第3話 リコリス
今からずうっと昔の事。
一人の若い男が森で道に迷った。
すっかり日が暮れてしまい、おそらくもうこの森には自分以外に人は居ないだろう。
さてどうしようか。水筒の水ももうない。
せめて、川か池でも見つけたいな。
そんなことを考えながら、歩いているといつの間にか開けた場所に出ていた。
そこにはポツンと一軒の家があり、すぐ側には井戸もあった。
男はすぐさま井戸に近寄って、中を覗き水が枯れていないことを確認すると、水を汲み取って乾いた喉を潤した。
そして、水筒にも水を補給する。
実を言うと今は夏であり、むしむしとした暑さだった。
だから井戸があったことは、とてもありがたかった。
次に男は家に向かい、扉を叩く。
「すみません。誰かいらっしゃいますか?」
すると、一人の老人が出てきた。
「どちら様で?」
「突然すいません。蔦河清治郎〈つたかわ せいじろう〉と申します。森で道に迷ってしまって…
一晩、宿を貸していただけませんか?」
「そうでしたか。中に」
そう言って、老人は中に入っていった。
清治郎はほっとして後を追った。
暗い森に重い戸の音が響いた。
「お邪魔します。」
そう言ってから清治郎が中に入ると、小さなちゃぶ台の上には、まだ食べ終えていない食器が、並べられていた。
老人は、押し入れの中から、座布団を取り出すと清治郎に勧めた。
清治郎が腰を下ろすと、老人は食事を再開させた。
しばらく、老人の食事をする音しか聞こえなかった。
夜も更け、二人が布団に横になると不意に老人が口を開いた。
「清治郎は何をしに来たんじゃ?ここには何も無いぞ。」
「俺は猟師でして、この森に動物を狩りに来たんです。それに、今はお盆の時期なので、両親の墓参りも兼ねて。」
すると老人は真剣な顔で告げた。
「……深夜になると、戸がなるが、放っておいていいからな。絶対に戸を開けるなよ。」
「なぜですか?」
「聞かない方がいい。絶対にだ。」
清治郎は不思議に思いながらも、目を閉じた。
トントン
真っ暗な気配のなかに何か音が聴こえたため、清治郎は目を覚ました。
耳をすますが何も聞こえない。
起きあがり、小さな戸口から外を見るが変わらず外は真っ暗闇で、鬱蒼とした闇が広がっていた。
…気のせいか
この山奥の真夜中に、人など訪ねてこないな。
そう思って、布団に戻ろうとしたとき
トントントントン
また、音がした。
隣で寝ている老人を起こそうとするがなぜだか全く起きない。
その時に老人が言っていたことを思い出した。
『深夜になると、戸がなるが、
放っておいていいからな。
絶対に戸を開けるなよ。』
確かにそう言っていた。
今がこの状況だ。どうしたものか。
清治郎が悩んでいると、懐かしい声が聴こえた。
『清治郎』
「母さん!?」
それは母の声だった。
母が扉の向こうにいる。
そう思うと、いてもたってもいられなかったが、戸惑い動けなかった。
『清治郎…清治郎、開けるのです。
お願い、開けて。時間がないの。母を思い出して。』
清治郎は堪らず扉を開けた。
母は暗い森の中に佇んでいた。
「母さん!!」
『清治郎、久しぶりね。』
母は生きていた頃と同じ微笑みを清治郎に向けた。
清治郎は母の懐に飛び込み、涙を流した。
気がつくと老人の家はなく、森の中でもなく、清治郎が昼間に入っていったはずの森の入り口に立っていた。
混乱していると、母が微笑み話してくれた。
『清治郎、よかった。あの家はね、森に迷った人を
招き入れ、人間を食らうもののけが住んでいる家なの。お盆でこの世にこれている間に助けることができて良かったわ。開けてくれなかったら、どうなっていたか。信じてくれて…会えてよかった。』
そう言うと母は朝日と共に消えていった。
この夜の出来事が、夢か幻なのかはわからないが、
多くの不明者がこの山にいることは事実だった。
今となっては確かめるすべもないがこの時期になると、母のあの優しい笑顔を思い出す。
今年も母の好きなあの花を持って会いに行く予定だ。
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