第6話 深夜の訪問者
ぼんやりと灯るオイルランプが、簡素な家の室内を照らしていた。
静かな夜の気配に混じって、初基の前には――ひたすらに白い少女が座っている。
肌だけではない。髪も、睫毛すらも透き通るほど白い。
まるで“砂糖菓子の彫刻”のような、不自然なほど白く無機質な存在。
そんな人間離れした風体の少女が、まるで当然のような顔で向かいの椅子に腰掛けている。
「……まずは確認したいんですけど。どうして俺の家に?」
初基は言いながら距離を取りつつ、視線だけはそらさない。
こんな夜中に、どこの誰とも知れない少女。
だが村の雑貨屋のフレスが「ブランマンジェは人間に友好的な精霊だ」と言っていたことを思い出す。
――仕方ない。話だけは聞こう。
少女は薄く笑うと、まるで待ち望んでいたかのように口を開いた。
「やっと会えましたね、初基さま」
少女の声は甘く、柔らかく、心の奥に染み込んでくるようだった。
思考を溶かすような響き。
長く聞いてはいけないと、本能が警告してくる。
「生憎、深夜の突然の来客を歓待するほどの余裕はないんですけど……。あなたはいったい?」
「ブランマンジェといいます。名前くらい聞いたことありませんか?」
フラクタルの精霊。お菓子を作る、村の噂話。そんな程度の情報しか知らないが。
しかし次の瞬間、その少女はさらっと言ってのけた。
「岩澤初基さま」
初基は椅子から背筋を浮かせた。
「……俺、苗字をここらで名乗った覚えはないんだけど」
正確には、この世界に来てから一度も本名である“岩澤”と名乗った覚えはない。
「何ででしょうね~。私自身も不思議なんですよ。すごく不思議なんですよ」
疑問に疑問を重ねてくる。
白い少女の声は軽やかだが――甘く、柔らかく、溶かすように伸びる声。
それは紅茶に溶かした砂糖がじわりと広がるような、抗いようのない甘さだった。
◆
「私がここに来た理由は単純明快です。訳も分からずこの世界に転移してきた初基さんに、この世界のことを教えてあげようと思って」
「……俺が異世界転移してきたことも知ってるのか」
「もちろん。記憶喪失のシールさんやウールさんのことも。あなたがこの世界で直面しているほとんどのことを、最初から“なぜか”知っています」
その言葉に、初基は自分の呼吸が浅くなるのを感じた。
最初から知っていた?
なぜ?
そもそもこの少女は何者なんだ?
「疑うのはわかります。でも、まずはお茶でもどうですか? こんな話、喉が渇きますよ?」
ブランマンジェはパチンと指を鳴らす。
次の瞬間、どこからともなく銀のポットと白いティーカップが現れた。
テーブルにそっと置かれたとき、ほんのかすかなアーモンドの香りが漂う。
「今……どこから?」
「ふふ、おそらくアイテムボックスってやつですかね~? 容量はとても少ないみたいですけど」
水の入った小鍋と小型コンロも出すと、慣れた手つきで火を起こし始めた。
その光景に初基は一瞬「便利だな……」と思うはずが、同時に寒気にも似た違和感が走る。
どうして自分の行動すら疑問形なのだと。
「ところで初基さん。この世界での生活には慣れましたか?」
「いや……まだ、全然……」
「まぁ、そうでしょうね。この世界はボードゲームみたいなものですから」
「ボードゲーム?」
初基が反応を返すより早く、彼女はひとりごとのように続けた。
「数学をモチーフに作られた人工的な世界。
特にフラクタルが組み込まれている。
あなたの持ち駒であるシールさんやウールさんは“ギャスケット”、“カーペット”フラクタルに基づいている……。
まぁ、今はまだ弱いポーンみたいな駒ですけど」
「……駒?」
「ええ。クリア条件は、この世界を浸食から救い出すこと。対戦相手が誰かは――まぁ、追々わかることでしょう」
どう考えても正常な話ではない。
だが彼女の声は、淡々と、優しげに真実を告げているように聞こえる。
「信じるかどうかはあなた次第です。それでも、この世界を救うことができたら――」
少女は紅茶を注ぎながら、さも当然のように告げた。
「元の世界に帰る方法、教えてあげますよ」
◆
差し出された湯気の立ち上るティーカップ。
それに口をつけることに躊躇したのを読み取られたのか、笑い声にも似た声がかけられる。
「毒なんて入っていませんよ……」
「……!」
「私は戦闘能力を持ちませんが、毒などに頼らなくても、あなたくらいなら……。ふふ。冗談です。なので警戒せずに楽しんでください」
彼女は甘い毒のような声と微笑で楽しそうに言い放つ。
初基はあえて警戒心を押し殺し、紅茶を口にする。
ほんのり甘い香りと、少し懐かしいようなアーモンドの風味――悪くない。
「ミルクティーにアーモンドミルクを混ぜてるんです。私のお気に入りで」
この少女とこれ以上一緒にいることに、本能の警告がベルを鳴らし続けていた。
それでもこの存在からできる限り情報を引き出す必要がある。
今の自分たちがこの世界の情報を欲しているのは事実だからだ。
それに騙す意図があるなら、その意味を考える必要がある。
そういう思考になってしまうくらいには、明らかに常軌を逸した雰囲気の何か。
とにかくこの場は、この奇妙なお茶会に興じることにした。
「それと、お口が寂しいでしょう?」
ブランマンジェは微笑を保ったまま、テーブルにそっと皿を置いた。
そこには、雪のように白いぷるぷるの菓子――ブランマンジェ(お菓子)が形を揃えて並んでいた。
「これが私の能力なんです」
それが噂に聞いていた“回復効果のあるお菓子”だと、初基は気付いた。
ひと口食べると、確かに体が軽くなる感覚がある。
――甘くて、柔らかくて、目前の疑問すら、もうどうでもいいとすら思えるような感覚。
「どうですか? 私の……体、おいしいですか……?」
「……体って?」
「今日だけは特別製です……。すご~く恥ずかしいんですけど。私の体、おいしかったはずです……。すごくおいしかったはずです……。ふふふ……」
冗談とも本気ともつかない声。
次の瞬間――初基の視界が揺らいだ。
「ん……っ……なんか……目が……回る……」
「騙すようでごめんなさい。でも必要なことなんです。あなたに“適用”してもらわないと……」
視界がかすむ。思考が溶ける。
耳元で、少女の声がささやいた。
「……これで…………次は……」
手を伸ばしても、その姿は霞んで――
初基の意識は闇に落ちた。
■ボードゲーム「フラクタルガールズ」TIPS6
□フラクタルの精霊の共通法則
△外見は若い女性
△魔力密度が異常に高い
△“単一の図形に基づく魔法体系”を持つ
─サーキュラーなら円
─ブランマンジェなら曲線
△人間に対して好意的とは限らない
△“迷宮の拡大”と関連しているという噂
とくに最後はほとんど言及されないが、一部の学者のみが警告している。
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