第2話
――いつのまにか、気を失っていたらしい。
神殿の冷たい大気は、いつの間にか春の陽だまりのような温かさに変わっていた。
祭壇の横に横たわる私を、ステラの黄金の瞳が静かに見下ろしている。
「マスターの
「修復……? でも、私、もう……」
言いかけた言葉は、ステラの銀色の指先が私の額に触れた瞬間、霧散した。
指先から流れ込んできたのは、ひんやりとした、けれど心地よい水のような感触。それが血管を伝わり、全身に染み渡っていく。
「低俗な化学物質がマスターの神経系統を著しく阻害しています……クリーンアップを開始」
その瞬間、身体の奥底でドロリとした何かが溶け出す感覚があった。
五年間、私の視界を曇らせ、思考を鈍らせていた「重り」が、ひとつずつ剥がれ落ちていく。咳き込んだ手のひらに残っていた鉄の味も、心臓を締め付けていたあの不快な動悸も、ステラから流れる銀色の粒子がすべて飲み込んでいく。
「な……に、これ……身体が、軽い……」
「当然です。星辰の民の系譜たるマスターの身体を、このような『ゴミ』で汚すことは看過できません」
ステラの声は冷徹だが、その瞳にはマスターを守るという絶対的なプログラム以上の、どこか献身的な色が見えた。
「汚染物質の排出が完了。続いて、エネルギーの補填を……マスター、これをお召し上がりください」
ステラが虚空から取り出したのは、乳白色の美しい液体の入ったクリスタルの器だった。
一口含めば、それは喉を滑り落ち、瞬時に全身の細胞が歓喜の声を上げるような活力を与えてくれた。王宮の最高級の食事さえ、これに比べれば「ただの泥」に思えるほどだ。
「これは……?」
「恒星間航行用の
ステラが指を鳴らすと、空中に銀色の液状金属が広がり、鏡となった。
そこに映っていたのは、泥にまみれ、死人のようだった私ではない。
透き通るような白磁の肌。艶を取り戻し、月光を反射する銀糸のような髪。そして、毒の濁りが消え、星の輝きを宿した両眼。
かつて「アルストロメリアの宝石」と謳われた頃の私が、より神々しく磨き上げられてそこにいた。
「これが、私……?」
「はい。そして、この場所も……不毛の地での野宿など、星辰の主には相応しくありません。マスター、三秒だけ目を閉じていてください」
私は言われるままに、瞼を閉じた。
次の瞬間、轟音すら立てず、周囲の空間が「組み変わる」音がした。
「開けてください。暫定的な第一居住区の復元が完了しました」
目を開けた私は、絶句した。
そこはもう、朽ちた地下神殿ではなかった。
壁面はすべて滑らかな白銀の金属に覆われ、天井には柔らかな光を放つ液体のようなものが走っている。私が横たわっていた祭壇は、いつの間にか極上の布地に包まれた寝椅子に変わっていた。
「外の世界は……」
「移民船アストライオスの外殻展開を一部開始しました。不毛の荒野は現在、不可視の防護壁を展開、完全なる聖域へと再定義されています……許可なき『ゴミ』の侵入は、一切許しません」
ステラが淡々と告げる。
その頃、地上では――。
フェリシアを追放した騎士たちが、彼女の「遺体」を確認するために荒野へ戻ってきていた。
――地上、月明かりに照らされた砂漠。
二状の青い炎――スラスターの光が、低空を滑るように進んでいた。
帝国製の偵察用ハイブリッドゴーレム『
それはアルストロメリア家が受け継いできた技術を地球の機械技術で模倣したキメラ機だ。関節やコアに極小量のリキッドマナメタルを使用することで、適性さえあれば誰でも操縦できる汎用性を得ている。だが、それはあくまで「安価な配備型」に過ぎない。
「……ったく、こんな砂っ原にわざわざ馬車で送り届けた姫さんの死体探しとは、退屈極まりねえな」
隊長機から、バロウの声がスピーカー越しに響く。
「ま、確認すりゃ任務完了だ。楽な仕事だよ、カイル! 帰ったら酒を奢ってやる。そういやお前、まだ彼女いねえんだろ? 良いのを紹介してやるよ、ハハッ!」
「か、勘弁してくださいよ隊長……。それより、この辺りです。フェリシア嬢を放り出したのは……」
カイルの声には、微かな怯えが混じっていた。
その時、サーチライトが砂丘の頂を捉える。
「あ……?」
バロウが息を呑んだ。
そこには、闇の中で黄金色に光る二つの「眼光」があった。
暗い砂の上に、不動のままこちらを射抜く、無機質な輝き。
「な、なんだ!? 人影……か?」
バロウが機体を急停止させる。しかし、次の瞬間、その眼光はふっと掻き消えた。
センサーにも、熱源反応ひとつ現れない。
「……見間違いか? 砂嵐の静電気か何か……」
「隊長、やめてくださいよ! 怖いこと言わないでください……さ、酒の飲みすぎで見えただけでしょう? 早く済ませて帰りましょうよ!」
「……そうだな。クソ、気味が悪ぃ」
バロウが再び機体を動かそうとした、その時だった。
カイルの機体の足元から、砂が「銀色の水」となってせり上がった。
「――!? 隊長、足が……足が動かな……ぎゃああああ!?」
カイルの絶叫が通信機を割る。
銀色の液体金属――ステラの一部が、猛烈な勢いでゴーレムの関節部へ侵入していた。
ギチギチと嫌な音が鳴り響く。
ステラにとって、この機体は「敵」ですらない。ただの「資源」だった。
「【不純物の分解を開始……希少資源を回収します】
ステラの無機質な声が、カイルのコクピット内に直接響く。
ハイブリッドゴーレムの関節が逆方向に折れ曲がり、装甲が飴細工のように剥がれ、内部のリキッドマナメタルが吸い出されていく。
わずか数秒。カイルの機体は、駆動系を失ったただの「鉄の箱」となって砂に沈んだ。
「カイル! カイル、返事しろ! 何が起きてんだ!?」
バロウは錯乱した。
暗闇から、再びあの黄金の眼光が近づいてくる。
一歩、また一歩。砂を踏む音すらしない。
「幽霊か!? 化け物めェッくるなあああああッ!!」
バロウは狂ったように操縦桿を叩き、固定兵装の対ゴーレム用マシンガンを連射した。
ダダダダダッ! とマズルフラッシュが夜の砂漠を赤く染める。
だが、弾丸はすべて人影の数センチ手前で、見えない壁に弾かれる。
銃声が響くたびに、フラッシュの光の中に浮かび上がる「黄金の瞳」。
それが、確実に近づいてくる。
「ヒッ、ヒィィァッ……!!」
バロウが恐怖で顔を引き攣らせ、弾切れの引き金を引き続けたその時。
コクピットの計器類が、一斉に銀色の液体へと変貌した。
「な、なんだ……ッけ、計器が溶け……アァッ?!」
ガコン、とハッチがロックされる音がした。
逃げ場のない閉鎖空間。
その操縦席のすぐ横――本来、人が立てるはずのない狭い隙間に。
銀色の雫が集まり、人の形を成していく。
バロウの目の前に、黄金の瞳を持つ美貌のメイドが、上半身だけを生成して顔を覗き込んでいた。
「……こんばんは。お掃除の時間です」
ステラの冷たい声が、絶望のどん底にあるバロウの耳元で囁かれた。
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