第11話 決着

 父は部屋を物色する雅さんを止めもせず、じっと私を見つめていた。

 だけど、その目は親としてではない。

 救世主の母を見る、崇拝の眼差しだった。


「ねえ、お父さん」

「……なんだい」

「お母さんのこと、知ってる?」

「母さんがどうかしたのか?」

「今、警察にいるよ」


 その言葉に、父の肩がわずかに跳ねた。

 やっぱり、知らなかったらしい。


「な、なんで……」

「トライス教団の食い物にされてたから。ホスト通いほどじゃないけど、それでも一か月で百万くらいは消えてたよ」

「どうして……そんなことに……」

「本気で、お父さんを愛してたからだよ。そんなこともわからない?」

「……いや、だって。離婚は円満で……」

「嫌がる母への対処のために弁護士呼んでおいて、円満も何もないでしょ」


 私は溜息を吐いた。

 黒幕で、下種で、カルトで。

 なのにお父さんは、どこか抜けているかつてのままだった。


「皮肉だよね。弱者を食い物にする教団にお母さんが引っかかって、そのおかげで――お父さんに辿り着いたんだから」

 父は、どうしようもない顔をして黙り込んだ。


 あの日々は、父にとって使命のための家族ごっこに過ぎなかったのだろう。

 それでも、何も感じないはずがない。


 母が父を愛していたように、父もまた母を愛していた。

 嘘から始まった関係だったとしても、私はそう信じている。

 あの幸せな日々まで、偽りとは思いたくなかった。


「ねえ、お父さん」

「…………」

 無言の父の顔に、イラっとした。

 それはまるで、責められているのが自分の方だと言いたげな顔だった。


「私が救世主を産んだら……私は、どうなるの?」

「救世主の母として、幸せに――」

「違うよね」


 私は、静かに遮った。


「私は死ぬ。仮に生きても、救世主のための道具になる。……そういう予定でしょ?」

「ち、違う! お前は……本当に幸せに――」

「なるわけないじゃん」


 感情が、言葉を押し出した。


「お父さんはいなくなって、お母さんは壊れて、それで産みたくもない"何か"を産まされて……それでどうやって幸せになれるの?」


 父は、何も言えなかった。


 教団の長としてなら、いくらでも綺麗事は言えただろう。

 けれど、父はそれを口に出来ない。

 ――娘である、私にだけは。


「あったで、さきちゃん」


 雅さんが、小さなピンマイクを差し出してきた。


「これや。どないする?」

「……繋がってます?」

「まだや。スイッチ入れるか?」

「お願いします」

「了解」


 私はマイクを胸元に留め、息を整える。


 そして――向こう側にいる“彼ら”へ、声を放った。


「皆さん。聞こえますか……」


 その一言で、ざわめきが広がった。


 彼らは、救世主を願っている。

 その救世主を生む私を知り、私を思い、私に祈っている。


 言ってしまえば、彼らにとって私は、神と人のあいだに立つ存在。

 宗教的意味合いなら、巫女となるだろう。


 だから――私の言葉は、重い。


 救世主の母である私は、清らかで正しい存在でなければならないからだ。


 彼らは、私が"純粋無垢な存在"なんだと、心の底から信じている。

 そうでなければ、救世主を有無に相応しくない。


 ――それだけが、私に残された唯一の隙だった。


「ねえ、お父さん」

 私は、静かに言葉を重ねた。


「私ね、毎晩、夢を見るの。知らない赤ちゃんの泣き声。ずっと、ずっと……。――とても、怖かった」


 父は、何も言わない。

 俯いたまま、唇を噛みしめている。

 それでも、私は止めなかった。


「お父さんは、何が不幸だったの? 何が、そんなに許せなかった?」

 私は息を吸い、言葉を続ける。


「私は、不満なんてなかった。お父さんとお母さんがいて、私を見てくれてた。いなくなる時まで……本当に、幸せだったんだよ? ……お父さんは、何が足りなかったの? ねぇ。教えてよ……」


