第1話

 石畳の冷たさが、ぼろぼろになった靴の底を通して伝わってくる。


 かつてアルストロメリア公爵家の令嬢として、花の香りと共に歩んだ王宮の回廊。今の私に纏い付いているのは、罪人のボロ着と、肌を削るような重い鉄の手枷だけだ。


 ​「……申し訳ございません。フェリシア様……。私に、力があれば」

 ​私の腕を引く兵士が、誰にも聞こえないような小声で、絞り出すように呟いた。

見上げれば、見覚えのある顔。五年前に家が焼かれた時、私の遊び相手をしてくれた衛兵だった。


 ​「貴方は、悪くありませんわ。……今日まで、私のような者に優しくしてくれて、ありがとう。感謝しているわ」

「そんな、私のことなど……! フェリシア様こそ、どうか……どうか生き延びてください。生きてさえいれば、きっと、いつか良いことも……」

 ​彼の言葉が、震えていた。


 私は、渇いた唇を少しだけ綻ばせる。けれど、血の気の失せた頬を上げる力さえ、今の私には贅沢すぎた。

 ​「良いこと……。ふふ、どうでしょうね。私の方は、もう、先は長くないようですし……。今日、すべてが終わるかもしれませんわ」

 ​ゴホッ、と小さく咳き込む。喉の奥に鉄の味が広がった。


 ​「何を話している!行け」

 ​背後から別の兵士に突き飛ばされるようにして、私は陽光の降り注ぐ広場へと引きずり出された。


 ​そこには、色とりどりのドレスを纏った貴族たちが、まるで演劇でも観るかのような高揚した顔で並んでいた。その中央。ひときわ高い壇上に、白銀の装飾を施した騎士礼装に身を包んだ第二王子クレイトンが、傲然と立っている。


 ​その隣には、純白のドレスに身を包んだカミラ。

彼女は、今にも泣き出しそうな瞳で私を見つめ、祈るように胸元で手を組んでいる。その完璧な「聖女」の姿に、周囲の貴族たちは感銘を受けたように溜息を漏らした。


 ​「――フェリシア・アルストロメリア!」

 ​クレイトンの声が、広場に響き渡る。

 ​「貴様は五年もの間、王国の多大な支援を受けながら、その不吉な魔力を持って数多のゴーレムを破壊し、国益を損ない続けた! さらに、嫉妬に狂い、慈悲深きカミラ嬢を呪いによって傷つけようとした罪、もはや弁解の余地はない!」

 ​カミラが震える手首の包帯を、そっと隠すような仕草をした。それが逆に、観衆の憎悪を煽る。


 クレイトンの糾弾は、貴族たちの喝采と共に王宮中に響き渡る。

「……貴様の一族は、古代の強大な力を独占し、国を圧倒的な軍事力という名の恐怖で統治した!その力の象徴こそがゴーレム群だ! だが、その血を受け継ぐ貴様の力は、我々が押収した『最強軍団たるガーディアンゴーレム』どころか、訓練すれば誰でも操縦できる配備型ゴーレムさえも起動させられなかった無能な役立たずだ!その不安定な力は、我が国を利することなく、ただ破壊するのみ。アルストロメリア家の血筋はお前一人しか生き残りがいないが、もはや軍事力の象徴たるゴーレムを操れる妻という価値も、貴様にはない!」


 フェリシアの心臓が鉛のように重くなる。


「あぁ、そうそうそれと!残念だったなァ!貴様の唯一の味方になれたかもしれない兄上は、今、地下深くの牢屋で冷たくなっている!貴様にも見せてやりたいなァ!!」

 真実と残酷な嘲笑が、フェリシアの心を粉々に打ち砕いた。両親を失い、復讐の念だけを抱いていた彼女にとって、国を思っていた唯一の希望であった第一王子の幽閉は、最後の絶望だった。


