第3話「完成形は、最初からそこにあった」

詩音が、最初に「曲」を持ってきたのは、

まだそれを曲と呼ぶには、あまりにも未完成なときだった。


リビングのテーブルに、小さなICレコーダーが置かれる。

再生ボタンを押すと、

鼻歌のような旋律と、途切れ途切れの言葉が流れ出した。


拍子は曖昧で、

コードも途中で迷子になっている。


けれど、そこには確かに、

「行きたい場所」だけがあった。


慶太は、最初の数秒でそれを理解した。


音程がずれているとか、

リズムが甘いとか、

そういう問題ではなかった。


欠けているのは、

ピースだった。


完成形に至るための、

いくつかの必要な断片。


彼の中で、音が動き始める。


このメロディの後には、

こういう和音が来る。

ここでベースが一段落ちて、

間を作らないと、言葉が死ぬ。


慶太は何も言わず、

ギターを手に取った。


試す、というより、

埋めるという感覚だった。


欠けている部分に、

音をはめ込んでいく。


パズルのピースが、

正しい場所に戻っていくように。


数分後、

同じ旋律は、まったく違う姿になっていた。


「……それ」


詩音が、息を詰めたまま言った。


「それが、わたしのうた?」


「たぶん」


慶太は答える。


「完成した形の、一つ」


詩音はしばらく黙っていた。

それから、小さく笑った。


「……なんか、さみしくない」


その言葉に、慶太は少しだけ驚いた。


自分がやったのは、

整えることだと思っていた。


でも彼女は、

「埋めてもらった」 と感じたのだ。



その頃から、

慶太は頼まれることが増えた。


学校のバンド。

知り合いの知り合い。

「ちょっとだけ、入ってほしい」という声。


彼は、自分からバンドをやろうとはしなかった。

主導することに、興味がなかった。


呼ばれたら行く。

必要なら弾く。

それだけでよかった。


クラブでDJを頼まれたこともあった。

レコードやデータの山を前にしても、

特別な高揚はなかった。


流れが見える。

空気が変わるポイントが分かる。


それを繋げばいい。


音楽は、

やはり構造だった。



ただ、

いくつかの現場を経験するうちに、

慶太の中に、説明のつかない感覚が残り始めていた。


音は鳴っている。

技術も、熱量も、足りていないわけじゃない。


それなのに、

何かがそろわない。


理由は、まだ分からなかった。



ある夜、

詩音がソファで、また歌を口ずさんでいた。


まだ、名前のない歌。


慶太は、

今度はギターを取らなかった。


彼女の声の中で、

音が、自然に組み上がっていく。


それを、

外側から見ている自分がいる。


この瞬間、

彼ははっきりと感じていた。


——自分は、

前に出る側の人間じゃない。


けれど、

誰かの歌が、正しい形になる瞬間を知っている。


それが、

自分の居場所なのかもしれない。


まだこの時点では、

理由も、名前も、なかった。


Sound Universeという言葉も、

まだ、どこにも存在しない。


けれど、

世界をまたぐ音の設計図は、

すでに、彼の中で静かに輪郭を持ち始めていた。


そしてその輪郭は、

次の場所で、

はっきりとした違和感として現れることになる。


——合わせるはずの場所で、

音がばらばらになる、その瞬間に。

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