 声が、少し震えた。


「お母さんは、お父さんを愛してた。ううん……今も、愛してる。毎日苦しんで、泣いて、心が弱って。それで――お父さんの教団に騙されて、お金を奪われるくらいに。普通だった暮らしがなくなって、私は毎日怯えて暮らして、そしてお母さんは壊れる寸前になった」

 早口にまくしたてた後、泣くのを堪えるため、私はゆっくり息を吸う。

 そして、父に尋ねた。


「お父さんは、本当に幸せになれるの?」


 答えは――なかった。


 私は、視線を上げる。

 教団の人々……私を信じている、彼らへ。


「皆さん。聞いての通りです。私は、そんな立派な人間じゃありません。ただの人です。お父さんとお母さんが好きだった……皆さんの信仰によって家族を壊された――ただの人間なんです」


 再び息を吸い、私は、見えない彼らに頭を下げた。

「お願いします。私に、期待しないでください」


 気づけば、涙が頬を伝っていた。


 どうして、私が。

 そう思った瞬間、堰が切れたように涙が溢れる。


 そっと、誰かの手が涙を拭う。


 その手は、雅さんのものだった。


 彼は小さく微笑み、頭を軽く撫でて、耳元で囁く。

「要するにや。さきちゃんが“相応しくない”って、思わせたらええんやな」


 私は頷く。

 彼らは、私が救世主の母に相応しいと本気で信じている。

 けれど、信じるということは口で言うほど簡単なことじゃない。

 モニター越しに見える"信者達"は、とても正気とは思えない。


 薬物や洗脳など、ありとあらゆることをして、信じる気持ちを補強している。

 それほどに、信じるということは難しい。


 だから、崩す余地は残っているはず。

 それが、私の元にある唯一の希望だった。


 雅さんは、何か思案するような間を置いたあと、ふっと笑った。

 それは、普段の彼からは想像もつかない笑みだった。


 好戦的で、軽薄で、どこか人を食ったような笑み。

 一言で言えば、チャラい。

 場慣れしたナンパ男のようだった。


 怖い顔立ちには案外似合っているのかもしれない。

 けれど、私にはどうしても――“雅さんらしくない”としか思えない。

 下手くそな演技をしてるみたいで、こんな状況なのに、ちょっとだけ笑えた。


「あー、あーマイクテス、マイクテス。救世主を信じる皆さーん。おはばんはー」


 ふざけた調子で、雅さんはマイクに向かって声を張る。


「えー、こちら、可哀想なわかーい女の子のさきちゃんを“保護”してる、総北組の組長でーす」

「――は?」


 父から、素っ頓狂な声が上がった。


「く、組長? や、ヤクザが……どうして、ここに……!?」

 自分はカルトの教祖様なのに、父は自分を棚上げし雅さんを睨んだ。

「どうしてって、そりゃ簡単だろ」


 雅さんは肩を竦める。


「あんたらが、俺らに喧嘩売ったからだよ。自覚なかった? もしかして馬鹿なの? ま、そっちの落とし前は後でええわ。今はな――ちょっち、大事な質問があるんよ」


 雅さんは、わざとらしくちょっと小声で父に尋ねた。

「救世主を生むのってさ、やっぱ処女じゃないと駄目な感じ?」

「――なっ……! お、おい、どういうことだ紗季! な、なんでヤクザがそんなことを……!」

「はいはい、"元"お父さんは黙っててください」


 雅さんは被せるように言った。


「家族を捨てといて、今さら文句だけ言うとか……正直、かっこ悪いっすよ。んで、話戻すけどさ……」


 彼は、わざと下卑た笑みを作った。


「つまりさ、これって俺が救世主のパパってことにならね? はっ! やべー! そん時はお前ら、ちゃーんと俺を敬えよ? 救世主の父親になる、偉大な俺っちをさ!」

 そう言って、品のない笑い声を上げる。


 私は震え、噴き出しそうになるのを堪えながら、そっとモニターに目を向ける。