「貴様など力を扱えない出来損ない。もはやゴーレムのそばにおいてもただの玩具にしかなり下がらない!今日限り、貴様との婚約を破棄し、呪われた貴様の一族の亡霊が埋まっている、辺境の地へ追放する!恩情だ、ありがたく思え、その地で貧しく暮らすといい。草花一つ生えていないがなァッハッハッハァ!」


 フェリシアの全身の血管が沸騰するような感覚に襲われた。激しい憎悪が、体内でマナの波動を乱雑に増幅させる。頭蓋骨の内側から何かが圧迫されるような強烈な痛みに襲われ、吐き気を催した。


(この憎しみも、悲しみも...全て、消してしまいたい...!目の前のクズ王子も、この馬鹿げた世界も、このわたくし自身も!)

 途端、周囲に、しなるようにバチバチッ!と電気が走り、暴走を起こし始めた。

クレイトンが慌てふためき、後ずさりしながら叫ぶ。


「うぎゃっ!!な、ななな何をしているんだお前ら!!こいつを早く押さえつけろォ!!」

 護衛の騎士達が素早い動きでフェリシアを槍で強く押さえつけた。フェリシアはそれでも膝をつかなかったが、額には大量の滝汗、その顔色は真っ青だった。もう暴れる気力も、生きる希望も残されてはいなかった。


 ――護衛の騎士に首輪をつけられ、彼女は屈辱の中で、王宮の門をくぐり、辺境行きの馬車へと引きずり込まれた。

馬車での移動は、数週間に及んだ。舗装されていない荒れた道は、馬車を絶えず揺さぶり、フェリシアの肉体と精神を蝕んでいった。


 彼女が追放された辺境の地、かつての故郷は、見るも無惨な、想像を絶する場所に変わり果てていた。泥と岩盤が広がり、風は絶えず吹き荒れ、生命の気配はほとんど感じられない。クレイトン王子の言葉通り、草花一つ生えていない、まさに死の土地と化していた。


 騎士が去った後、フェリシアは荒涼とした大地に一人取り残された。夕闇が迫り、気温は急速に下がっていく。彼女の体は既に限界を迎えていた。


(あの城が崩れた日、私だけが生き残ってしまった。元々彼らは私を力の象徴として利用しようとしていだけだった。でも、私は...ただの破壊の呪いを持つだけの、役立たずだった...私が、この力さえ上手く使いこなせていたら……)

 身体的な疲労と、精神的な絶望が混ざり合い、頭痛は再び激しさを増した。脳髄が熱湯に浸されているような、耐え難い痛み。彼女の全身を流れるマナが、出口を求めて暴れまわっていた。


 激しい憎悪は、フェリシアの内に流れるマナの波動を、制御不能な極限へと引き上げた。頭蓋骨が割れるような激痛と、全身の血管が焼き切れるような熱。


「ッ...グウウウウ...!誰か...!私を、もう終わらせて…!」

 フェリシアは、終わりを求めるように空に手を伸ばした。彼女の体から、周囲の元素構造を無視した膨大なエネルギーが、稲妻となって迸った。


 青白い稲妻が、フェリシアの周囲の地面や岩盤を直撃するたびに、地表は一瞬で蒸発し、小さな爆発音を上げた。

稲妻は、近くにあった、かろうじて立っていた一本の枯れた木に直撃した。


 ドオンッ!

木は瞬時に燃え上がり、火災が発生した。稲妻は断続的に木に打ち込まれ、木は炎を上げながら、フェリシアの方へと音を立てて倒れかかってきた。


「...あ...」

 逃れる術はない。身体は痛みで麻痺し、身動きが取れない。

(...ここで、終わりなのね...。呪われた私に相応しい、炎の最期...)

 絶望が彼女の心を支配した、その刹那。


 ガアアアアアアン!!

フェリシアの深層意識に宿るマナの力が、自らの意思に反して、防御反応を示した。凄まじい稲妻の奔流が、倒れかかってきた木に再度叩きつけられ、今度はただ燃やすのではなく、木を瞬時に水蒸気と灰へと分解し、粉微塵に吹き飛ばした。

枯れた木は、フェリシアに触れることなく、ただの灰色の塵となって消え去った。


 破壊的な力は、一瞬で危機を回避した。しかし、その膨大な魔力の奔流は、地面の一点へと収束していった。岩盤とがれきに埋もれた、人の頭一つ分ほどの小さな入口。光の奔流は、その小さな穴へと消えていった。


 ピタリ...

