第4話 これから
移動先の小さな個人病院で女医の診察を受けたあと、私は雅さんと二人、待合で結果を待っていた。
「大丈夫や。心配せんでええ」
雅さんは、言い聞かせるようにそう繰り返した。
それからしばらくして……診断してくれた女医が戻って来た。
彼女は、私ではなく雅さんだけを呼びつけた。
私は待合に残され、雅さんは一人、診察室の奥へ消えていく。
それから五分ほどして、雅さんだけが戻ってくる
雅さんは、どこか重苦しい表情となっていた。
私は、ごくりと唾を飲んだ。
そんな私を気遣ってか、曖昧な笑みを浮かべながら、雅さんは口を開く。
だけど……笑みが、若干引きつっていた。
「……まずな。さきちゃんは清い体のままや。そこは安心してええ」
「……そう、ですか」
私は、静かにゆっくりと息を吐いた。
身体の強張りが、ほどける。
心のどこかには、知らない男に乱暴されたかもしれないという恐怖がこびりついていたらしい。
「……そんでな」
雅さんは言いよどみ、視線を逸らした。
「どうしたんですか?」
「……これが……さきちゃんの、お腹の写真や」
震える指先で、雅さんは二枚のエコー写真を差し出した。
どちらも、ほとんど同じ角度。
撮影された時刻も、ほんの数秒しか違わない。
本来なら、違いなど出るはずがない――。
「見ての通りや。一枚目には、小さな赤子が写っとる」
証拠として残った“私の変化”に、喉が鳴る。
だが本当に怖いのは、もう一枚だった。
一枚目にあった赤ちゃんが、そこには映っていなかった。
「ミスとかやない。医学的には、絶対にあり得へん状況やそうや」
雅さんは、きっぱりと言い切った。
「つまり――オカルト確定や」
「……ありがとうございます」
「なんで、そこで礼が出るんや」
「だって……ようやく、一歩前に進めましたから」
一度、息を整える。
「それと……出来たら、これからも助けてもらえませんか。私、他に……頼れる人がいなくて」
一瞬だけ、雅さんは黙った。
それから、短く息を吐く。
「――安心せぇ。この案件がカタ付くまでは、きっちり面倒みたる」
そう言って、雅さんは不安で崩れそうになっていた私の頭を、軽くぽんと撫でた。
慰めるでも、励ますでもない。
ただそこにいる、という仕草。
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
泣きそうになるのを、必死で堪えた。
きっと、雅さんは泣いたらとても哀しむから。
その後、病院の奥にある個室で、私は用意された夕食を前にしていた。
並んだのは、高級料亭くらいでしか出ないような海鮮御前だった。
正直、緊張で味はほとんど分からない。
「ん? 刺身、嫌いやった?」
「……いえ」
「ちゃう? 正直に言ってや?」
「いえ、好きは好きですが……」
「まあ、食えへん時は食えへんもんや。遠慮せんと残してええで。腹減ったら、その時に何でも頼んだるよ」
優しい気遣いなのは確かだが……見当違いだ。
庶民は、ちょっとこの食事は恐れ多すぎた。
それでも残せないのもまた庶民で……結局なんだかんだ言って、私は全部食べ切った。
そして……食事が終わってから、改めて話が始まる。
「ほな、これからの話やけどな……。助けたる、なんて格好つけたけどな、正直オカルトのことはさっぱりや」
雅さんは軽く拳を握り、気合を入れるように続けた。
「せやから、どうするかは一緒に考えよ。人手と金は、俺が何とかしたる」
「……そこまでしてもらって良いんですか? それに、雅さんも何かに巻き込まれてるんじゃ……」
「いや。俺自身のことはええ。これとは完全に別件や」
「ですが……」
「いや、俺の事情は、さきちゃんにどうこう出来る話やない。それに正直言うとな……この騒動で、経験値を積ませてもらお思とる。だから俺のことはあんま気にせんで」
「……すみません。私ばかりで」
深々と、私は頭を下げる。
そして一度ゆっくり息を吸って……。
「でも、本当に余裕がないんで頼ります。たぶん、制限時間がありますから」
「制限時間?」
「……このままやと、何が生まれるかわかりませんから」
短い沈黙のあと、雅さんは低く呟いた。
「……すまん」
「いえ。大丈夫です……」
「ほ、ほな、話戻そか! 俺はオカルト方面はさっぱりや。何かわかることあるなら、教えてくれ」
「……推測でよければ」
「もちろん」
「まず、この辺りの都市伝説を一通り調べました。噂が現実になる、みたいな定番パターンを想定してです。でも、それに該当する話は見当たりませんでした」
「赤子の都市伝説か……。地元民やけど、俺も聞いたことないな」
「なので、現状いちばん可能性が高いのは……水子の霊、あるいはそれに近いものが宿ったというパターンです」
一拍置いて、私は続けた。
「もしそうなら……生んであげたい、とは思いますけど」
「うぇっ!?」
雅さんが思わず声を上げた。
「……さきちゃん、肝据わっとるな……」
「そうですか?」
私は首を傾げた。
「他にも、水子にまつわる神話や、産めなかった母親の怨念――そういう系統かなと」
ペラペラ話す私を見て、雅さんはきょとんとした顔を見せた。
「ほー。この短期間で、そこまで調べたんか?」
「いえ。元々、ホラー系の話が好きだったんです。詳しいというわけじゃあないですけど」
「……いや、十分すぎるわ」
雅さんは、少しだけ身を乗り出した。
「他にも、思いつくことあるか?」
私は少し気分が良くなって、考えられる可能性を次々と口にした。
雅さんは、素人の思いつきにも関わらず、真剣な表情でメモまで取ってくれた。
そうして話が一段落すると、彼はそのまま、どこかへ電話をかけ始めた。
「……とりあえずや。この件はその線で、俺の部下に調べさせといた」
そう言って、雅さんは一息ついた。
「今日できることは、ここまでやな」
「そう……ですね」
「だから、さっさと帰りや」
雅さんは立ち上がりながら言う。
「病院の前にタクシー用意しとる。金は気にせんでええ。それと――念のため、これ持ってき」
差し出されたのは、一枚の書類だった。
「……偽の、診断書?」
「親御さんが心配した時用や。帰るの遅くなった本当のこと、話せへんやろ」
「何から何までありがとうございます。でも……たぶん、使わないと思います」
「なんでや? お母さん帰り遅いんか?」
一瞬、視線を落とす。
「……私の変化に、気づいてさえいませんから」
「……あんまり、ええ母親やないんか?」
「いえ。最高のお母さんでした」
少しだけ、言葉を選んだ。
「ただ……父のことを、愛してましたから」
雅さんは、短く息を吐いた。
「……そか」
それから、思い出したように言う。
「ならついでや。これも持って帰り」
押し付けられた箱を見て、思わず目を瞬かせる。
それはデパ地下の有名店のチョコレートケーキだった。
しかも、ワンホールまるごと。
「これ、手に入らないことで有名な……」
「まじで美味いで」
「あ、ありがとうございます。でも……雅さん?」
「ん? なんや?」
「……これ、雅さんが食べる予定だったんですよね?」
「つもりやったけど、また買えばええだけや。変な遠慮はせんでええよ」
「ありがとうございます。ただ、そうではなく……あの……一人でワンホール食べてるって、大丈夫なんですか? 体調的に……」
「……まぁ、俺まだ若いから」
雅さんは、少しだけ視線を逸らした。
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