【第三章:風は北東より】第二話:剣と向き合うとき

 春の訪れを告げる風が、サヴェルナの街角を軽やかにすり抜けていく。街路樹の蕾はほころび始め、行き交う人々の装いも冬の重さを脱ぎ捨てていた。リオは、その風に背中を押されるように、鍛冶屋トルグの店へ向かっていた。半年もの間、心のどこかで待ち続けていた知らせが、ついに届いたのだ。


「剣、出来上がったぞ」


 その一言が、彼の胸を高鳴らせた。


 契約従事者連盟での任務帰りに立ち寄った鍛冶屋の店先は、変わらぬ煤と熱の匂いに満ちている。だが、今日はどこか違っていた。空気が張りつめ、鍛冶場の奥から漏れる金属音が、まるで鼓動のように感じられる。


「おう、来たか。……見違えたな、お前」


 トルグの低い声が、立ち上がる熱気の中から聞こえてくる。ドワーフの鍛冶師は、リオの姿をじっと見つめてから、にやりと笑った。


「短期間でまた随分成長しやがった。何なんだ、お前は」


 リオは苦笑しながらも、その言葉の重みに小さく頷いた。自分でも、自分の変化には気づいていた。だが、それを言葉にするのはまだ早い気がして、黙ってトルグの手元を見つめる。


 厚布をめくり、トルグがそっと差し出したそれは、まさに――待ち望んだ剣だった。まず目に留まったのは、グリップ――柄の造りだった。握りの部分には、何らかの獣のなめし革が丁寧に巻かれていた。赤褐色の滑らかな革が下地として全体を包み、その上に、やや黒味を帯びた別の革がひねりながら斜めに巻きつけられていた。隙間は規則的に並び、ダイヤ型の模様を描いている。


 グリップに組み込まれた鍔は、リオが手渡したときのままだった。何の装飾も施されておらず、ただ刀に固定するために、精緋鉱せいひこうで作られたと思しき金具が、鍔を挟み込むようにして用いられているだけだった。その無骨さが、かえって剣全体の意匠と調和していた。剣を手に取った瞬間、リオの掌に心地よい重みと、わずかな熱が伝わった。リオは剣を抜き、静かに構えてみた。刀身は淡い赤みを帯び、光の加減で夜の闇のような揺らめきが浮かぶ。銀紡鉱ぎんぼうこうの効果だろうか、刃の表面には淡い光がうっすらと纏っているように見えた。それは、まるでこの世界に馴染み始めた彼自身の姿を映すかのようだった。


「刃に精緋鉱、芯に銀紡鉱。軽くはねえが、丈夫でしなる。お前の使い方を想定して仕上げた」


 トルグの声には、職人としての誇りがにじんでいた。リオは剣を見つめ、心の奥で呟いた。


(……まるで、日本刀じゃないか。柄も、鍔も、刀身も――全部だ)


 気づけば、口元に小さな笑みが浮かんでいた。その表情を見逃さず、トルグが鼻を鳴らして、にやりと笑う。


「……“イオリ”の注文と同じだよ。昔、あいつが頼んだのもこういう剣だった。だったらいっそ、全く同じに仕上げてやったのさ」

「イオリ……」


 リオはその名を繰り返し、胸の奥に何かが小さく響くのを感じた。トルグが顎をわずかに傾けて尋ねた。


「にしても、お前……なんでこの造りを見ただけでそんな顔した?初めて見る造りじゃなかったのか」


 リオは一拍置き、目を細めて剣の柄を見つめ直した。


「……きっと、俺と同じ場所から来たんだと思う」

「同じ所? そりゃどこだ?」


 リオはふと視線を斜め上に漂わせ、そして静かに答えた。


「……遠い、遠い所だよ」


 トルグは一瞬だけ眉を動かし、肩をすくめた。


「なんだ、そりゃ。……言いたくないって顔だな」


 しばしの沈黙が二人のあいだに流れたのち、リオは腰の革袋から財布を取り出した。中には、契約当初に半額を支払った証として取り置いていた残金――金貨十五枚。そして感謝の気持ちとして、さらに銀貨を数枚添えていた。トルグは無言でそれを受け取り、一枚ずつ丁寧に数え、無骨な指で棚の上に置いていった。


「確かに。ありがたい、遠慮なく受け取っておく」

「ありがとう。……本当に、いい剣を作ってくれた」

「感謝なんていらねぇさ。使いこなしてくれりゃ、それが一番の報酬だ」


 リオは一瞬だけ言葉に詰まり、照れたように視線を逸らした。それ以上は何も言わず、剣を手に取ると、軽く会釈して店を出た。外に出ると、春の光が彼の肩に降り注ぎ、剣の柄に巻かれた革の上で反射していた。街路の石畳を踏みしめながら、リオは新たな剣の重みを感じていた。まだ数歩しか歩いていないというのに、身体の芯まで感覚が研ぎ澄まされるような、不思議な気配があった。


