猫カフェ

「次は、どこ行く?」


 メイド喫茶を出て、二人で街をぶらついていると高橋先生がスマートフォンをいじりながら私に訊いた。


「私は、どこでもいいです。それよりも、本当に奢ってもらう形でいいんですかね?」


 メイドカフェの代金は、高橋先生が払ってくれた。とはいえ、私は一円も持っていないからそうさせるしかなかった。するっと一万円札と五千円札を出していたからびっくりしたけどすぐに「弁護士ってやっぱ金持ってんな」と、優に五万円近くは入ってるであろう財布の中をちらっと見て納得したのだった。


「あぁ、いいよいいよ、気にしないで」

「いやでも、会計、一万円超えてましたけど……」

 ヤク中の顧客から巻き上げた大量の札束を数える彼氏を見ていたからお金の感覚が狂っていそうと思われそうではあるが、そのお金に私は触らせてもらったことがない。


「ん〜、副業やってるから大丈夫よ? 別に大した金額じゃないって。あたしが行きたかったのを強引に誘っただけだから」


 メイド喫茶の代金よりも、忙しなくスマホをスクロールしながら次にどこへ行くかのほうがよっぽど気になるらしい。


「次、猫カフェ行きたいんだけどさ」


 こっから歩いて5分のところにある、と高橋先生が情報を補足した。


「あ、大丈夫です」

「オッケー。ユリちゃんは、動物好き?」

「まあ、彼氏がうさぎ飼ってたんで」

 大麻の副流煙を吸いすぎたせいか、それとも寿命だからか同棲を始めた一年半後に死んでしまった。

「へぇ」

 高橋先生が、畏怖したのか目を丸くした。



 ――



 猫カフェに入店すると、ツンとしたアンモニアの匂いが鼻を掠めた。が、うさぎを飼っていたのであまり気にならないというかむしろ懐かしい匂いだった。

 アルコール消毒を済ませ、店員さんから注意事項の説明を受け、追加料金を払って購入したおやつ(猫用)を握りしめ、柵を開ける。


 多種多様な猫が、ひしめき合っているのはある意味壮観であり、メイド喫茶とはまた違う雰囲気に呑まれていると高橋先生が急にしゃがみ込んだ。具合でも悪いのかという私の心配は杞憂に終わった。


「よしよしよしよし、相変わらずべっぴんさんだねぇ〜、マロンちゃんは」


 マロンと呼ばれたトラ模様の猫が、ゴロンと寝そべって高橋先生にお腹を撫でさせている。


「猫、好きなんですか?」

「うん。ってか動物全般好きだけどね」


 まだおやつを見せていないのに、高橋先生の周りには人だかりならぬ〝猫だかり〟ができている。対照的に、棒立ちになっている私の足元には数匹の猫しか寄ってこないし、たまに寄ってきたとしてもジーンズをくんくんと嗅いですぐに離れていってしまう。


「私、やっぱり、シャブの臭いとかするんですかね」


 注射跡で汚れた腕をくんくんと嗅いでみる。プラスチックを燃やしたような胸のむかつくニオイは、逮捕されてから20日以上経っているので消えていると信じたいけれど、私の鼻は何百回とシャブ臭を嗅がされ麻痺してしまっているに違いなかった。


「全然だよぉ! 一見さんだから、猫さんたち警戒してるんだよ。あたしの場合は、何十回とおやつで釣って猫さんの気持ちファーストで接してきたからこうなってるだけ。言い方悪くすると、洗脳ってやつ」

 

 高橋先生が、両手でそれぞれ違う猫のお腹を撫でながら悪巧みをする人みたいに妖しく微笑んだ。高橋先生は猫たちを尊重しつつも撫で方を変化させていて、指先を立ててくすぐっているとき、細長く綺麗な指にぞくりとした。


「おやつ、あげてみたら」


 高橋先生に促され、私は丸いカプセルをジーンズのポケットから取り出した。

 その瞬間、猫たちがにゃあにゃあと喚き始め私はあっという間に猫だかりに取り囲まれた。


「あはは、裏切り者たちめ」


 楽しそうに高橋先生は笑っているけど、ジーンズを突き破る勢いで爪を立てて私の脚を猫がよじ登ってくるので私としては楽しむ余裕は欠片もない。


「痛い痛い痛い痛いーーっ! ちょ、痛いってホント!!」


 たまらず悲鳴をあげる私に構うことなく、ずんずんと私が握っているカプセル目掛けて登った挙句、カプセルの上部分に犬歯二本を突き立て、すごい力で噛みついて離そうとしない。


