アルケリア・クロニクル LightNovelRemix
アズマ マコト
第1話Episode 1-1:夜明けのゼロ、始まりのコール
夜明け前の静寂。ルシアンは、またあの悪夢に捕まっていた。
灰色のビルが立ち並ぶ、見慣れない都市。警告を示す赤いランプが明滅し、世界を不吉な赤色に染め上げる。その光景を切り裂いて、鉄の塊が轟音と共に走り抜ける。――ああ、またこの夢か。
景色がぐにゃりと歪む。瓦礫の山の上に、誰かがいる。誰かが、俺の名を呼んでいる気がした。
夢の中の身体は、まるでデバフでも食らったかのように重い。必死に瓦礫を駆け上がり、手を伸ばす。そこにいたのは、鉄骨の下敷きになった少女だった。光のない瞳が俺を捉え、細い指先が助けを求めて空を切る。
「――助けて」
声にならない声。
俺の指が彼女のそれに触れた、その瞬間。世界はノイズに包まれ、少女の姿は光の粒子となって消えていった。
「……っ、はぁ……!」
ベッドから飛び起きると、心臓がうるさいくらいに脈打っていた。乱れた息が熱い。脳裏に焼き付いて消えない、悪夢のリプレイ。また、守れなかった。その記憶が、胸の奥でチリチリと燻っている。
(……落ち着け。HPが減ったわけじゃない。ただの夢だ)
孤児院の簡素な寝室。窓から差し込む青白い光が、見慣れた部屋を照らしている。夢がもたらした焦燥感を振り払うように、ルシアンは強く唇を噛んだ。こんな過去に囚われているままじゃ、レベルアップなんて夢のまた夢だ。
---
同じ頃、フォルティア中央魔法学院の女子寮。その最上階にあるバルコニーで、ミリアは一人、銀の水盤を覗き込んでいた。
彼女はビロードの小袋から、蒼い魔石を取り出す。それを水盤の縁にある窪みに嵌め込むと、微かな光が走り、魔術回路が起動した。
`[システムメッセージ:魔力回路、接続完了。広域索敵魔術『遠見(ファルサイト)』の起動準備に入ります]`
ミリアは静かに、古代語の呪文を紡ぐ。
「『Urruti, Ikusi, Lotu(ウルティ……イクシ……ロトゥ……)』」
その声に応え、水盤に集まったマナが光の粒子となって舞い、蒼く輝く魔法陣を描き出す。
やがて、夜の闇を映していた水面が、一枚の魔鏡へと変わった。そこに映し出されたのは、古びた石造りの建物――孤児院の庭だった。子供たちの輪から少し離れた場所に、一人の少年が立っている。
ミリアの視線は、その少年に釘付けだった。名も知らない。顔も、はっきりとは見えない。けれど、魂の奥底が告げている。この衝動は、まるで運命という名のクエストマーカーのようだった。
(どうして、あなたなの……?)
