【第二章:旅の礎】第五話:力と才、そして兆し

 リオの変化は、誰の目にも明らかだった。日々連盟でこなしていた訓練と依頼の数々。異世界から来た者特有の、マナの吸収効率が極めて高い彼は、その恩恵を余すことなく活かし、剣技や戦闘勘、さらには依頼への対応力まで、目に見える速度で身につけていった。はじめは軽作業や荷運びが中心だった依頼も、次第に内容が変わり、魔物の出没が報告されている街道の護衛や、旧時代の遺構、古戦場跡の探索といった、経験者の同行を前提とした任務ではあるが、参加するようになっていた。実績を一つずつ積み重ねるにつれ、連盟内でも「任せられる場面が増えてきた存在」として扱われるようになっていた。


 ある夏の朝、リオはサヴェルナ旧市街の一角、煙と鉄の匂いが立ちこめる鍛冶屋街を訪れた。そこは石畳の路地に古びた建物が連なる一画で、頭上には煤けた煙突がいくつも突き出し、昼夜を問わず煙を吐いている。通りには焼けた鉄と油の混ざったような匂いが充満し、耳には槌音と火のはぜる音が絶えず響いていた。


 彼が足を止めたのは、路地の奥まった場所にある一軒の鍛冶屋だった。建物は黒ずんだ赤煉瓦で組まれ、炉に近い外壁の一部には、熱と火の粉から守るための鉄板が打ち付けられている。入口の上には鉄製の看板が掲げられ、そこには『炉守のトルグ』の名と、槌と火を象った紋章が刻まれていた。扉を開けると、むせかえるような熱気と共に、金属の焼ける匂いが一層濃く押し寄せてきた。店内は薄暗く、天井から吊り下げられたランタンと、炉の炎だけが赤々と灯っている。


 壁には様々な武具や工具が所狭しと掛けられ、中央には大きな鍛冶台に据えられた、使い込まれた金床が鎮座していた。炉の奥では溶けた鋼が鈍く赤く光を放ち、炉の脇には火の粉を浴びた古びた防具や、未仕上げの武器の束が山のように積まれている。空気は重く、湿度と熱気で肌に貼りつくようだったが、それはどこか凛とした緊張感を伴っていた。ここが、誰かの命を預かる道具を作る場所なのだと、リオは直感した。


──そろそろ、自分専用の武器が欲しい。


 そう思い至ったのは自然な流れだった。訓練用の剣や貸与装備では、彼の成長速度に追いつかなくなっていたのだ。扉を押して入ったリオを、店の奥にいたドワーフの鍛冶師──煤の匂いをまとった頑丈そうな体躯のトルグは、ちらりと一瞥した。


「……フンッ」


 低く鼻を鳴らすと、ひと目だけこちらを見て、すぐに目前の作業へと戻った。トルグは今、一本の細身のレイピアを鍛えていた。


「こいつが仕上がるまで動けねぇ。もう暫くかかる。待てるならそこに座ってな」


  そう言うなり、彼は灼熱の炉から赤く染まった鋼材を引き出し、火箸で受け止めると、間髪入れずに金床へと運んだ。甲高い音が工房に響き、次の瞬間には金槌が鋼に打ち込まれる。リオは無言で頷き、壁際の丸椅子に腰を下ろした。炉の熱気が肌を撫で、火花の散る音と槌打ちの衝撃が、一定の間を刻んで空間を満たしていく。鍛造は、想像していた以上に繊細な仕事だった。力任せに叩いているように見えて、その実、金槌の打ち込みには無駄がなく、わずかな歪みや癖も逃さない。加熱と冷却、整形と修正が、一息の中で自然に繰り返されていく。リオは口を挟むことも、視線を逸らすこともなく、ただ黙ってその一連の流れを追い続けていた。


 やがて工程を終え、次に火へ戻されるべき色合いになったところで、トルグは金槌を置いた。分厚い手で額の汗を拭い、短く息を吐く。


「……さて、待たせたな。用件は?」


 リオは一礼し、真っ直ぐに答えた。


「両手剣をお願いしたいんです。ただの重い剣ではなく、それ一本で攻防を兼ねるような──盾を持たずとも、斬撃も防御もこなせるようなものを」

「……剣一本で攻めも守りも、か。そりゃ達人のやる芸当だ。お前に、そんな真似ができるのか?」


 リオは静かに息を整えた。


「盾と剣、両方を同時に使いこなせる器用さが自分にあるのか、正直分かりません。咄嗟の状況で、持ち替えや切り替えを迷うくらいなら、最初から一本で完結する武器が欲しいんです」


