第5話

 家から離れたい一心で、靴が脱げようが、髪がグチャグチャになろうが、田んぼの畦道をなりふり構わず無我夢中で走る。農作業中の老夫婦が目に飛び込んで来た時は安堵感から崩れ落ちた。


「助けてください、助けてっ! 変な人がいるんです!」

「何があったんだい。そんなボロボロの格好で」


 ご夫婦が心配そうに側に寄って来てくれる。そして、現実離れした私の話を聞いた後、お婆さんはからの収穫コンテナを私に差し出した。


「そこに座りな。少し話をしよう」


 お爺さんは作業に戻り、お婆さんは自分も収穫コンテナへと座った。


「あんたが見たっていう首が落ちたっていう女性に覚えがあるよ」

「誰ですか?」

「昔、あの家に嫁いできた直子さんだ」


 聞いたことがない名前に戸惑う。


「あんた、誰かから聞いていないかい? 犬神筋のお嫁さんだよ」

「パート先で聞きました。彼女が嫁いで来てから一家が根絶やしになったとか……」

「確かにそうだ。でも、あいつらは祟られるような事をしたんじゃないかと思うんだよ」


 お婆さんの話曰く、直子さんは嫁いでから随分経った後に犬神筋だと家族に知られてしまい、地下室に閉じ込められていたのだそうだ。


「離婚は体裁が悪いからと隔離したんだ。

何十年も前になるけど、最後にあの子を見たのは今頃だったか。骨と皮みたいに痩せこけて、冬なのに半袖に裸足でさ。田んぼの中を今のあんたみたいに走っていたよ。

可哀想で仕方なくて、私は匿って話を聞いてやった。

結局、あの家の人間が無理やり連れ帰るのを止められなかったが……今でもどうにかしてやれなかったかと後悔しているんだよ」

「あなたが気に病む事じゃ……」

「あんた、さっき言ってたろ。家の中で何かあるって。

あれは根絶やしにされた一家が、直子さんを恨んで今も彼女を探しているんじゃないかって思うんだよ。

あの子を見なくなってから数年で、病気やら事故やらで一家はみーんなお陀仏だ。あの子に危害を加えたから、犬神に呪われたに違いない」


 病気や事故なんて、呪いなどなくても起こることだろう。非科学的な事に繋げるなんて、乱暴な結論だ。でも、常識では説明のできない事が私の目の前でも起きたのだ。


「直子さんがあの家の中にいるとしたら、まだ苦しんでいるかもしれない。あんた達、大丈夫だとは思うが、巻き添えを食らって直子さんから犬神の祟りにあうかもしれないよ」

「そんなの、どうしたら……」

「直子さんが言っていたよ。犬神を祀れば良い事をもたらしてくれるって。犬神に憑かれたら、一か八か祀ってみるといい。こちら側に付いてくれるかもしれないよ。これ、お供えとして持って行きな」


 お婆さんは、ゴボウやハクサイを袋に詰めて私に分けてくれた。


「ああ、でもこんな事も言っていたね。一度祀ってしまえば、もう犬神から離れることはできないと……まぁ、こんな話、信じるか信じないかは勝手だけどね」


 私はお婆さんに渡された重い野菜の袋を下げて、重い足取りで家路に着いた。たまにすれ違う人が私を好奇の目で見たり、ひそひそと話しているのが聞こえる。


 ふと、低い冬の太陽を見て突然娘の事を思い出した。行事の関係で、今日の授業は午前で終わると聞いていたのだ。


 待っているはずの私がいなければ、家の中を探し回るかもしれない……。


 私が走って家に着くと、娘の靴が玄関に揃えてあった。


(続く)

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