 彼らの様子は、控えめに言って阿鼻叫喚だった。

 雅さんの言葉は、彼ら信者には想像以上に堪えていた。


 脳破壊やら、ビーエスなんたらやら、よくわからない言葉が飛び交う。

 よほど、彼らのトラウマを抉ったらしい。


「なんや知らんが忙しそうやし帰るな。じゃあ、さきちゃんの“元”お父さん」

 雅さんは低い声で言い放ち、私の肩に手を回して引き寄せる。


「俺達、これから二人でワンナイトなんで失礼しまーす。恨むなら、俺じゃなくて、てめぇを恨みな。一番大事にせなあかんもんを、自分の手で捨てた――馬鹿なてめぇをな」


 ドスの利いた視線を父に向けたまま、ピンマイクを床に放り捨てる。

 そして、そのまま部屋の出口へ向かった。


 私は、一瞬だけ振り返った。


 父は膝をつき、崩れ落ちていた。

 泣いていたのかもしれない。


 けれど――それほど、悲しいとは思わなかった。


 きっと、ずっと前に――。

 離婚したあの時にはもう……父は、私の中でもう死んでいた。


 私は雅さんに肩を抱かれたまま、その部屋を後にした。




 部屋を出た途端、雅さんは私からすっと距離を取り、両手を合わせて頭を下げた。

「……すまん、さきちゃん。嫌なことばっか言った。触れもした。怖い思いさせた。ほんまに、すまん」


 本気の謝罪だった。

 その必死さに、私は思わず苦笑して首を横に振る。


「大丈夫です。怖くなかったですし……私のためだって、ちゃんとわかってましたから」

 むしろ笑うのを堪える方が大変だった。

「それでもや」

 雅さんは顔を上げない。

「女の子に言うたらあかんことも言った。どうしたら詫びになるか、教えてくれへんか。金でも、物でも……何でもええ」

「だったら……一つだけ、お願いしてもいいですか?」

「ああ。何でも言ってくれ」

「なら……本当に、私を雅さんのものにしてください」


 一瞬、空気が止まった。

 そう感じたのは、きっと私だけじゃない。


「……さきちゃん?」

 私の心臓が、きゅっと悲鳴を上げる。

 それでも、私は一歩分の勇気を振り絞った。

「私、子供じゃありません。もう十八です。全部わかった上で言ってます。雅さんなら……ううん。雅さんじゃないと、嫌なんです」

 雅さんは、ゆっくりと――本当に長い溜息を吐いた。


 そして、静かに口を開く。


「さきちゃん。これから言うこと、よう聞いて」

「……はい」

「未成年に手ぇ出す奴は、例外なくロクデナシや。そんな大人信じちゃあかん」

「で、でも私、十八です! それに雅さんと、十も違わないじゃないですか!」

「歳の差なんて、関係あらへん」


 きっぱりと、切り捨てる。


「高校生んうちは未成年や。そこに手を出すっちゅうことは、相手を大切にしてへん証拠や」

「……みやび、さん……」

「それとな」


 雅さんは、私から一歩離れた。


「お天道様の下を歩けとるのに、日陰に来ようとする奴。そういうの、俺は"嫌い"や」

 そう言って、彼は私に背を向けた。


「……さきちゃ――いや、嬢ちゃん。後は俺らが何とかする。あんたは何も心配せんで、日常に戻れや」


 私が縋るよう手を伸ばすが、雅さんは私の手を払う。

 そのまま、私のお腹を指差した。


「もし、“それ”が解決してへんかったら、呼んでくれ。必ずなんとかしたる。けど、それ以外で連絡してくるな。迷惑や」


 それだけ言って、雅さんは逃げるように去っていった。


 その後のことは、よく覚えていない。


 警察の人が来て、保護されて――気づけば、お腹の違和感も含めて、私の非日常は全部終わっていた。


 私はまた、日向を歩き出した……。

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