Case.2・イミテーションの涙②
◇
午前中の予約患者の診療を終え、逢坂は診察室で伸びをした。ブラインドの隙間から覗く青空は原色に色づいて、季節の盛りを伝えている。
「……先生」
事務室との間を隔てるカーテンをわずかに開き、真優が低い声で呼ぶ。
「なんだよ。午前中の予約はもう終わりだろ? 受付閉めたか?」
「はい、閉めました。早くしてください」
「分かってるって……つかお前、なんか怖いぞ?」
真優の滅多に動かない表情筋が微かに動く。逢坂が目を見張る間に、真優の姿はカーテンの向こうに消えた。
代わりに白い耳がひょこんと飛び出したかと思うと、息を吸う音の後で裏声が響く。
『もう、患者さんいつまでも待たせちゃダメでしょ! 早くして!』
「……結月もこう言ってます」
サッと開くカーテン。
「分かった分かった……初めてのケースだから、俺もいろいろ考えたかったんだって」
「言い訳ですか?」
『見苦しいぞ!』
冷静と情熱。どちらがマシかと一瞬考えかけるも、結局どちらも言っていることは同じだ、と思考に蓋をする。
「なあ、ゆっきー」
呼びかけた名前に、一瞬真優がビクリとする。
『……なに? せんせ』
「お前、いま一瞬設定忘れかけただろ?」
『設定じゃないよ! 結月だよ!』
「はいはい」
逢坂は溜息を吐いて立ち上がり、棚の中からいくつかの薬剤を手に取る。
「診察、お前も立ち会え」
「結月に診させるんですか?」
顔の前に置いたゆっきーを傾けて、真優が顔を覗かせながら聞く。
「ああ……機械は俺の専門外だし、なんつーか、ゆっきーの方があの患者に近い気がする」
「……分かりました」
真優は無表情のまま、ゆっきーの片手を持ち上げ前後に振る。
結月は生前、「人の涙が見える」のだと言っていた。その能力で体内に涙が溜まる病――【
「んじゃ、呼んでくれ」
真優は逢坂のデスクにゆっきーを置き、待合にいるリーナを呼びにいく。
待合ベンチの端に座っていたリーナは、真優の呼ぶ声に閉じていた目を開く。
見た目からは人間と区別がつかないほど滑らかな動き。
アンドロイドは近年急速に導入が進んでいる。街中で姿を見かけることも増えていたが、面と向かってやりとりをするのは初めてだった。
「待たせて悪かったな。時間はまだ大丈夫か?」
「はい。ご主人様は午前中はデイサービスに行かれていますので、まだお戻りになりません」
逢坂は手元に置いたリーナのカルテに目を通す。本来は未成年の患者が記入する「保護者」の欄に、持ち主の情報が書かれている。
「で、涙を処方してほしいってどういう意味だ?」
「私は、涙を流したいんです」
澄んだ瞳を瞬いて、リーナは主張する。逢坂はデスクの上に置かれたゆっきーを一瞥してから、質問を重ねた。
「泣きたい理由は?」
「ご主人様のためです。ご主人様は、私に一緒に泣いてほしいんだと思います」
「本人がそう言ったのか?」
「……いいえ」
リーナはふと目を伏せる。微かに聞こえる電子音。迷うように揺れる瞳は、おそらく彼女が思考している合図。
しばらくして音が止まり、リーナは熱を逃がすように唇から息を吐いた。
「ご主人様は、ご自分が涙を流されると決まって私の方を見ます。そして、私が泣いていないのを見て、寂しそうな顔をなさるんです――ご主人様には、昨年まで旦那様がいらっしゃいました。旦那様と映画を見て、同じシーンでいつも一緒に泣いていらっしゃったので」
「……なるほどな。主人の命令ではなく、自分の意志で泣きたいと思ったってわけだ」
「はい。それが、最適解です」
逢坂は手にしていた万年筆の先を唇の下に押し当てる。
リーナの発言を電子カルテに要約して打ち込みつつ、再びゆっきーに目を遣った。
傍らで黙って聞いていた真優が動き、両手を伸ばしてゆっきーを抱き上げる。
「何か分かったか?」