 少しだけ肩をすくめて、リオは続けた。


「それに、盾って持ち歩くのも厄介で……正直、荷物になります。父に、昔よく言われてました。できるかどうかじゃなくて……やるって決めたなら、迷うな、って」


 しばしの沈黙の後、トルグはふんと鼻を鳴らし、頷いた。


「……まぁいいだろう。ただな──そういう使い方をする剣だってんなら、ちょっと話が変わってくる」


 トルグは腕を組み、炉の火をじっと見つめながら言葉を続けた。


「斬って、防いで、受けて、流して。剣一本で全部こなすってことは、堅さとしなやかさ、両方を兼ね備えた鍛え方をしなきゃならねぇ。刃こぼれせず、しかも衝撃を受け流せる柔らかさも持つ──そんな剣は、簡単に出来るもんじゃねぇ。下手すりゃ、どっちつかずの半端もんになる」


 彼はリオを鋭く見据えた。


「それでも作りたいってんなら……現実の話をするぞ。──予算と素材はどうする?」

「まだ決めていません。どんな素材があるのかも分かりません。教えてもらえますか」


 トルグは炉の横の棚を指しながら、ひとつひとつ語り始めた。


「常用の素材としては“鉄霊鉱てつれいこう”と“鍛鋼石たんこうせき”がある。扱いやすくて丈夫だが、特別感はない。もう少し奮発するなら、“夜哭鉱やこくこう”──赤く光る希金属で、高い靭性と魔力伝導性を持つが、採掘も加工も難しい」


 さらにトルグは小声で続けた。


「そして、“精緋鋼せいひこう”。クロムヘヴン近郊の火山地帯でしか採れねぇ。火にも魔法攻撃にも強く、鍛えれば鍛えるほど使い手に馴染む。一級品だが、鍛造も高難度でな。俺の手持ちを使うなら金貨二十五枚は覚悟しろ。素材持ち込みでも十五枚はかかる」

「“銀紡鉱ぎんぼうこう”もある。軽くて強靭、魔力との親和性が高い。芯材として使えば追加で二枚、全芯に使うなら五枚追加だ。単体でも使えるが、加工は面倒だぞ」

「……芯材として使うのと、全芯に使うのとで、何が違うんですか?」


 リオの素朴な疑問に、トルグは顎鬚を軽く撫でながら答えた。


「芯に使うってのはな、外側は普通の鋼で、中に一本だけ銀紡鉱を通すやり方だ。少ない量で衝撃を受け止められる。だが全部を銀紡鉱で組むとなると話は別だ。軽くはなるが、加工の難しさが跳ね上がる」


 リオはしばらく考えたあと、口を開いた。


「……ミスリルとか、オリハルコンみたいな金属はないんですか?」


 リオの問いに、トルグは一度だけ鼻で笑った。


「あるにはある。だが、剣向きじゃねぇ」

「え?」

「硬すぎるんだよ。ミスリルも、オリハルコンもな。鎧に使う分には文句はねぇ。刃を弾くには、ああいう金属が一番だ」


 トルグは炉の脇に立てかけられた古い剣を、顎で示した。


「だが剣は違う。斬るたび、受けるたび、衝撃を全部自分で食らう。硬すぎりゃ、逃げ場がねぇ。最悪──折れる」


 短く言い切ってから、続ける。


「ミスリルの鎧に、ミスリルの剣で斬りつけたらどうなると思う? 運が悪けりゃ、剣のほうが先に逝く」


 リオは黙ったまま、何度か小さく頷いた。


「剣に要るのは、粘りだ。衝撃を受けて、曲がって、戻る。その繰り返しに耐えられるかどうかだ。だから、ここにある鋼材を使う」


 リオは少し考えてから、言った。


「……芯──つまり、全芯に銀紡鉱、外装に精緋鋼。それでお願いできますか?」


 トルグはぴたりと手を止め、目を見開いた。


「……ほぉ。ずいぶん攻めるな。“精緋鋼”だけでも高級素材だが、全芯で銀紡鉱とは。贅沢ってレベルじゃねぇ。けど、理には合ってる……面白ぇ。鍛造料だけでも十五枚はもらう。それに手持ちの素材を使うとなれば──三十枚は下らん」


