第2話
トッテンパンカーラには古い街並みが残っていた。入り口を掘り出して辿り着いた地下鉄駅は、荒れ果てた地上の惨状から守られている。暗視モジュールが視界に描き出す地面を踏んで線路に飛び降り、走る。ここからは自分の足が頼りだ。僅か20bkも走らないうちに、ハッ、ハッ……と、普段運動しない僕は早くも息を荒げ、脇腹に鋭い痛みを感じ始める。
まるで
「……大丈夫ですか、先輩」
しかし実際に聞こえてきたのは、耳を疑うような優しい言葉だった。僕は振り返りたくなったが、体力を無駄に消耗するだけだと思ってそうしなかった。
「僕の心配をしてる場合じゃないぞ、キリィエン」
「ですが、ペース配分は考えなければ」
「分かった、君は僕を馬鹿にしているんだな」
「いえ、恥ずかしながら、違います。私が……」
キリィは珍しく言葉に詰まったようだった。僕は振り返った。僕のすぐ後ろについていたはずのキリィは、いつの間にか2bkほど後ろにいた。
「──足を挫いてる。線路に飛び降りた時だな」
「申し訳ありません」
彼女は少し前傾姿勢で、左足を庇っていた。僕がそのまま歩み寄ろうとすると、彼女は緩めのペースではあるが走り続けて、僕を追い抜こうとする。僕は驚いて、「おいおいおい」と言いながらその腕を掴んだ。
「走れます」
「ペース配分を考えて、ここから歩いて行こう」
「駄目です、目的地までの距離は2jでは済みませんよ。それでは……間に合わない」
「どうして分かる? ████衝突は今起きるかもしれないし、今日中には起きないかもしれない、急いだところで目前で衝突が起こるかもしれないし、急がなくたって間に合うかもしれないんだ」
「……ですが、早い方がいいに決まってる」
「言っておくが、一番遅いのは、僕が君をおぶるパターンだ」
僕は決めゼリフ的にそう言った。
キリィは呆気に取られた後、ハアー……とため息を吐いて、僕に取られた手を僕の肩に置いた。
「これなら大丈夫ですか、先輩?」
キリィはそう言って、僕の方にグッと体重をかけて、右足でジャンプして僕と距離を詰めた。つまり、僕に杖になれと言っているのだ。僕はこれで呆れるほど、キリィと浅い仲ではなかった。
「身長的にしんどいだろう。腕に捕まるといいよ、レディ。██波防護服のゴワゴワした腕でよければね」
「パーティでは行方をくらましたくせに」
「おや、僕を探してくれたのか、君は」
「どこに行ってたんです?」
言葉を交わしながら、僕たちは進み始めた。僕は同じスピードで歩くことと、彼女の体重を支える腕の高さを一定に保つことに気を配った。
「ちょっとした同窓会だよ。やさぐれた研究者たちのブルーな飲み会さ」
「やさぐれた研究者? あなたが?」
「その反応は褒めてるんだよな? いかにも。僕はただのやさぐれた研究者ではなかった。だからここにいる」
「……でも、ちょっと不真面目なところは残ってるみたいですね。だって、一番到着が早い選択肢は……私を見捨てることだった」
「この道中、何度僕が君に助けられたか忘れたのか? キリィエン──それは兵士に丸腰で敵陣に突入させようとするのと同然のことだ」
キリィは(防護服に身を包んでいない、普段は)綺麗な格好の美人だが、元は貧しい人々が住む██汚染域の出身だ。故に旧時代の物に詳しく、第一次██汚染域であるトッテンパンカーラでの当該任務にあたっては助手を超えて案内役と言えるほどの大活躍だった。
「先輩は」
「何だい?」
「丸腰の兵士だとしても……その喩えに従うなら強化人間でしょう。知識という筋肉がある。武器など必要ありません」
「フッ、そうだとしても敵が████だからな」
僕はそう軽口で返してから、今の言葉が、キリィにしては珍しく自虐的で、僕を褒める内容だったことに気がついた。ふと横の頭を見ると、彼女は少し俯いているようだった。
「……どうした。まさか泣いてるのか? キリィ……」
ぐすっ、と、少し鼻を啜る音が聞こえた。
僕はどうしていいのか分からなくなって、とりあえず、彼女の分まで足元に気をつけて歩くことにした。僕は女性経験がない。汚染域出身で避けられていた当時16のキリィを優秀だと思って引き抜いた大胆さがあってそれはないだろうと思われるかもしれないが、あの頃キリィは痩せていて、僕は彼女を男だと勘違いしていたというオチだ。
「やめてくれよ。僕には君が泣く理由が分からない。慰めろったって無理だからな」
「…………」
「泣く必要はない。ペース配分だ、ペース配分。今泣いて体力を消耗するのは非効率的だ。泣くな、キリィエン。泣くな」
僕は緊張して、軍隊のような語調でそう繰り返した。するとキリィの啜り泣きは止まったような気がしたが、防護服で見えなかった。
線路は一直線に続いている。隣町のトッテンペルシエンに、████次元とこの世界との融合心の一つがある。
融合心を定期的に増やしながら徐々に広がる██汚染に追い詰められた人類は、研究を重ねた結果、ついに██汚染の特効薬█████の開発に成功した。だがその後、僕とキリィは、████次元の主とも言えるものはまだこの世界と接触しておらず、いずれそれが「衝突」した時汚染は一瞬にして致命的に進行するのではないか、という仮説に辿り着いてしまった。
それを発表した当時は、短期予測不能であるから非力な諸説の一つに過ぎずに終わってしまった。だが僕とキリィには長くともおよそ半年以内ではないかという予想があった。僕たちに不確定なそのことを全世界に対して警告できるほどの力はなかったが、何もしないわけにもいかず、█████の使用許可を取ることに専念し、第一次██汚染域であり最も危険なトッテンペルシエンの融合心に対して自ら赴くという計画に踏み切ったのだった。
「……笑ってくれないか、この線路が長すぎて、僕も何だか怖くなってきたよ。██に被曝して何か起こるとしたら、汚染域で暮らしてきた君の方が先だ。任務を完了するか、君と心中することになるか、どちらかの結果になると思ってここまできたけど……そうじゃない可能性もある」
キリィの息が整ったのが分かってしばらくして、僕はそう呟いた。
「先輩も、それを怖がってくれますか」
「僕が怖いのは、僕が一人になることだ。もちろん君が死ぬのも嫌だけど。君を怖がらせようとはしてないさ、██で死ぬのは一種の安楽死なんじゃないかって言われてるだろう。……ごめん、今の、不謹慎だったかな」
「相変わらず鈍い人ですね。私は、──先輩についていけなくなるのが一番怖いんですよ」
「────」
僕は黙った。彼女の言う通り僕は鈍い。キリィが僕に冷たいことは理解できるが、他人の気持ちを想像することはできない。だけども、今のキリィに、よく分からないまま返事をしちゃいけないことだけは分かる。
██は生命という存在を解体する。生命とは何か、その定義を、██は喰らい尽くす。それが「死」なのか、僕には分からない。例えばキリィが刺されて死ぬのと、██でいなくなるのとでは、僕の孤独の質は変わるのかもしれない。
いや、それは僕の感想じゃないか。キリィは何を考えてる?
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