「ちょ、お前一匹の分じゃないっつーの!」

「あはは、マシロちゃん、抜け駆けしようとしてる」


 カプセルの上部分に噛み付いたマシロという名の白猫とカプセルの下部分を辛うじて指で掴んでいる私の攻防戦は――。


 ぱーーーーんっ。


 カプセルの上と下が分離し、おやつが四方八方に飛び散ったことで終結した。


 飛び散ったドライタイプのおやつを、我先に手に入れようとあちらこちらで〝ウー〟という唸りながら必死の形相で手に入れようとする猫たち(ざっと数えて20匹はくだらない)。

 床に崩れ落ちて、猫の毛だらけになりながらも大爆笑する高橋先生。


 カオスでしかない。

 やれやれ、と私の口から思わず嘆息が漏れた。


 一段落し、缶ジュース(猫が飲むといけないからカップでは提供できないらしい)に口をつける。


「いっぱい、引っかかれちゃったでしょう? 痛む?」

「大丈夫です。楽しかったんで」

「今夜ウチに来たら、絆創膏貼ってあげるね」


 高橋先生は、膝の上に箱座りしている黒猫の喉元をマッサージしながら「眠い? 眠いのか、そうか、ゆっくりお休み」と話しかけながら、喉を鳴らす猫に合わせて〝ごろごろ音〟を真似するように舌を震わせて微弱な音を出している。


 膝の上の黒猫に目を落としているため、高橋先生がまぶたを伏せているように見える。二重の線がくっきり刻まれたまぶたに私は吸い寄せられた。そこから目線を下ろして、綺麗な色とかたちをした唇が微笑の形を成していることを認めたとき、なぜだか、口の中に生唾が溜まっていることに気づいた。どうやら自分は高橋先生に見惚れるあまり、唾を嚥下することも忘れてしまっていたらしい。


 慈愛と美貌。

 どちらも完璧に兼ね備えていて聖女のようだと思った。


 手の届かない、遠い世界の人。クスリに頼る必要などない、猫たちと戯れてメイド喫茶で健全に幸せを感じることができる人。私とは住む世界の違う人。


 今度は、センチメンタルな気持ちになって、涙腺がふと緩む。


 猫を撫でる先生を眺めながら、私は焦った。


 元々先生は、寡黙な方なのかもしれないとさえ思ってしまうくらい、猫を膝のうえに乗せている彼女は何も喋らない。身も心も猫に預けきって猫を撫でるために手は動かしつつも、軽くまどろんでいる。


 私たちを取り巻く空気はいつの間にか静寂と化した。沈黙が長引くにつれて高橋先生がどんどん遠くなっていくような錯覚を覚えた。


 高橋先生に、見捨てられたくない。離れたくない。その思いが強引に、会話下手な私に口を開かせる。


「高橋先生」

「ん〜?」


 幼子をあやしつけるような声に意識を持っていかれ、くらっときた。


「どうして、先生はそんなに優しいんですか?」


「優しい、とは?」


 好奇心に満ちた顔で質問返ししてく彼女には自覚がないらしかった。


「いや、哲学的な問いではなくて私、ヤク中の犯罪者じゃないですか。なのに、なんでこんなにしてくれるのかなって純粋に疑問で」


〝こんなに〟の部分はうまく説明できない。くすり、と高橋先生が笑う。苦笑と微笑が混ざった、いわゆる〝照れ隠し〟の表情を浮かべて。


「……まぁ、あたしがやりたいからやってるだけだよ。それがあたしの優しさだと定義するのであればそれはどうぞご勝手にって感じだけれど」


 なんだかいきなり、ツンとされてしまった。


 まさしく、猫。


 確信をつかない答えに、うずうずする。高橋先生の優しさの理由をもっと深くまで掘り下げたい欲求が出てくる。


「弁護士って、皆、ここまでしてくれるもんなんですか?」


「人によるかな。あたしの兄弁は非行少年を連れてカラオケとかバーベキューとか行ってるけどね。自分たちの仕事はここまで!ってキッチリ区別している先生たちも勿論、いる。でもね、あたしは犯罪を犯した人をただ弁護したらそれで自分の役目が終わりだとは思ってない」


 自分の考えはこうだと伝える意思を宿した瞳で、まっすぐに私を見つめる。眼差しや言動から、強い使命感を感じる。


 そして過去に何かあったんじゃないかと思わせるような話し方に、好奇心が突き動かされた。


「なんで、弁護士になったんですか?」

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