 そこまで話を聞いていたところで、リオはふと何かを思い出したように、懐に手を入れた。


「……そういえば」


 彼はそっと、あのつばを取り出した。


「この鍔、使ってもらえませんか」


 トルグはそれを受け取り、一目見た瞬間に目を見開いた。


「……こいつは……こいつ、“鍔”って奴じゃねぇか?」


 分厚く黒ずんだ指先──金属を何百回も打ってきた、まるで鉄そのもののような肌だ──で縁をなぞりながら、彼はまじまじと見つめた。


「……前に似たような部品と剣を作ったことがある。ありゃあ、随分と変わった注文だったが……」

「……見たことあるんですか?」


 リオが驚いたように問いかけると、トルグは目を細め、遠い記憶をたぐるように頷いた。手のひらの上で角度を変えながら見つめ、指先で縁をなぞる。その表情が徐々に引き締まり、そして遠い記憶を辿るように目を細めた。


「……昔──もう百年は前になるか。クロムヘヴンにいた頃の話だ。ある剣士に頼まれて、一本鍛えたことがある」

「ひゃ、百年も前……?」


 思わず声を漏らしたリオに、トルグは怪訝そうに目を細めた。


「……何をそんなに驚いてやがる」

「いえ……その……百年前のことを“自分の経験”として語るなんて……」


 リオが言葉を濁すと、トルグは心底呆れたというように鼻を鳴らした。


「おいおい、冗談だろう。ドワーフの寿命は三百、四百年が普通だ。そんなことも知らねぇのか?」

「……知りませんでした」


 リオが正直に答えると、トルグはさも呆れたという表情で、ぶっきらぼうに言い捨てた。


「まったく……近頃の若いのは、常識ねぇな」

「剣士……ですか?」

「“イオリ”って名だった。人間だったが、何かが違ってた。鋼材を幾重にも折り重ねろ、芯材を包むように造れ、剣に特別な粘土を塗って焼き入れしろ──刃は薄く、背は厚く。炉で真っ赤に熱したら、一気に水に沈めろ……だったかな。どう冷やせば刃が硬く、背がしなやかになるかとか、刃文とやらの模様が魂だとか……とにかく注文が細けぇんだ。鍛冶屋泣かせの面倒くせぇ依頼人だったな。だが、あの気配に逆らえなかった。鍛冶屋として、怖気おぞけが走ったのはあれが初めてだったな」


 トルグはしばし沈黙し、鍔をそっと机の上に置いた。


「後に聞いた噂だ。奴はその剣一本で、どんな敵でも一刀両断したってな。……まったく人の技じゃないよな。いや、今でも信じちまいそうになるんだ、あいつが何か別の“存在”だったってな」


 リオは黙って鍔を見つめた。その鍔が、まるで何かを語りかけてくるような気がした。


「……そんな剣士がいるなら、会ってみたかったです」


 素直な言葉だった。尊敬と、わずかな羨望が滲んでいた。トルグはふっと鼻を鳴らし、炉の火をかき混ぜるように鉄棒を差し入れた。


「その鍔を使うことに異論はねぇ。ただし──どうせなら“イオリ”と同じような構造にしてみるか?」


 一瞬の沈黙。だが、リオの目がわずかに輝いた。──“鍔(つば)”、鋼材の折り重ね、粘土で刃と背を区分けして冷却、刃文……それって、まるで──日本刀じゃないか?思わず鍔に目を落とす。昔、テレビで見たドキュメンタリーを思い出す。日本刀を打つ工程と、今トルグが話した“イオリ”の注文内容が驚くほど一致している。──まさか……“イオリ”も、僕と同じ世界から?脳裏にそんな思いがよぎり、胸の奥が妙な熱を帯びる。


「……俄然、興味が湧いてきました。それでお願いします」


 リオは静かに、しかし力強く頷いた。


「……で、値は変わらないんですよね?」


 リオがさりげなく尋ねると、トルグはピクリと片眉を上げた。


「当たり前だ、馬鹿野郎!“イオリ”と同じような構造だってんなら、本来もっと吹っかけてもいいくらいだ。あんな面倒くせぇ依頼、二度とご免だと思ってたくらいでな。──これ以上は一枚たりとも負けられねぇ。嫌なら他所へ行きな」


 その言葉に、リオはすぐに謝罪した。


「申し訳ありません。職人の矜持を傷つけるような真似をしました。訂正します」


 その返答にトルグは満足げに鼻を鳴らし、頷いた。


「……よし、なら話は早ぇ」


 リオは懐から革袋を取り出し、中から金貨を一枚ずつ丁寧に数えて並べた。


「内金として、金貨十五枚。残りは完成後に」


 金貨の山を見て、トルグの目がほんのわずか細まった。


「……受け取った。やるからには全力で鍛えてやる。期待して、待ってな」


 こうして、一振りの剣が生まれようとしていた。

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