第2話EP1-2 前編:灰色の夢、紫水晶の痛み
ギシッ、とベッドが大きく軋む音で、俺――ルシアン・フォルトは意識を取り戻した。
硬い木の板の感触が背中に伝わってくる。ここはもう、孤児院の皆と雑魚寝した場所じゃない。シミだらけの天井が、たった一人で生きていかなきゃならないっていう現実を教えてくれる。
窓の隙間から差し込む光が、部屋のホコリをキラキラと輝かせていた。今日から、俺の冒険者としての日々が始まる。九歳の身体には、独立っていうのはちょっと重いけど……やるしかない。
(……また、あの夢か)
目を覚ます寸前まで見ていた、奇妙な夢の光景が頭にこびりついていた。
空を突く灰色の塔、塔、塔。窓一つない壁がどこまでも続く、無機質な森。壁にはめ込まれた黒いパネルの上で、無数の赤い光がチカチカと点滅している。
意味は分からない。けど、なぜか「知っている」という感覚だけがあった。まるで、あの赤い光の一つ一つに、膨大なデータが詰まっているような……そんな感じだ。
「……行かなきゃな」
掠れた声で呟き、冷たいシャツとズボンに腕を通す。ベッドの脇に置かれた荷物が、今の俺の全財産だ。
まず、ギルドカード。ブリキ製の安っぽいプレートだ。
`[ギルドカード]`
`名前:ルシアン・フォルト`
`ランク:F(見習い)`
Fランク。最底辺からのスタート。昨日、孤児院の院長先生がくれた紹介状を握りしめてギルドの門を叩いた時のことを思い出す。受付のラインさんの優しい笑顔が、やけに心に染みたっけ。
次に、壁に立てかけたショートソード。これもギルドからのレンタル品。鞘から抜くと、刃こぼれだらけの刀身が現れる。歴代の見習いたちが使ってきたんだろう。今の俺にとっては、これが唯一の命綱だ。
最後に、小さな革袋。中には銅貨が三十枚と少し。寮費とメシ代を払ったら、ほとんど残らない。稼がなきゃ、すぐに飢え死にだ。
「……よし」
覚悟を決めて、俺は立ち上がった。
窓の外からは、街が動き出す音が聞こえてくる。荷馬車の車輪の音、商人たちの威勢のいい声、遠くから響く鍛冶屋の槌音。
(感傷に浸ってるヒマはない)
生まれた時からずっと感じている、何かを失くしたような喪失感。でも、そんなものを気にしてる余裕はない。今日から俺は、冒険者ルシアン・フォルトとして、この世界で生き抜く。
扉に手をかけ、俺は戦場へと足を踏み出した。
***
朝の光が、壁一面の本棚に並ぶ魔導書を照らし出していた。インクと古い紙の匂いが満ちるその部屋は、まるで賢者の書斎のようだった。
ミリア・レーンフェルは、机に広げた古代語の文献からふと顔を上げた。九歳にして、彼女の日常は知の探求だけで構成されていた。
その、瞬間だった。
`[警告:未確認の魂の共振を検知]`
「……っ!?」
システムメッセージにも似た幻聴と共に、胸に鋭い痛みが走った。
咄嗟に胸元を押さえるが、これは物理的な痛みじゃない。もっと奥深く……魂の核に直接響くような感覚。そして、痛みと同時に、今まで感じたことのない感情の奔流が内側から溢れ出した。
――どうしようもなく、懐かしい。
(なぜ? この感情は……何?)
ミリアは柳眉をひそめる。彼女の世界は、論理と知識で構築されている。愛情や郷愁なんて、本の中の知識でしかないはずだった。
なのに、今この胸を締め付けているのは、紛れもない本物の感情。
まるで、ずっと昔に引き裂かれた半身が、世界のどこかで自分を呼んでいるような。会ったこともない誰かを、心の底から愛おしいと感じているような。
(……理解、不能。私のパラメータに、このような感情の揺らぎは記録されていない)
矛盾した感覚に、彼女の整然とした思考が乱れる。どの魔導書にも、この現象を説明する記述はない。
ふらつきながら窓辺に立ち、ガラスに映る自分を見る。銀の髪に、紫水晶(アメジスト)の瞳。いつもと変わらない、人形のように整った顔。でも、その瞳の奥で、何かが確かに変わろうとしていた。
失われた何かを、取り戻さなければ。
その衝動は、静かだが、抗うことのできない魂の渇望だった。
ミリアは、窓の外に広がるフォルティアの街並みを見つめる。
(世界のどこかにいる……『あなた』は、誰?)
その存在を感知する感覚は、耐えがたい痛みでありながら、どこか救いのように温かかった。
***
ギルドの重い扉を開けると、エールと汗、それに微かな鉄の匂いが混じった熱気が顔を撫でた。朝から酒を飲む屈強な冒険者たちの笑い声、武具がぶつかり合う音。活気、というよりは混沌だ。
(……ここが、俺の職場か)
俺はデカい男たちの足元をすり抜けるようにして、カウンターの奥にある依頼掲示板(クエストボード)へ向かった。
壁にはランクごとに依頼票がびっしりと貼られている。俺が見るのはもちろん、一番下の『F』ランクのボードだ。
「さてと……」
背伸びをしながら、羊皮紙に書かれた文字を一つ一つ読んでいく。
`[依頼:下水道の巨大ネズミ討伐]`
`ランク:F`
`報酬:銅貨50枚`
`条件:毒耐性スキル持ち推奨`
……却下。臭そうだし、何より毒はマズい。
`[依頼:マチルダ夫人の猫探し]`
`ランク:F`
`報酬:銅貨10枚`
……安すぎる。これじゃ赤字だ。
`[依頼:ゴブリン斥候一体の討伐]`
`場所:東の森`
`報酬:銀貨1枚`
銀貨一枚! 銅貨百枚分だ。これさえあれば数日は余裕で暮らせる。一瞬、心臓が跳ねた。だけど、すぐに冷静になる。ゴブリンは最下級モンスターだが、子供の俺が一人で戦うには危険すぎる。無謀な賭けは死に直結する。
それに、俺たちFランクの見習い期間は『保護観察』下にある。戦闘系の依頼は推奨されないし、失敗すれば即座に資格剥奪もあり得る。
(今はダメだ。もっと確実に……)
夢で見る灰色の世界。そこで何もできなかった無力な自分の感覚が、俺に「生き残れ」と警告している。
ボードの隅っこに、ちょうどいい依頼を見つけた。
`[依頼:月光草の採集]`
`場所:ギルド指定薬草園`
`数量:籠いっぱい`
`報酬:銅貨60枚`
これだ。ギルドが管理する薬草園なら、モンスターに襲われる危険はほとんどない。報酬はゴブリン討伐よりずっと少ないけど、確実な収入だ。今日の俺には、これ以上ない選択肢だった。
俺は決意を固め、依頼票を留めている鋲に手を伸ばした。
その時だった。
「あ、それ! 俺がやろうと思ってたやつだ!」
すぐ後ろから、快活な声が飛んできた。
振り返ると、そこにいたのは赤茶けた髪にそばかすが浮かんだ、俺と同じくらいの歳の少年だった。好奇心でキラキラした目が印象的だ。
「……悪いな。俺が先だ」
警戒しながら短く答える。依頼は早い者勝ち。それがルールだ。
俺が依頼票をぎゅっと握るのを見て、少年はニカッと太陽みたいに笑った。
「だよな! ちくしょう、タッチの差かよ! お前、名前は? 俺はカイル」
「……ルシアン」
「ルシアンか! よろしくな! もしかして、今日が初仕事?」
矢継ぎ早の質問に、俺は少し戸惑う。孤児院では、こんな風に馴れ馴れしく話しかけてくる奴はいなかった。
「……ああ」
「やっぱそうか! 俺もなんだよ。薬草採集が一番安全だって聞いて来たんだけどな……他にロクなのが残ってねえ」
カイルが残念そうにボードを見上げる。そして、何か閃いたように俺を見た。
「なあ、ルシアン!」
「……なんだ」
「その依頼、一緒にやらねえか?」
「……一緒に?」
予想外の提案に、俺は思わず目を見開いた。
「おう! 報酬は山分けになるが、二人でやれば倍の速さだ。それに、薬草園っつっても何が起こるか分んねえだろ? 一人より二人。絶対安全だって!」
カイルの言葉は単純だが揺るぎない説得力を持っていた。安全な場所ほど油断しやすい。リスクを減らせるなら、報酬が半分――銅貨三十枚になっても悪くない。
何より、このカイルって少年からは、裏表のある感じがしなかった。ただ、まっすぐな好意だけが伝わってくる。
(利用できるものは、利用する。それも生存戦略だ)
ほんの少し迷ってから、俺は頷いた。
「……いいだろう。組む」
`[カイルと一時的なパーティを結成しました]`
脳内にそんなシステムメッセージが流れた気がした。
「マジか! よっしゃあ! これで俺たちもパーティだな!」
カイルが嬉しそうに叫ぶ。
「大げさだろ」
「いーんだよ、形から入るのが大事なんだって! ほら、受付行くぞ!」
カイルが気安く俺の背中をぽんと叩く。不意の接触に少し身体が強張ったけど、俺は何も言わずに、ただ小さく頷いた。
初めての依頼。そして、初めての仲間。
俺たちは二人並んで、受付カウンターへと歩き出した。
***
受付を済ませ、ギルドの外に出る。カイルは依頼書に描かれた簡単な地図を頼りに、迷いなく西門へと向かった。
街の活気が全身を叩く。パンの焼ける匂い、鍛冶屋の槌音、人々の笑い声。そのすべてが新鮮だった。
西門をくぐり、街道を三十分ほど歩いただろうか。舗装された道とはいえ、緩やかな登り坂がじわじわと体力を奪っていく。
(なんだ……? ただ歩いてるだけなのに、なんでこんなにキツいんだ……?)