逢坂は真優の目を見て問いかけた。真優はゆっきーで口元を隠しつつ、静かに頷く。
『診断名は分からないけど、リーナさんは病気だよ』
「え?」
ゆっきーが言うのを聞いて、リーナは一瞬フリーズする。
『涙を流そうと一生懸命になりすぎて、他の部分がおかしくなっちゃうの』
「ああ、なるほど――【
『そんな感じのやつ! この子の場合は、頭だね。せんせ、触ってみて』
「ん、ああ……」
逢坂は身を乗り出し、カールした前髪が覆う額に掌で触れる。
高い方から低い方へ。一瞬で沸騰するような熱が移った。
「うぉあっ、熱っつ!」
脊髄反射で離したもの、熱に触れた手は一瞬で焼かれてジンジン痛んだ。
リーナは目を丸くしてキョトンとした顔をしていたが、やがてクラッと大きく頭を揺らして椅子から落ちそうになる。
「危ね……!」
逢坂は手の痛みを無視してリーナの体を支えた。
「真優、アイシング」
「はい!」
すぐに反応した真優は、ゆっきーデスクの上に置いて、慌ただしく診察室を出て行く。
逢坂は目を見開いたままフリーズしてしまったリーナの体を抱き上げて、ベッドに横たえた。
鈍く、微かに聞こえる電子音。真優が持ってきた保冷剤を熱のこもる頭に乗せ、周辺にも敷き詰めてとにかく温度を下げる処置をする。ついでに、保冷材のひとつを火傷した右手に握り込んだ。
「……よく分かったな」
逢坂がポツリと呟いた言葉に、団扇で風を送っていた真優は一瞬動きを止める。ゆっきーに視線を向けて数秒逡巡したあと、躊躇いがちに口を開いた。
「そもそも機械は涙を流さない……って、思い込むのは、ダメです」
尻すぼみに消えていく声。逢坂は白い天井を仰いで吐息する。
「なるほどな……その視点はなかった」
「……ダメでは?」
「すみません」
「で、診断はつきましたが……どうするんですか?」
低い電子音が、空気を震わせ続けている。鈍く、重苦しい響き。
「涙を流すことに固執してるのは、それが『最適解』だって判断したからなんだよな。出した答えと身体反応がリンクしないもんで、思考するメインコンピュータに負荷がかかって熱暴走を起こしてんだ……俺はAIの専門家でも機械の専門家でもねえが、よくない状態だってことは分かる」
「じゃあ、涙を処方してください」
いつの間にか鈍い電子音が止んでいた。リーナはパチンと瞬きして、首を動かし逢坂を見上げる。
「それがあれば、私の症状は改善します」
「……」
まっすぐに向けられる眼差しを見つめ返して、逢坂はベッドから離れる。
デスクの上から薬品瓶を手に取り、その透明な液体をリーナの目線の先で振る。細い試験管状の瓶の中で揺れる、わずかな粘質を帯びる液。天井の照明に透けて仄かな虹色を映すのは、成分に含まれる油分が影響している。
「これが、涙だ」
リーナの瞳が瞬く。微かな電子音が鳴り、両手がゆっくりと持ち上がる。
「これが……」
「処方したとして、それで本当にお前の症状は改善すると思うか?」
「……思います」
リーナはもう一度瞬きして、はっきりとそう答えた。逢坂はフゥと短く息を吐き、デスクに戻って瓶の蓋を開ける。
そして、サイズの小さな容器に移し替えて、蓋を閉めた。
「あくまでサンプル分だ。処方とは違うからな」
「なぜですか?」
「もちろん効果が認められれば正式に処方する。――自分で確かめろ」
リーナに向き直った逢坂は、体を起こした彼女の手にサンプル瓶を乗せる。
「先生」
やりとりを見ていた真優が静かに手を挙げた。
「んぁ?」
「わたしもリーナさんについて行きます。実習ってことで、指導をお願いします」
「ぉん? え……?」
ベッドの上と、傍らから注がれる2つの強い視線。逢坂はガクリと項垂れ「夕方の診療時間までだぞ」と、力なく言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます