Case.2・イミテーションの涙③
◇
クリニックの前の通りでタクシーを拾い、リーナの告げた住所へ向かう。
30分ほどの乗車で辿り着いた目的地は、家というよりも屋敷と呼んだ方がしっくりくるほどの広い敷地にあった。周囲を囲む高い塀。入口横に取りつけられたパネルをリーナが操作すると、黒い柵状の門が自動で開く。
「すっげーな……」
病院の周辺で喧しく鳴いていた蝉も遠慮するように、蝉時雨は遠くからしか聞こえない。
「どうぞ。今はご主人様がひとりでお住まいです。たまにハウスキーパーのスタッフの出入りもありますが、常駐しているのは私だけです」
「はぁ……そうか」
「去年旦那様が亡くなられて、ご夫妻にはお子様がいらっしゃらないので奥様おひとりに……。ゆくゆくは、この家も売り出して、ご自身は施設に入られると仰っていました」
「……そうか」
逢坂はリーナの話に相槌を打つ。たったひとりの主人が施設に入ったら、リーナはどうするのか。
そこまで聞くのは踏み込みすぎな気がして、口を噤む。
広い庭を横切り、ようやく玄関にたどり着く。ドアの前にはちょうど送迎のワゴンが停まっていて、スタッフに手を引かれた老婦人が降りてくるところだった。
「奥様」
リーナは小走りで老婦人に駆け寄る。服装は上品だが化粧気はなく、総白髪をきちんとひとつに結い上げた柔らかい雰囲気の女性。
「リーナちゃん。今帰ったの?」
「はい、奥様。遅くなって申し訳ありません」
「いいのよ。さあ、映画の続きを観ましょうね」
「はい、奥様」
老婦人はリーナの手をしっかりと握る。視線を交わす2人からは、優しい信頼関係が滲んでいた。
リーナから紹介され、老婦人に挨拶を済ませた逢坂と真優も家の中へと招き入れられる。
2人は身を寄せ合いながら室内に上がり、シアタールームと呼ぶ部屋に入っていった。
一歩足を踏み入れると、中はまるで小さな映画館のようだった。正面の壁いっぱいに降ろされたスクリーンと、天井から青い光を照らすプロジェクター。薄暗い中にぼんやりと浮かぶ壁一面の本棚には、ずらりと映画のタイトルが並んでいた。
スクリーンの正面には2人掛けのソファーがある。リーナはそこに老婦人を座らせ、別の部屋から逢坂と真優用の椅子を運んできてくれた。
「ありがとう」
「いいえ。……あの、これはどうやって使うのでしょう」
リーナはワンピースのポケットに入れたサンプル瓶を少しだけ見せながら問う。
「泣きたいタイミングで、目尻に一滴垂らせばいい」
「分かりました」
リーナは取り出したサンプル瓶を右手に乗せ、ギュッと握り込んだ。
逢坂と真優は、サンプルの効果を見るためにリーナの横顔が見える位置に椅子を置き、並んで座る。
続き、と言っていた通り、途中から再生される映画。老婦人はスクリーンに映像が映ると、前のめりの姿勢になって瞳を輝かせる。画面は白黒で、字幕もないフランス映画だった。
老婦人はこのタイトルを何度も観ている様子で、時折台詞を諳んじてみては、微かに声を立てて笑う。
リーナは心の底から映画を楽しむ老婦人の横顔を、優しい微笑みを浮かべて見つめていた。
映画よりも、そちらの光景に心が震える。
体を揺らしていた老婦人の動きが止まり、片方の手を口元に添えてジィと画面に集中する。
スクリーンの映像を反射する瞳の膜ががフルッと揺れ、雫が溜まっていくのが見えた。
グズッ、と。ひとつ、洟を鳴らす音。深い皺の刻まれた目尻で膨れ上がった雫は、限界点で重力に引かれ、頬を伝い流れ落ちる。一度溢れた雫は次々と生まれ、膨れては流れるのを繰り返した。
綺麗な涙だった。思わず、淡い溜息が漏れる。
「先生」
真優に肘を突かれハッとする。逢坂は目で彼女に謝罪して、改めてリーナを見た。彼女の頬には、いつの間にか涙の線が光っていた。
「……どうだ?」
逢坂は一部始終を見ていた真優に問う。真優は難しい表情をしたまま、硬く唇を閉じていた。
彼女の反応を見て、逢坂はフゥと短く息を吐く。
映画はエンドロールとメインテーマを流して終わった。スクリーンには青い光が映り、室内をぼんやりと照らす。
「リーナちゃん? あらあなた……泣いたの?」
「奥様、これは……」
リーナの方へと伸びる手。リーナはその手を避けるように、わずかに身を引いた。
「涙まで流してくれるなんて、すごいのねえ」
老婦人は言いながら、リーナの手を取り持ち上げる。リーナの華奢な手を柔らかく包み込む皺の刻まれた手。その手はゆっくりと角度を変え、リーナの手の形を確かめるように、ゆったりと撫でた。
「リーナちゃんの手は、あったかいね」
フフッと、軽い笑い声。リーナは戸惑いを消して、何も言わずに微笑んだ。
「……先生? どうかしましたか?」
「ああ――見つけた」
真優は不思議そうに首を傾げる。逢坂は「また明日クリニックに来るように」とリーナに告げて、部屋を出る。
背中にピタリと添ってついてくる真優の気配を振り返り、逢坂は口角を上げた。
「今回は、魔法は必要ないみたいだ」
「……はあ?」
真優は納得のいっていない表情のまま頷く。彼女が持ち込んでいたゆっきーも、疑問を投げかけるように首を傾げていた。
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