`[警告:スタミナが低下しています]`
肺が苦しい。額の汗が顎を伝って落ちる。この身体は九年間、動いてきたはずなのに、まるで長距離を歩くという基本的な動作を知らないみたいだ。また、あの夢の光景がノイズのように頭をよぎる。
――灰色の塔。明滅する赤い光。大地を踏む感覚が欠落した世界。
「おい、ルシアン? 大丈夫かよ、顔色悪いぞ」
カイルが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「……なんでもない」
「なんでもないって顔じゃねえよ。ほら、水」
差し出された革の水筒を、一瞬ためらってから受け取る。生温い水が、乾ききった喉に染み渡っていく。
「……助かった」
「気にすんなって。パーティなんだから、仲間だろ?」
カイルはニカッと笑った。その屈託のなさが、俺が今まで生きてきた世界のルールを少しずつ変えていくような気がした。
そこからさらに歩き、ようやく森の入口が見えてきた。『始まりの森 ~薬草園地区~』と書かれた古い立て札が立っている。
「よし、着いたな! やるぜ!」
すっかり元気を取り戻したカイルが腕まくりをする。
森に一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気が心地よかった。
「ええと、『月光草』は……青みがかった葉で、縁がギザギザ……これか!」
カイルがすぐにお目当ての薬草を見つけ出す。
「よし、手分けして探そう。日が暮れる前に集めちまうぞ」
「……ああ」
俺も頷き、地面に屈み込んで月光草を探し始めた。地道な作業だが、黙々とこなしていく。
やがて、蔓が密集している場所に出た。薬草がその下に生えている。
「ちっ、こいつが邪魔だな」
カイルは舌打ちすると、背中のロングソードを抜き放った。親父さんのお下がりだというその剣は、手入れが行き届いている。
ザシュッ!
乾いた音と共に、邪魔な蔓が一瞬で断ち切られた。
それを見て、俺も腰のショートソードを抜く。ギルドのレンタル品だ。カイルの真似をして、蔓に斬りかかった。
ガッ!
鈍い手応え。刃が蔓に食い込んで止まる。衝撃で腕が痺れた。
「っ……!」
腕力だけで振り回したせいで、全然斬れない。何度か無様に剣を振るい、ようやく一本を断ち切ったが、断面はボロボロだ。
「ははっ、ルシアン、剣は初めてか?」
カイルが悪気なく笑う。
「……見ての通りだ」
「だよな。焦んなって。貸してみろ。剣は腕力じゃなくて、腰で斬るんだ。こう、剣の重さを身体全体で乗せてやる感じ」
カイルが手本を見せる。その動きは滑らかで、剣が身体の一部みたいだった。
「……やってみる」
カイルの言葉を頭の中で繰り返し、腰の回転を意識して剣を振るう。さっきより、少しだけマシに刃が通った。
`[スキル『剣術(初級)』の習熟度がわずかに上昇しました]`
「おう、今のは悪くねえぞ! その調子だ!」
カイルが励ますように背中を叩く。
その単純な言葉と、手のひらの温かさが、なぜか強張っていた俺の心を少しだけ解かしてくれた気がした。
***
あとがき
お読みいただきありがとうございます!
ルシアンとカイル、二人の冒険が始まりました。
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