破壊的なオーバーロードが停止した。辺りは一瞬にして静寂に包まれた。

フェリシアは、汗まみれの額を抑えた。


(不思議...頭痛が、少し引いた...?)

 彼女の精神を蝕んでいたマナの奔流が、あの穴に吸い込まれたことで、一時的に軽減されたのだ。

初めての現象に、本能的な「救い」を求めて、その瓦礫の道を掻き分けて身体を滑り込ませた。


 道を抜けた先は、広大な古代の地下神殿のようだった。

巨大な石柱、そして壁面に描かれた白と金の神聖な巨大兵器の浮彫り。フェリシアの一族が代々守ってきた、ゴーレムに縁のある場所であることは明らかだった。


 そして、その空間の中心。朽ちた祭壇の上で、それは「漂っていた」。


 人型...だが、その姿は常に変化していた。ある瞬間は美しい少女の姿を取り、次の瞬間には、床に広がる銀色の液体となり、そして次の瞬間には、鋭利な刃物の形を成したかと思えば、すぐに人間の男性の形に歪んでいく。


 全身は銀色の金属のように見えたが、制御を失って不安定に姿を変え続けている状態だった。金色の瞳だけが、その液体の中で、時折、強烈な光を放っていた。


(あれが...あの、私の力を吸い込んだもの...?)

 フェリシアは恐れるよりも、強く惹きつけられた。あの不安定な、不気味な存在から、なぜか強烈な懐かしさを感じたのだ。まるで、魂の一部であるかのように。


 その物体がフェリシアの存在に気づくと、液状の金属の体表を歪ませ、急速にその形を変え始めた。優雅な貴族の女性の姿、次には威厳のある騎士の姿...何を表現したいのか、あるいは何も考えていないのか、フェリシアには分からなかったが、それでも一歩ずつ、祭壇へと近づいていった。


「あなたは...だれ?」

 また液状になりかけていた金属の動きが、一瞬止まった。

「あなたは、特別なゴーレムなの?それとも...私の家族の亡霊...?」

 フェリシアが涙を堪えながら問いかけた、その時。


 その内部の液体金属が一気に収束した。変形を繰り返していた姿は、ピタリと止まり、銀色の身体、金色の瞳を持つ美しい少女の姿に固定された。


 グワアアアア...

フェリシアとの間で、目に見えない強大な精神の共鳴が起きた。フェリシアのマナの波動と、目の前の少女の不安定な精神波形が、激しく噛み合い、そして完璧に安定した。


 それは、フェリシアの強大な精神波形を「存在意義と安定をもたらした強力な認証キー」として認識した。

 フェリシアは、彼女の干渉によって、呪いの暴走から解放される感覚を得た。


 ???「...星辰の民...認識...安定化...。過負荷状態、解除。...。…。…。アストライオスの起動権限を確認しました」


 静寂が戻った神殿の底で、その少女の声だけが、澄んだ鈴の音のように響いた。

 先ほどまでの不定形な揺らぎが嘘のように、彼女の姿は確かな輪郭を持って固定されている。

 ​銀色の滑らかな肌に、すべてを見透かすような黄金の瞳。

 それは、王国のゴーレムたちとは一線を画す、神々しいまでの機能美を宿していた。


 ​「……アスト、ライオス?」

 ​フェリシアが震える声でその名をなぞると、少女はしなやかな動作で祭壇から降り立ち、その場に深く膝を突いた。


 ​「はい、マスター。私は当機――星辰の民の遺産たる【恒星間移民船アストライオス】の統合制御、および貴方様の護衛を司るインターフェース。……個体識別名は『ステラ』です」


 それが彼女との、運命を変える出会いだった。

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