? 目をつけられないようにしていたんだけど」
「わたしは弓を射ったことはないけれど、間違って勝ってしまうものなんですか?」
「そうそう。運良く、いや、この場合は運悪くか」
彼は苦笑した。
わたしは心のどこかで、彼はおとぎの国の住人で、絵本を閉じても、いつもどこかで笑っていると思っていた。
でも、その心は傷だらけで。
セシル様は絵本の中なんかじゃなくて。
——わたしと同じ現実で生きている。
「あの、わたしにできることはありませんか?」
彼は指先でわたしの頬を拭った。
「キスはしてくれないのに、泣いてくれるんだね」
「セシル様の意地悪。これからは、セシル大王子様って呼んじゃいますよ?」
「それだけは勘弁して。僕なんかのために泣いてくれる君に嘘はよくないね」
「どういう意味ですか?」
「実は、兄さんに君を侮られて『ムカついた』んだよ。それで、兄さんに弓を向けてしまった」
彼の話が腹に落ちた。
「なんて言われたんですか?」
わたしは自分で聞いたのに、答えを想像して胸が痛くなった。
「……売春婦にうつつをぬかしてるって」
頭の中がクラクラする。
彼の顔を見ていられなくて、わたしは床を見た。
やっぱり、わたしのせいだった。
わたしは娼婦なんだよ?
お兄様の言う通りの女。
そんなわたしのために、こんな姿にさせてしまった。
「ごめんなさい」
セシル様が、起きあがろうとする。
わたしが止めても、手を払って起き上がった。そして、わたしの涙にキスをした。
「だから言いたくなかったんだよ」
彼の言葉はいつも優しい。
わたしの涙なんか、汚いのに。
「ごめんなさい。あの、わたしに何か出来ることはないですか?」
「これからも、こうして話を聞いてくれないかな?」
「それだけ?」
彼は頷いた。
要は……何もないってことか。
そうだよね。貧乏貴族の三女で、しかも娼婦。
「はい。でも、わたしは魔法を……。セシル様は王族だから、魔法は嫌いですよね?」
彼はゆっくりとした動きで、わたしの髪に触れた。
「シャルルも大変だよね。魔法にその髪色。亡国……魔法王國アリストンの出身?」
「あ、いえ。わたしの生まれはこの国です。でも、わたしの母も同じ髪の色でした」
母は異国から来たらしいが、詳しいことは教えてくれなかった。
「そうか」
彼は月を見上げた。
「僕はそろそろ戻るよ。じゃあ、また来週」
あっけない。
彼は手を上げながら、帰って行った。
ヨタヨタしていて、足を引きずっている。
本当は追いかけて彼の肩を支えたかった。
でも、わたしみたいな身分の女が、一緒にいていい相手ではない。
わたしは、手を胸に当てて見送ることしか出来なかった。
翌週。
迎えの馬車は来なかった。
わたしは彼が心配で、屋敷まで行ってみた。
でも、扉には鍵がかかっていた。
あぁ、やはり。
わたしは、捨てられたんだ。
風が冷たい。
わたしは薄いドレスの襟元をつかんで、いま来た道を歩き出した。
すると、背後から足音がした。
(きっとセシル様だ!)
振り返ると、彼ではなかった。
身なりの良い初老の男性。
「わたしはセブンスフォール家の執事。アルと申します。シャルル様。一緒にきて頂けませんか?」
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