第6話 深夜の訪問者


 ぼんやりと灯るオイルランプが、簡素な家の室内を照らしていた。

 静かな夜の気配に混じって、初基の前には――ひたすらに白い少女が座っている。


 肌だけではない。髪も、睫毛すらも透き通るほど白い。

 まるで“砂糖菓子の彫刻”のような、不自然なほど白く無機質な存在。

 そんな人間離れした風体の少女が、まるで当然のような顔で向かいの椅子に腰掛けている。


「……まずは確認したいんですけど。どうして俺の家に?」


 初基は言いながら距離を取りつつ、視線だけはそらさない。

 こんな夜中に、どこの誰とも知れない少女。


 だが村の雑貨屋のフレスが「ブランマンジェは人間に友好的な精霊だ」と言っていたことを思い出す。


 ――仕方ない。話だけは聞こう。


 少女は薄く笑うと、まるで待ち望んでいたかのように口を開いた。


「やっと会えましたね、初基さま」


 少女の声は甘く、柔らかく、心の奥に染み込んでくるようだった。

 思考を溶かすような響き。


 長く聞いてはいけないと、本能が警告してくる。


「生憎、深夜の突然の来客を歓待するほどの余裕はないんですけど……。あなたはいったい?」


「ブランマンジェといいます。名前くらい聞いたことありませんか?」


 フラクタルの精霊。お菓子を作る、村の噂話。そんな程度の情報しか知らないが。

 しかし次の瞬間、その少女はさらっと言ってのけた。


「岩澤初基さま」


 初基は椅子から背筋を浮かせた。


「……俺、苗字をここらで名乗った覚えはないんだけど」


 正確には、この世界に来てから一度も本名である“岩澤”と名乗った覚えはない。


「何ででしょうね~。私自身も不思議なんですよ。すごく不思議なんですよ」


 疑問に疑問を重ねてくる。

 白い少女の声は軽やかだが――甘く、柔らかく、溶かすように伸びる声。

 それは紅茶に溶かした砂糖がじわりと広がるような、抗いようのない甘さだった。



「私がここに来た理由は単純明快です。訳も分からずこの世界に転移してきた初基さんに、この世界のことを教えてあげようと思って」


「……俺が異世界転移してきたことも知ってるのか」


「もちろん。記憶喪失のシールさんやウールさんのことも。あなたがこの世界で直面しているほとんどのことを、最初から“なぜか”知っています」


 その言葉に、初基は自分の呼吸が浅くなるのを感じた。


 最初から知っていた?

 なぜ?

 そもそもこの少女は何者なんだ?


「疑うのはわかります。でも、まずはお茶でもどうですか? こんな話、喉が渇きますよ?」


 ブランマンジェはパチンと指を鳴らす。


 次の瞬間、どこからともなく銀のポットと白いティーカップが現れた。

 テーブルにそっと置かれたとき、ほんのかすかなアーモンドの香りが漂う。


「今……どこから?」


「ふふ、おそらくアイテムボックスってやつですかね~? 容量はとても少ないみたいですけど」


 水の入った小鍋と小型コンロも出すと、慣れた手つきで火を起こし始めた。

 その光景に初基は一瞬「便利だな……」と思うはずが、同時に寒気にも似た違和感が走る。

 どうして自分の行動すら疑問形なのだと。


「ところで初基さん。この世界での生活には慣れましたか?」


「いや……まだ、全然……」


「まぁ、そうでしょうね。この世界はボードゲームみたいなものですから」


「ボードゲーム?」


 初基が反応を返すより早く、彼女はひとりごとのように続けた。


「数学をモチーフに作られた人工的な世界。

 特にフラクタルが組み込まれている。

 あなたの持ち駒であるシールさんやウールさんは“ギャスケット”、“カーペット”フラクタルに基づいている……。

 まぁ、今はまだ弱いポーンみたいな駒ですけど」


「……駒?」


「ええ。クリア条件は、この世界を浸食から救い出すこと。対戦相手が誰かは――まぁ、追々わかることでしょう」


 どう考えても正常な話ではない。

 だが彼女の声は、淡々と、優しげに真実を告げているように聞こえる。


「信じるかどうかはあなた次第です。それでも、この世界を救うことができたら――」


 少女は紅茶を注ぎながら、さも当然のように告げた。


「元の世界に帰る方法、教えてあげますよ」



 差し出された湯気の立ち上るティーカップ。

 それに口をつけることに躊躇したのを読み取られたのか、笑い声にも似た声がかけられる。


「毒なんて入っていませんよ……」


「……!」


「私は戦闘能力を持ちませんが、毒などに頼らなくても、あなたくらいなら……。ふふ。冗談です。なので警戒せずに楽しんでください」


 彼女は甘い毒のような声と微笑で楽しそうに言い放つ。


 初基はあえて警戒心を押し殺し、紅茶を口にする。

 ほんのり甘い香りと、少し懐かしいようなアーモンドの風味――悪くない。


「ミルクティーにアーモンドミルクを混ぜてるんです。私のお気に入りで」


 この少女とこれ以上一緒にいることに、本能の警告がベルを鳴らし続けていた。


 それでもこの存在からできる限り情報を引き出す必要がある。

 今の自分たちがこの世界の情報を欲しているのは事実だからだ。

 それに騙す意図があるなら、その意味を考える必要がある。


 そういう思考になってしまうくらいには、明らかに常軌を逸した雰囲気の何か。

 とにかくこの場は、この奇妙なお茶会に興じることにした。


「それと、お口が寂しいでしょう?」


 ブランマンジェは微笑を保ったまま、テーブルにそっと皿を置いた。

 そこには、雪のように白いぷるぷるの菓子――ブランマンジェ(お菓子)が形を揃えて並んでいた。


「これが私の能力なんです」


 それが噂に聞いていた“回復効果のあるお菓子”だと、初基は気付いた。

 ひと口食べると、確かに体が軽くなる感覚がある。


 ――甘くて、柔らかくて、目前の疑問すら、もうどうでもいいとすら思えるような感覚。


「どうですか? 私の……体、おいしいですか……?」


「……体って?」


「今日だけは特別製です……。すご~く恥ずかしいんですけど。私の体、おいしかったはずです……。すごくおいしかったはずです……。ふふふ……」


 冗談とも本気ともつかない声。

 次の瞬間――初基の視界が揺らいだ。


「ん……っ……なんか……目が……回る……」


「騙すようでごめんなさい。でも必要なことなんです。あなたに“適用”してもらわないと……」


 視界がかすむ。思考が溶ける。

 耳元で、少女の声がささやいた。


「……これで…………次は……」


 手を伸ばしても、その姿は霞んで――

 初基の意識は闇に落ちた。


■ボードゲーム「フラクタルガールズ」TIPS6

□フラクタルの精霊の共通法則


△外見は若い女性

△魔力密度が異常に高い

△“単一の図形に基づく魔法体系”を持つ

 ─サーキュラーなら円

 ─ブランマンジェなら曲線

△人間に対して好意的とは限らない

△“迷宮の拡大”と関連しているという噂


とくに最後はほとんど言及されないが、一部の学者のみが警告している。

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