第7話 落伍者と子供


 ちくたく、ちくたく。


 聞き慣れない時計の音が、妙に耳に残る。

 ……まあ、赤ちゃんの泣き声よりは、はるかにマシだ。


 黒づくめの不審者を確保したあの後、雅さんの迎えが来て、私はそのまま事務所に連れて来られた。


 最初は――正直、いやかなり怖かった。

 そういう人たちの事務所と聞いて、怖くないわけがない。


 ただ、実際に来てみると、真夜中に開いていること以外は何もおかしいところはない、どこにでもありそうな会社の事務所だった。

 若い女性も多く、皆きちんとした社会人という印象だ。


 もちろん、想像通りの人たちもいた。

 顔に傷のある人や、妙に体格の良い人。

 それでも、雅さんほど怖い人はいなかった。

 ……さすがに失礼か。


 受付から奥の個室に通された後、私のテーブルの前に暖かいココアが置かれる。

 その少し離れた場所で、雅さんはコーヒーを片手に立っていた。


 空気が、ピリピリする。

 気持ちが不安定になっていく。

 私が落ち着かないその理由は、単純だ。


 今、この建物のどこかで――。


「さきちゃん。悪いけど、もーちょい待っててな」

 そう言いながら、雅さんは時計を睨む。


「……っち。時間かかってんな。もっと早よ口割る思たんやが」

 笑顔なのに、目はまったく笑っていなかった。


 ……つまり、今この瞬間、この建物のどこかで、尋問が行われている。

 あの不審者の。

 それも彼ら流の、法律の外側にあるやり方で。


 ココアを飲んでいるのに、喉がひりつく。

 緊張で、何度も唾を飲み込んだ。


 慣れたつもりでいた。

 怖くない、と思ってしまった。


 けれど、そうじゃない。


 怪異とは種類が違うだけで、彼らもまた――『怖い』人達だった。


「……あの、雅さん」

「ん? なんや?」

「失礼かもしれませんが……」

「構わんよ。何や、言うてみ?」

「……どうして、ヤクザなんですか?」


 雅さんは、少し考え込むように黙った。


「……そりゃまた随分とこう……哲学的な問いやな? なかなかに深いで……」

「いえ、単純な疑問です。例えば、私が組に入れてくださいって言ったら、どうします?」

 神妙な面持ちで、顎に手を置き、雅さんは頷きながら答えた。

「……まず、正気疑うところからやな。熱でもあるんちゃうって」


「そんで、説教して、諦めさせる。極道なんて碌なもんやない」

「ですよね。雅さんなら、そう言うと思いました」

「おてんとさんの下を歩けん俺らが、真っ当なわけないやろ」

「でも……雅さんは、そう生きてます。だから、どうしてかなって」

 雅さんは、もう一度だけ時計を見る。


 それから、ゆっくりと――私の正面に見える椅子に腰を下ろした。




「先に言うとくけどな。俺らの命は、あんまごない。あ、物理的な意味やないで。理由を説明するなら、ヤクザの三つの柱の話が一番ええやろ」

「柱?」

「三種の神器、みたいなもんや。これがあるから、ヤクザは威張ってるみたいなやつやな」


 雅さんは人差し指を立てた。

「まず一つ目は――『暴』。暴力や。わかりやすいやろ」

 次に、中指。

「二つ目は『悪事』。俺らにとっては飯の種や」

 そして、最後に親指を立てる。

「三つ目が……『人助け』」


「え? 人助け、ですか?」

「せや。『地獄への道は善意で舗装されとる』って言葉、聞いたことあるやろ。普段悪い奴が、ちょっとええことしたら、妙に効くんや」

 どこか、自嘲するような口調だった。


「でもな。この三つ、今は全部しょぼなってきとる」

「しょぼ?」

「暴力は反グレやら海外マフィアに勝てん。悪事は警察が賢なって、割に合わん。人助けは……企業が強すぎる」

「えっと……企業ですか?」

「震災の時、ヘリで物資配ったり、炊き出ししたりするやろ。俺らみたいな“ついでの善意”じゃ、もう勝てへんのや」

「……と言う割に、妙に嬉しそうですね」

 雅さんは、曖昧に笑った。


「今の時代、俺らみたいな馬鹿は少ななった。せやからな、さきちゃん。こんな先のない世界に、憧れたらあかん。格好ええのは、映画の中だけや」

「……なら、どうして続けているんですか?」

「一度でもやらかした奴が、今日から更生します言うて許されるの、何が違うやろ?」

「じゃあ、雅さんはどう――」

 丁度その時、外から声がかかった。


「若。少しよろしいですか」

「おう、今行く」

 雅さんは立ち上がり、私の肩を軽く叩く。

「ヤクザもんは、時代遅れの屑。それだけ覚えてくれたらええ」

 寂しそうな顔で笑ってから、雅さんは部屋を出て行った。




 雅さんに頼まれたのか、入れ替わるように女の人が入ってきた。

 彼女はニヤっと、ちょっとだけ意地悪そうな笑みで私の隣に腰を下ろした。


「……若が組長やってる理由、知りたいでしょ?」

「は、はい!」

「ふふ。素直ね。簡単よ、見捨てられなかったの」

「えと、誰をでしょうか?」

「若が拾ってきた子って、誰にも救われなかった子ばっかりなの。私も含めて」

「……雅さんらしいです」

「でしょ? でも、私達救われた立場から言えば、先に救われて欲しいのは若の方なの。だから……お姉さんは応援してるわよ?」

「え? 一体、何の話じゃ……」

「ふふ。頑固で朴念仁だから、なかなかに大変だって教えてあげるわ。負けた私からのアドバイスよ」

「負けた? お姉さんは……」

 静かに、彼女は私に左手を見せる。

 薬指に、きらりと光る指輪があった。


「それ、さっきの運転手の人と同じ指輪……」

「あら。目ざといわねお嬢ちゃん。そ、若に振られて、弱っているところをころりとやられちゃったの。だから私は負けちゃったの。彼じゃなくて、情けない運転手の方に」

 そう言って、彼女は指輪にキスをした。


「おめでとうございます?」

「ありがとう。ま、もう今更の話だけどね。……負けたことに後悔はしてないわ。でも、私じゃ若を救えなかった。だから、貴女がそうしてくれたら嬉しいと思ってるわよ」

「でも、私まだそこまでじゃ……」

「当たり前よ。貴女はまだ子供なんだから。今はまだ甘えてれば良いの」

 そう言って、わしゃわしゃと頭を撫で彼女は去り、入れ替わりとして雅さんが戻って来た。


「雅さん……私って、子供ですか?」

「は? そらそうやろ」

 きょとんとした顔で、即答だった。


 優しさの理由が、少しわかった。

 それと同時に――ちくりと、少しだけ胸が痛んだ。

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