答えのない問いが胸を締め付ける。今はまだ、こうして遠くからその存在をサーチすることしかできない。遥か彼方で息づく、私の運命の片割れを。
---
夜明け前の孤児院。共同部屋の静寂が、いつもより少しだけ冷たく感じられた。ルシアンはベッドの縁に腰掛け、床に置いた古びた革鞄を見下ろしていた。中身は、彼の全財産。シャツが二枚、固いパン、そして母の形見だという一冊の古書。これだけで、レベル1の俺がどこまで行けるだろうか。
荷造りの手が、ふと止まる。見上げた天井の染みは、もう見慣れたものだ。ここで過ごした日々は、温かかった。家族のような仲間たち。このチュートリアルみたいな場所を出て、俺は一人でやっていけるのか? 未知のフィールドに裸で放り出されるような不安が、足元から這い上がってくる。
だが、それ以上に強い衝動があった。この壁の外には何がある? 俺はどこまで強くなれる? 確かめたい。その渇きが、不安を飲み込んでいく。ルシアンは最後の一枚を鞄に押し込むと、パチン、と留め金を閉じた。それは、過去との決別の音だった。
鞄を肩に、静かに立ち上がる。二段ベッドで眠る弟分たちの寝顔が目に入る。ここは、俺の最初の『安息地(ホーム)』だった。
もう振り返らない。そう心に誓い、音を立てずにドアを開ける。軋む蝶番の音が、新たな冒険の始まりを告げていた。
---
孤児院の門の前には、エドガー院長が立っていた。ルシアンが歩み寄ると、院長は何も言わずに分厚い封筒を差し出した。
「ルシアン。これを持って行きなさい」
封筒には『冒険者ギルド・東方支部 受付嬢ライン様』と書かれている。キーアイテム、というやつか。
「院長先生、これは……」
「私の古い友人でな。多少口は悪いが、根は優しい。お前のような無一文の駆け出しには、あれくらいが丁度いい」
院長は茶目っ気たっぷりに笑ったが、その声は微かに震えていた。この手紙は、ただの紙じゃない。院長が長年かけて築いてきた信頼という名の、俺への最後のバフだ。
「……ありがとうございます。俺、必ず……立派になって、恩返しに来ます」
「恩返しなどいらん。……ただ、生きて帰ってこい。辛くなったら、いつでも戻ってくればいい」
その言葉に、ルシアンは強く首を横に振った。ここで頷けば、やり直し(リトライ)前提の甘えが生まれてしまう。
「いいえ。俺はもう、ここには戻りません。……行ってきます」
深く頭を下げ、門に背を向ける。背中に感じる院長の視線が、痛いほどに温かかった。
***
フォルティア共和国の冒険者ギルドは、いつだって冒険者たちの熱気で溢れていた。
ルシアンが重い扉を開けると、むわっとした空気が流れ込んでくる。安酒と、汗と、微かな鉄の匂い。孤児院の穏やかな空気とはまるで違う、これが冒険の匂いか。
広大なホールの壁には、巨大な依頼掲示板(クエストボード)があり、無数の依頼書がびっしりと貼られている。その前ではゴツい鎧の戦士たちが言葉を交わし、テーブルでは魔術師たちが地図を囲んでいる。鎧の擦れる音、剣の音、怒号と笑い声。あらゆる音が混じり合い、まるで一つの巨大な生き物のようだ。
(すげえ……これが、本物の冒険者の世界)
圧倒されながらも、ルシアンは覚悟を決めて足を踏み入れた。目指すはホールの奥にある受付カウンター。冒険者たちが作る列の最後尾に、そっと並んだ。
やがて自分の番が来る。カウンターの向こうには、茶色の髪を肩で切りそろえた女性が座っていた。清潔なギルドの制服が、周囲の荒々しさの中でやけに目立っている。
「こんにちは。ご用件は?」
女性は、俺の強張った顔を見つめて静かに言った。その目は、子供を見る目じゃない。まるでステータスを鑑定するかのような、鋭い光を宿していた。俺は震える指で、懐から院長の手紙を取り出した。
「……エドガー院長からの、紹介状です。ライン様にと……」
ライン、という名に、女性の眉が僅かに動いた。彼女は無言で封筒を受け取り、手紙に目を通す。
「……あの石頭のエドガーがね。珍しいこともあるものだわ」
ラインは手紙から顔を上げると、初めて俺を真っ直ぐに見据えた。
「それで……登録希望、と」
「は、はい……!」
「ええ、もちろん。……ただ」
ラインは言葉を切り、表情を消した。
「ルシアン君、あなたは九歳。ギルド法では十二歳未満の登録には『保護観察期間(トライアル・ピリオド)』が課せられる。聞いている?」
「保護……観察……?」