 ──これが、武器を持つということか。


 その実感は、これまでの借り物とはまるで違っていた。あの鍔も、この柄も、刃の重みも、すべてが“自分だけのもの”として彼に応えてくる。剣を受け取ったその足で、リオはまっすぐに契約従事者連盟の建物へと向かった。掲示板には、今朝新たに貼り出されたばかりの依頼が何件か追加されている。その中に、彼の目を引く一枚があった。通常の街警備や荷運びとは異なる、“等級指定あり”の探索任務。任務地は、サヴェルナ北東の郊外にある古代遺構──かつて精霊の神殿があったと伝わる石窟だという。


 依頼札には、『等級指定:ミスリル級以上』と赤字で書かれている。その文言に、彼は無意識のうちに胸元へ手を伸ばした。革紐で首から下げている従事者証が、指先に触れる。小さな金属札は鈍い光を帯び、その表面には契約従事者連盟の紋章が刻まれている。用いられている金属はスチールで、それが現在の彼の等級──『スチール級』であることを示していた。


 契約従事者には、活動実績と評価に応じて等級が与えられる制度がある。最下位の『ブロンズ級』から始まり、『アイアン級』『スチール級』『シルバー級』『ゴールド級』、さらに上位の『ミスリル級』『オリハルコン級』『アダマンタイト級』、そして極めて稀な存在である最上位『星晶級』へと続く。等級が上がるほど、従事者証に用いられる金属も変わり、それが実力と信頼の目安とされていた。


 まだ届かない。だが、遠くもない。ミスリル級は、通常の術や武力では対処しきれない事案や、魔物への対応能力を含めた“精鋭”の証とされていた。そこに至るには、力だけでなく、実績と信頼の積み重ねが不可欠だ。この依頼にスチール級の彼が挑むことは、本来ならば許されない。ミスリル級以上のパーティでなければ受諾できない任務だ。


 この依頼が分相応ではないことは分かっている。それでも、今しがた手にした剣の感触が、頭のどこかで離れなかった。使うつもりで受け取った以上、振るうに相応しい場があるのではないか――そんな考えが、浮かんでは消える。彼は小さく息を吐き、その思考を引っ込めた。今の自分には関係のない依頼だ。結局その日は別の案件を選び、簡易な警備任務で三日ほど街を離れることになった。


 任務を終え、再び掲示板を訪れたその朝──掲示板の前で立ち尽くしていたリオの視界に、ひときわ目立つ一団が入ってきた。背丈の高い男が先頭に立ち、深緑の外套を肩に羽織っている。腰には二振りの短剣、背には長弓。首には、銀白の地にわずかな陰を含んだ光を帯びた『ミスリル級』の従事者証が揺れていた。その後ろには、魔術師風の女性と、大きな盾を背負った斧使いの若者。いずれも、同じ金属光沢を持つ証を携えていた。彼らの会話が、耳に届く。


「……まだ一人足りない。後方を任せられる人間がいないと、探索中に持たないぞ」

「今からでも声をかける? 条件に合いそうな人がいれば……」

「理想は支援系だが、随行でも構わない。周囲の警戒と雑務を任せられるなら事足りるぞ」


 その言葉に、リオの胸が小さく波打つ。すぐには動けなかった。だが、躊躇している時間もそう多くはなかった。リオは一歩、彼らに近づいた。邪魔にならぬよう間を測りながら、一団の横へと歩み寄る。自分のような等級の者が、無遠慮に割り込むべき場面でないことは承知していた。だが──それでも今ここで、名乗らなければ、何も始まらない。


「あの……」


 リオの声に、最初に反応したのは、長弓を背負った男だった。振り向いた瞳には、一瞬の警戒と、それに続く観察の色が浮かぶ。


「お前、何級だ?」

「スチール級です。ただ……支援系ではありませんが、探索で足を引っ張ることはしません」


 静かだが芯の通ったリオの声に、男の眉がわずかに上がった。


「名は?」

「リオ・ナカムラ」

「家名持ちか……どこの出身だ? どこかの貴族の坊ちゃんか何かか?」


 一瞬、答えに詰まりかけたが、リオは微笑を浮かべた。


「遠い国から来ました。たぶん、あなた方の知らない場所です」


 男はしばし無言で彼を見つめた。その背後で、魔術師風の女性が彼に何か囁いた。耳を傾けた男は、やがて頷き、肩をすくめるように言った。


「……いいだろう。お前を随行に加える。ただし、勝手な行動は一切許さない。それと、指示には必ず従え」

「了解しました」


 リオは深く頭を下げる。胸の奥に、小さな火が灯るのを感じた。自分の剣を得て、初めての本格的な任務。それも、かつてないほどの高難度。そして何より――他者と肩を並べて戦う、という経験。新たな一歩が、静かに始まろうとしていた。


 出発までには、まだ四時間ほどの余裕があった。一行は連盟の補給所に集まり、それぞれの装備確認と補給を行っていた。リオも、すでに背に新調した剣──まだ名の無いそれを負い、腰には小型の救急袋と、クララに教わって用意した簡易の魔除け符を括り付けていた。弓の男──名をカイという──は、長弓と補助の短剣に加え、折り畳み式の罠具わなぐを持ち歩いていた。身のこなしといい、周囲への視線の配り方といい、明らかに経験豊富な探索者だった。


