第3話

 夫と一緒に昼食を食べた後、黙々と二人で作業を続けた。半分ほど進んだところで娘が小学校から帰宅したので、続きはまた翌日夫に任せることになった。私は明日、パートの初日だ。


 久しぶりに働くので少し緊張しながら入眠したところ、珍しく夜中にトイレで目が覚めた。どうにか朝までもたないかと時計を見れば、まだ夜中の二時。


 寝室はエアコンで暖かいが、一歩部屋から出れば家屋の中とはいえ極寒だ。夫と娘を起こさないように気遣いながら、凍える体で寝室の隣にあるトイレに入った。


 便座に座ろうとしたところ、ドアのレバーハンドルがガチャリと下に振れた。心臓が飛び跳ねる。


「ごめん、入ってるから待ってて」


 しかし、レバーは下に振れたまま。今度はドアを押し開けようとするような衣服が擦れる音がする。


「どうしたの? 体調が悪くて喋れないの?」


 私が慌てて開けようとしたところ、不意に背後に気配がして肌が粟立った。狭い個室のトイレの中だ。誰かいるはずもない。


 急激に怖くなり、もたつきながらも鍵を開けようとしたところ、寝室の方から足音が聞こえてきた。


「麻美、大丈夫か〜? なんか声が聞こえたけど」


 夫の声は寝室から近付いてくる。


「ドアの前に誰かいるんだけど」


 声が引きる。


「え〜? 誰もいないけど」


 恐る恐るドアを開くと、そこには寝ぼけ眼の夫が一人で立っていた。


「今ね、誰かがトイレのドアを開けようとしたの」


 その時、寝室にいる娘が「開けて!」と金切り声をあげた。


「今度はあっちか」


 夫が寝室へ入るのに続いて、私も娘へと駆け寄る。電気を付けた浮かび上がった彼女は顔面蒼白で目に涙が浮かんでいた。


「パパ、怖い夢を見たの」

「そうか。疲れたのかもしれんな」


 夫は泣き出す娘を抱きしめて宥める。私自身がまだ動揺していて、二人の姿をただ眺めていることしかできない。硬直している私に気付き、夫が手招きした。


「ほら、麻美も!」

「えぇっ、恥かし……」

「おいでよ、ママ!」


 照れながらも、三人で円陣を組むように抱き合う。


「何これ」

「さぁ、朝までぐっすり眠るぞ!」

「お〜!」


 夫の布団へ娘が潜り込む。私が自分の布団へ入ろうとすると、夫が手を繋いでくれた。


「おやすみ」


 笑う彼と手の温かさに少し安心して、私はどうにか眠りに就くことができた。


 翌朝、コタツに入りながら娘と二人で朝食をとっていた時のことだ。娘は昨晩の夢のことを語り出した。


「誰かに追いかけられて、怖くなって部屋の中に隠れていたんだ。そしたら、部屋の窓から怖い人が入って来たんだ。捕まっちゃって、ぐいぐい腕を引っ張られて、話のまま外に連れて行かれたんだよ。見て」


 娘が袖を上げて見せた腕には、腕を掴まれたような痣ができていた。


「これは……」

「さっき着替えた時に気付いたの。寝る前はなかったんだよ。怖いよ、ママ」


 娘は今にも泣き出しそうな顔をする。どうすればいいのか分からなくて言葉を発せずにいると、彼女はまた続きを話し出した。


「裸足で砂利の上を歩いてたら急に立ち止まったんだ。地面にある扉を誰かが開けて、中へ入れって言うんだよ。すっごく怖かったから言うことを聞いて階段を降りたんだけど、私が入ったら扉が閉められちゃった」


 地面にある扉と階段……。


「あのね、離れの地面にも扉があるのよ。重い金属製だから手を詰めたら危ないし、絶対に行かないようにね」

「うん……」

「腕、痛い? 病院行こうか?」

「ううん、今はそんなに痛くないよ」


 暫く沈黙が流れる。私は味噌汁を飲み干すと、食事中に禁止しているテレビを付けた。芸人が漫才をしており、客席から笑いが起こる。


 得体の知れない不安が腰のあたりから背中まで上がってくるようで、打ち消すために賑やかにしたかったのだ。


(続く)

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