第6話「Sound Universeという名前」

その違和感は、

ある朝、突然はっきりした。


慶太は、自室でノートを開いていた。

DJの夜に書き留めた、音の流れ。

人の動き。

空気の変化。


それは楽譜ではなかった。

コード進行でも、構成案でもない。


状態の遷移。


今がAなら、

次はBに行くべきだ、という

ごく自然な“移動”。


それを見た瞬間、

慶太は思ってしまった。


——これ、音楽だけじゃない。



詩音は、キッチンで朝の支度をしていた。


鼻歌を歌っている。

また、知らない旋律だった。


「その歌」


慶太が言うと、

詩音は振り返った。


「うん?」


「どこで覚えた?」


詩音は首をかしげる。


「覚えてない。

 でも、前から知ってた気がする」


その答えを聞いたとき、

慶太の中で、

いくつもの断片がつながった。


完成形が先に聞こえる感覚。

欠けたピースが分かる耳。

流れを操作するDJの感覚。


そして、

存在しないはずの歌を知っている妹。



夜、

慶太は父の本棚を引っ張り出した。


オカルト誌。

並行世界。

集合無意識。

多世界解釈。


どれも、

今までは“比喩”として読んでいた。


けれど、

今は違う。


これらは、

説明しきれなかった現象の側から書かれた言葉だった。


慶太は、ノートに円を描いた。


ひとつは、

自分たちが生きている現実。


もうひとつは、

音楽が“完成形として先に存在する場所”。


二つの円は、

完全には重ならない。


でも、

接点がある。


その交点に、

自分と詩音が立っている。



「名前が必要だ」


慶太は、

独り言のように呟いた。


名前がなければ、

世界は認識できない。


構造はあっても、

輪郭が持てない。


音楽が、

ただの現象のままで終わってしまう。


彼は、

円の上に言葉を書いた。


Sound Universe


音が、

実在する世界。


曲が、

誰かの想像ではなく、

“向こう側”で鳴っている場所。



その瞬間、

詩音が部屋の前で立ち止まった。


「……今、なにした?」


「名前をつけた」


慶太は答えた。


「世界に」


詩音は少し黙って、

それから小さく息を吸った。


「……そっか。

 じゃあ、あの歌も、

 そこにあるんだね」


慶太は、はっきりと頷いた。


「たぶん。

 前から、ずっと」



その夜、

詩音は夢の話をした。


ステージでも、

部屋でもない場所。


光だけでできた空間で、

知らない人たちが、

知らない音楽を演奏していたという。


「でも、不思議と怖くなかった」


詩音は言った。


「おにいちゃんが、

 どこかにいる気がしたから」


慶太は、

その言葉を胸の奥で反芻した。


自分は、

そこに“行く”人間じゃない。


でも、

つなぐことはできる。



Sound Universeは、

まだ安定していない。


名前を与えただけで、

中身は流動的だ。


けれど、

世界は名前を持った瞬間から、

勝手に振る舞い始める。


それは、

音楽と同じだった。


慶太は、

静かに理解していた。


——これは、

自分一人の話じゃない。


やがて、

向こう側の世界から、

“誰か”が応答してくる。


音楽として。

人として。


Sound Universeは、

その日、

初めて「世界」として認識された。


まだ、

誰にも知られないまま。

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