彼の隣で、術理師の女性が装備を整えていた。黒と紫の刺繍が施された術衣に身を包み、腰帯の内側には回復や解毒に用いるポーション類を収めている。外から目立つ装備ではないが、必要なものがすぐ手に取れるよう整えられているのが分かった。名はセルディア。防御結界や探索補助の術に詳しく、霊素との共鳴も可能な術理師で、高難度探索では後方を支える要として知られている。


「……それにしても、あの子、本当にスチール級かしらね」


 セルディアは横目でリオを盗み見た。彼の内に沈んでいるマナの密度が、どうにも周囲と釣り合っていない。表面上は未熟な気配すらあるのに、その奥におりのように沈んだ“深層”がある気がしてならなかった。単なる直感なのか、それとも……。彼のまとう空気は、妙に静かで、異質だった。まるで、この世界の理とは別の理で生きているような。小声でセルディアがカイにささやくのが聞こえたが、リオは聞こえなかったふりをして水袋の確認を続けた。


 もう一人、やや離れた場所で、無言のまま指を握っては緩めているのが、圧倒的な怪力を持つ男──ブルノだった。。無口で表情も乏しいが、斧の扱いに関しては熟練そのものと聞いている。彼の存在が、この一行の“圧”を決定づけているようにも見えた。


「荷はまとめたな。出るぞ」


 カイの声に全員が頷く。連盟の建物を背に、一行は静かに街を後にした。春先の風はまだ冷えを含み、肌を撫でるたびに身を引き締める。街路樹の影が長く伸び、陽の差す舗道にも微かな霜の痕跡が残っていた。季節の境目が、そこかしこに滲んでいる。リオはその後ろ姿を追いながら、自らの足が、ようやく“道”を歩み始めたことを実感していた。市門を出てすぐ、街の明かりが徐々に遠ざかっていく。リオは思わず空を仰いだ。夕暮れが空の端を茜に染め、夜の帳が少しずつ降りてきている。


「……この時間から出るんですか? 夜の野営は危険だと聞きましたけど」


 疑問を隠せず口にしたリオに、先頭を歩いていたカイが歩調を緩めずに答えた。


「通常はな。ゴールド級以下には勧められない。だが、等級が上がると事情が変わる」

「事情、ですか」

「俺たちは、危険な場所へ行くというより、“見せられない場所”へ行くことが多くなる」


 淡々とした口調だった。


「依頼の内容自体が、知られて困る類のものも増える。余計な目に触れないことが、そのまま安全につながる場合もある。夜行は、そのための手段だ」


 脇を歩くセルディアが静かに言葉を継ぐ。


「術理の面でも、夜の方が条件は良いのよ。灯りや人の動きが少ない分、周囲のマナの流れが安定するの。昼間は、どうしても環境が騒がしくなるから」

「読み取りやすい、ということですか」

「そう。特に探索補助系の魔法は、余計な揺らぎがない方が精度が出るの。夜行は、その前提を整える意味があるわ」


 カイが短く頷いた。


「だから夜に動く。目立たないためじゃない。守るべき情報と、扱う術理のためだ」


 カイの言葉は端的だったが、そこには明確な理由があった。リオは内心でうなる。彼らが単に力を誇示するような無謀な行動を取っているのではなく、経験に裏打ちされた合理的な判断で動いていることに、改めて敬意を覚えた。


 しばらく歩を進めるうち、道はやがて未舗装の街道へと変わり、まばらな街灯すら届かない闇が辺りをじわじわと浸食し、空の端から夜の色が濃く垂れてくる。足元では風が草を揺らし、かすかな乾いた音が耳に触れた。


「あの、皆さん……せっかくですし、道中で自己紹介などいかがでしょうか?」


 リオが意を決して口を開いた。先頭を歩いていたカイが、足を止めずに応じる。


「いいだろう。俺はカイ。契約従事者、ミスリル級。得意なのは偵察と狙撃。それと……罠の設置だ」

「セルディアよ。魔導師。主に風理と光理を扱うわ。索敵や認識補助、防御結界の構築が得意分野ね。状況次第で磐理も使うけれど……前に出る役じゃない、ということだけ覚えておいて」


 聞き慣れない理の名が並び、リオは一瞬、呆気にとられた。意味までは掴めないが、どこかで耳にした響きだ。――そうだ。クララが、以前そんな言葉を口にしていた気がする。記憶の端を掠めただけで、理解にはほど遠い。それでも今は問い返さず、リオは小さく頷いた。


 セルディアはちらりとリオを見やった。表に立つ力の気配は薄い。だが、内側には、測り切れない奥行きがある。マナの流れを読む感覚の中で、彼の内にある何かが、外へ出ようともせず、かといって消えもせず、静かに滞留しているのが感じ取れた。


「……ブルノ」


 最後に呟いたのは、斧を背負った男だった。


「斧……振るう。以上」

「えっと……ありがとう。俺はリオ・ナカムラ。まだスチール級だけど、皆さんの足を引っ張らないように精一杯頑張ります」


 わずかではあったが、互いのことを知ったことで、一行の間にほんの少し、連帯の空気が芽生えた。

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