第6話

つむぎ、おかえりー!」


 声を掛けながら玄関のすぐ横にあるリビングへ入ったが、誰もいない。胸騒ぎがして、野菜を持ったまま広縁を通って離れへと向かう。


「今帰ったよー! どこにいるのー?」


 叫ぶように訴える声に返事はなく、トイレにも娘はおらず、離れへとすぐ到着した。


 室内に積まれた床板の上に娘のランドセルだけが置いてある。娘に呼び掛けると、低い方から声がした。


「ママ、ここどこ?」


 上擦って怯えた娘の声に「あなたは今、離れの床下にいるのよ」と動揺を悟られないように落ち着いた声で伝える。


「床下? なんでそんな場所に私はいるの!?」

「どうしてかは後で考えましょ。早く明るい場所に戻っておいで」

「無理だよ、扉がこれ以上開かないよ。天井が邪魔になってる!」


 張り終えた床下からゴツンゴツンと衝撃があった。落とし戸があった場所だ。娘が天井と呼ぶものは床板で、扉が全開出来ないようになっているはず。


「落ち着いて。あなたの体型なら扉の隙間から出られるはずよ」

「ヤダ、何か足を引っ張ってくる! ママ、ママ!」

「紬、つむぎ!」


 先ほどまでの恐怖心が怒りに変わる。私は部屋に置いてあったバールを持ち出して床板に思い切り打ち付けると、勢い良く剥がしていった。金属製の落とし戸が見えたところで、砂利の上に飛び降りる。


 扉を全開にして、暗闇に向かって階段を駆け下りた。崩れるのではないかと思うほど、木が軋む音がする。


「紬ー!」


 床に足が着いたところで、金属音と共に落とし戸が閉まり、あたりは真の暗闇になる。興奮状態の私は震える手でポケットに入っているスマホを取り出し、ライトを点灯させた。

 

 照らし出されたのは、階段から見て翼のように左右に広がる廊下。どちらかに進む前に夫に連絡しておきたったが、電波が立っていない。


 地面を照らすと、左側の道は埃をぬぐうように道ができている。娘が引きずられた跡だろうか。連れ去ったのがなんであれ、とにかく娘を助けなければと、たわむ床板の上を走り出した。


 進むごとに異臭が強くなる。吐き気がして涙ぐみながら、突き当たりへと到着した。右は壁で行き止まりなので、左へ進むためにライトを向ける。


 目に飛び込んで来たのは格子壁だ。座敷牢の中で、娘がうずくまっている。


「紬、大丈夫?」


 右下の小さな扉を引っ張ると簡単に開いた。娘に駆け寄って背中をさするが、どうも様子がおかしい。


 低いうなり声が娘の口から漏れている。地面に放り出したスマホのライトが映し出したのは、鼻に皺が寄って目が血走った娘の顔。


「ママの声、聞こえる? とにかくここから出よう」


 娘を連れ出そうと腕を引っ張ると噛み付かれた。痛みに驚いて、思わず娘を突き飛ばしてしまう。


 四つん這いになって唸る娘の様は、まるで犬に取り憑かれたかのよう。


「帰ろう、ねぇ。紬」


 私が差し出した手は再び噛まれる。今度は痛みをこらえて抱きしめて、あやすように背中を撫でてやった。しかし、奇声を上げて暴れては手足をばたつかせる。


 私は穏やかに事を進めるのを諦めて、娘を担ぎ上げようと彼女の胴体に手を回した。


 その時、目の端を何かが横切って背筋がぞわりとした。視界に入るか入らないかギリギリのところ……。長い髪が見えたような気がした。


「直子さん? そこにいるの? あなたが犬神を使って紬をこんな風にしたの?」


 私は相手がそこにいるとも分からないのに、手をついて頭を深く下げた。


「お願い、この子はあなたに恨みを買うようなことは何もしていないはずよ。お願い、元に戻して」


 頭の端で、犬神を祀れと言っていたお婆さんの言葉を思い出す。野菜を置いて来てしまった事を後悔した。


 何か持っていないかと探っていたところ、ズボンに突っ込んだ手に丸い何かが触れた。道の駅の中村さんから貰った飴玉だ。


「犬神様にお供え物です。お願い、うちの子を返して」


 頭を下げたまま飴を差し出したところ、冷たい何かに指が触れて思わず顔を上げる。至近距離に目を見開いた女性の顔があった。


 恐怖で頭がどうにかなりそうなのに、目を閉じる事が出来ない。耳鳴りがして体が固まり、目眩がした。


 このまま死ぬのかと思った時、ふと体の力が緩んだ。


「ママに何かしたら許さない」


 声のする方を向けば、娘が歯を剝き出しにして私がいる方を睨んでいる。


「良かった、正気になったのね」


 娘に駆け寄って抱きしめる。先ほど女性が現れた方を見ると、既にその姿はなかった。


「早く出ましょ」


 ふらつく娘をおんぶして地上へ出るために歩き出したところ、べったりとした不快感のある物を踏みつけてしまった。何だろうと思ってスマホのライトで照らすと、先ほどの飴玉の包みから、どろりとした黒い液体が漏れ出ている。


「何これ、気持ち悪い」


 私は地面に靴下を擦り付けると、嫌な気持ちがぬぐい切れないまま地上へ向かった。


(続く)

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