「要するに、一度の失敗も許されないトライアルよ」
ラインは淡々と告げた。
「最初の三ヶ月、あなたが受けられる依頼(クエスト)はFランク以下の『市内雑務』か『薬草採取』のみ。戦闘行為は一切禁止。もし、この期間中に問題を起こせば……登録は即時抹消。あなたは『落伍者(ドロップアウト)』として、孤児院へ強制送還されるわ」
ごくり、と喉が鳴った。強制送還。あの場所へ、負け犬として戻されること。それは俺にとって、死よりも耐え難い屈辱だった。
「……やります。無茶はしません。ですが、必ず……結果は出します」
「いい目ね。あの石頭が心配するわけだわ」
ラインはそこで初めて、悪戯っぽく笑った。
「もう一つ。ギルドには『年少者育成支援(ビギナーズサポート)』という制度があるの。最低限の装備一式と、この建物の三階にある寮室を貸与しましょう。お代は『出世払い』。……あなたが一人前の冒険者になって、稼いだ金で、利子をつけて返済すればいい」
それは、野垂れ死にを覚悟していた俺にとって、最高のスターターパックだった。だが、この申し出には裏があることも、本能で理解できた。
「……出世払い。もし、俺が稼げなかったら……」
「その時は、ギルドの雑用係として死ぬまで働いてもらうわ。食堂の皿洗いからトイレ掃除までね、ふふっ」
ラインは冗談めかして笑ったが、その目は笑っていない。甘えは許されない。その容赦のない現実が、逆に俺の心を奮い立たせた。子供扱いじゃない。対等な契約者として見てくれている。
「分かりました。……その契約、受けます。俺は絶対に、皿洗いでは終わりません」
「契約成立。ようこそ、冒険者ギルドへ。――坊や」
ラインが差し出した手を、俺は小さな両手で強く握り返した。
◇
夕暮れ時、ギルド併設の酒場は、今日のクエストを終えた冒険者たちの熱気でむせ返っていた。
あちこちでエールジョッキが打ち鳴らされ、獣のような笑い声が響く。誰もが、今日一日を生き延びたという達成感に満ち溢れていた。
「おい、新入り! 突っ立ってると踏み潰すぞ!」
通りすがりのドワーフに肩を突かれたが、気にもならない。俺はホールの隅にある長椅子に腰を下ろした。隣では、傷だらけの二人組が今日の戦果を語らっている。
「……俺がオークのヘイトを引いた瞬間、お前の『岩槍(ロックランス)』が完璧なタイミングで入った。見事な連携だったな」
「へっ、てめえが時間を稼がなきゃ、詠唱が間に合わなかったさ。いいコンボだったろ?」
彼らの言葉は、俺の知らない世界の言葉だった。血と栄光に満ちた、本物の冒険者の物語。
(……いつか、俺も)
絞り出した声は、喧騒にかき消された。だが、誓いは確かに胸に灯った。この場所に、自分の席を。あの背中と肩を並べて、同じ祝杯を掲げる日を。
酒場の喧騒は、遠い未来から俺を呼ぶ、ファンファーレのように聞こえた。
***
月明かりが差し込む、ギルド寮の殺風景な個室。孤児院の共同部屋に比べれば、この静寂は天国のようだった。だが、一人きりの静けさは、少しだけ心細い。
ベッドに腰掛け、窓の外を眺める。院長との別れ、ラインとの契約、そして酒場で見た冒険者たちの背中。あまりに多くの情報量を処理した一日だった。
(……ふぅ)
仰向けに倒れ込むと、古いスプリングが軋んだ音を立てた。明日からは、この身一つで生き抜かなければならない。不安がないと言えば嘘になる。だが、それ以上に、未知のフィールドへ踏み出す高揚感が全身を駆け巡っていた。
天井の闇に向かって、俺は右手を伸ばす。
そして、意識を集中した。
(――ステータス、オープン)
頭の中に、半透明のウィンドウが浮かび上がる。
`------------------------------`
`名前:ルシアン`
`レベル:1`
`クラス:なし`
`称号:なし`
`スキル:なし`
`------------------------------`
「……やってやる。絶対に」
がらんどうのステータス画面。だが、これが俺のスタートラインだ。
目を閉じると、冒険の匂いがした。
やがて、少年の規則正しい寝息だけが、静かな部屋に満ちていった。
***
ここまで読んでくださってありがとうございます!
ルシアンのレベル1からの冒険が、いよいよ始まります。
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