第2話 家族の食卓と兄の追放

 夕食の席では当主の妻でありイデアとフィリアの母、マナが会話の主導権を握るのが常であるが、それにしても今夜の彼女が無理をして明るく振る舞っているのは誰の目にも明らかだった。当主である父パドリックは少し前に誤嚥で医者を呼ぶ事態になって以来、食事中に発言することはほとんどなくなってしまった。フィリアはよく喋る方ではあるし、イデアも無口というわけでもないが、今日は自分から口を開く気にはなれないでいた。ひとりいつもと変わらないのは長兄アルベルトの妻、イザベルである。

 明るいランプに照らされた一枚板のダイニングテーブルの上には彩り鮮やかな料理が並ぶ。赤蕪と鶏肉をじっくりと煮込んだ一品、細かくすりおろした野菜のポタージュ、ふわふわのパン。どれも食べやすく、消化の良いものばかり。フィリアとイデア、イザベルの皿にはサラダとローストした肉がつけられている。

 父が盛り付けられた料理を完食するのは久しぶりのことだった。先ほどのイデアの言葉さえ聞いていなければ、父の体調が教団の『奇蹟』のおかげで持ち直したことを素直に喜べていただろう。それはおそらく母も同じだ。

 覚悟はできていたつもりだった。それでも、その日が遠くないことがはっきりと告げられてしまえば、この穏やかな時間の儚さに泣きそうになるのを必死で堪える。

「そういえば、兄上は?」

「旦那様はお仕事がお忙しくて、今日も遅くなると仰っていましたわ」

 いつも以上に早口で話し続ける母の言葉をやんわりと遮ってイデアが問えば、イザベルが愛想良く答える。 

「やはりフォーゲルヴァイデ伯爵家ともなると、なかなか夫婦で夕食をご一緒することも難しいのですわね」

 その口ぶりに、何か奢りのような、棘のようなものを感じて、フィリアは苛立つ。まるでここにいる、今もまだ当主である父をすっかり隠居したかのように扱っていると思うのは、考えすぎだろうか。長兄と義姉は、特別に仲が良いというわけでもないが、険悪ではない。少なくとも長兄は彼女を丁重に扱っているし、彼女も表向き夫を立てているとは思う。ただ、どうにも長兄以外の家族に対する態度に親しみや家族間で払うべき敬意を感じないのだ。エムにそう零したことがあるが、そういうことも珍しくないらしい、という言葉が返ってきて、両親以外の夫婦、自分たち以外の家族というものをほとんど知らないフィリアには理解し難かった。父の同胞は皆父同様に病弱で、無事に成人したのは父ひとりだったフィリアたちには親しく付き合う親戚が少ない。学友の屋敷に遊びに行ったこともなければ、家族のことまで話すほど親しい友達もいなかったから、という点にまで思考が及ぶと、父の病状やどうにも好感の持てない義姉のこととは別問題で気分が若干落ち込む。

「……早くお帰りになればいいのに」

 アルベルトがいない状況で団欒の場にイザベルがいるのは、正直、気まずかった。彼女の棘は、少なくとも彼がいるときに他の家族に向けられることはないから。

「済まない、私がもっと支えになれていれば良かったのだが」

「いえ、本当は僕が手伝うべきなんです」

「私も、再来年に学園を卒業したら、兄上の秘書になってこの家を支えたいと思います」

 兄妹がそう言えば、母はやんわりと首を横に振った。

「あなたたちはまだ子どもなのだから、そんなこと考えなくて良いのよ」

「でも僕はもう19歳で、成人しているのに」

 悔しさの滲む、イデアの発した珍しい大声は、しかしノックもなしに開くダイニングの扉の音で遮られた。

「……誰だ?」

 その場にいる全員の目が扉へ向いた。同時に使用人たちの控え室に続くドアが開き、使用人たちが駆け込んで来る。音もなく飛びだしてきたエムはフィリアを後ろに庇う位置に立ち、扉を睨んだ。

 しかし、入ってきたのは、長兄のアルベルトだった。

 その姿にほっと安堵の息を吐き、しかし、フィリアは己の目を疑った。

「兄上……?」

 亡き前妻に似て、父や腹違いの弟妹と比べて体格が良く長身の姿は間違いなく長兄のものだ。

 しかし、いつもぴんと伸びているはずの背筋は力なく前にだらりと下がり、その表情を見ることはできない。

 そもそも、帰宅して外套を纏ったまま夕食の場に顔を出すなど、真面目で礼儀に細かい彼がするわけがない。

「アルくん……?」

 マナも心配そうに立ち上がるが、いつものように駆け寄ることはない。

 ひっと悲鳴を上げたのはイザベルだろうか。

 皆不安げにただアルベルトを見つめた。重たい靴音だけが、ダイニングに響く。

 ふらふらと幽鬼のようにテーブルに近寄ったアルベルトは、虚空を見つめ、平坦な声で呟いた。

「…………陥れられた」

「え?」

「果ての辺境、フヴェルへの赴任を命じられました。事実上の、……追放です」

 魂の抜けたような声でそう言うと、そのまま、アルベルトは床に頽れた。

「兄上!」

「アルくん!」

「アルベルト!」

 ぼろぼろと涙をこぼし、申し訳ありません、と繰り返す長兄に、母や次兄と共に駆け寄りながらも、兄上が泣くのを見るのは初めてだ、と頭のどこかで妙に冷静に考えている。

 果ての辺境への赴任。

 事実上の追放。

 追放?

 フィリアの中で、その言葉がまったく実感なく谺した。

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