第3章 花火の音が、悲鳴をかき消す
第13話 下駄の音と、宵闇のファンファーレ
日曜日。
天気予報は嘘をつかなかった。
雲ひとつない快晴。夕暮れと共に、空は群青色から深い藍色へとグラデーションを描き始めていた。
河川敷の特設会場は、すでに人の波で埋め尽くされていた。
屋台から漂うソースの焦げる匂い。綿あめの甘い香り。
遠くから聞こえるお囃子の音と、人々のざわめき。
熱気が渦を巻いている
「おーい!こっちこっち!」
人混みの向こうから、聞き慣れた声がした。
神社の鳥居の下。
松葉杖をつきながら、それでも器用に手を振っている少女。
「陽!!」
私は息を呑んだ。
そこにいたのは、いつものジャージ姿の彼女ではなかった。
淡いピンク色の生地に、桜の花びらが舞う浴衣。
普段は無造作なショートヘアには、花の髪飾りが着けられている。
うなじが白く、眩しい。
ボーイッシュな僕っ子の面影を残しつつ、そこには確かに、年頃の少女の可憐さがあった。
「へへっ、待たせたな!どうだ碧、似合ってるか?」
陽は少し照れくさそうに、その場でくるりと回ってみせた。
慣れない下駄の音が、カランと鳴る。
「うん。すごい、可愛い。見違えちゃった」
「よせよ、照れるだろ!碧の水色も涼しげでいいじゃんか。大和撫子って感じ?」
私たちが褒め合っていると、後ろから二人が合流した。
「暑い。人混み無理。」
ましろは黒い浴衣を着崩して、手持ちの扇風機を顔に当てている。不機嫌そうだが、帯にはしっかりとファンシーな巾着袋がぶら下がっていた。
紬先輩は、紫色の浴衣をしっとりと着こなし、周囲の男性客の視線を集めている。
「まあまあ、ましろちゃん。屋台で美味しいもの食べれば元気出ますよ」
「リンゴ飴。あと冷やしパイン」
「はいはい、行きましょうね」
四人の浴衣姿が揃うと、それだけで世界が華やいだ気がした。
私たちは人波をかき分けて、屋台通りを進んだ。
それからの時間は、魔法のように過ぎていった。
ましろは宣言通り、両手にリンゴ飴とチョコバナナを持ってご満悦だし、紬先輩は金魚すくいで意外な才能を発揮して、袋いっぱいの金魚を抱えていた。
陽は足が不自由なはずなのに、射的で特等賞のぬいぐるみを撃ち落とし、相棒にやるよ!と私に押し付けてきた。
楽しい。
心の底から、楽しい。
味覚のない私でも、焼きそばの湯気を吸い込むだけで、胸がいっぱいになった。
「そろそろ打ち上げ開始の時間だぞ!とっておきの場所に移動しよう!」
陽の先導で、私たちは河川敷の少し高台にある芝生へ移動した。
ここなら人混みも少なく、花火がよく見える。
私たちはレジャーシートを広げて座った。
隣に座った陽から、微かに甘い香水の匂いがした。
「……ねえ、碧」
陽が膝を抱えて、夜空を見上げる。
来れてよかったな。こんな足になっちゃったけど、諦めなくてよかった」
「陽……」
「絶対、みんなと一緒に見たかったんだ。この景色」
陽は包帯の巻かれた右足を、愛おしそうに撫でる。
痛まないはずがない。
ただの捻挫なんかじゃない。魔法の代償で壊れかけ、もう二度と走れないかもしれない脚だ。
きっと、大量の痛み止めで感覚を麻痺させて、無理やり笑顔を作っている。
それでも彼女は、痛い顔ひとつ見せず、夜空を見上げている。
その横顔が、泣きたくなるほど綺麗だった。
「ありがとう、陽。誘ってくれて」
「へへっ。礼を言うのはまだ早いぞ。本番はこれからだ!」
アナウンスが響く。
『それでは、市民納涼花火大会、打ち上げ開始です!』
カウントダウンが始まる。
10、9、8……。
会場の照明が一斉に落とされる。
暗闇の中、私たち四人は寄り添うように肩を並べた。
「来年も、再来年も。ずーっと一緒に見ようね」
紬先輩が言う。
ましろがまあ、予定が空いてればねと素直じゃない返事をする。
3、2、1……。
ヒュルルルル……という音が空気を切り裂き、夜空に光の華が咲いた。
ドォォォォン!!
腹に響く重低音。
視界いっぱいに広がる、黄金色の光の粒子。
うわぁ……!と歓声が上がる。
陽の顔が、花火の光で照らし出された。
その瞳の中に、キラキラとした光が映っている。
彼女は笑っていた。
まるで子供のような、無垢で、幸せそうな笑顔。
ああ、この瞬間が永遠に続けばいいのに。
私は心からそう願った。
味もしない、色も欠けていく私の世界で、この光景だけはずっと焼き付けていたい。
ドォン、ドォン、と次々に花火が上がる。
だから、私たちは気づくのが遅れた。
その光の中に、異質な黒が混じり始めていたことに。
その轟音の中に、人々の悲鳴が紛れ込んでいたことに。
ピロン♪
私たちの懐で、スマホが一斉に鳴り響く。
それは応援メッセージの通知音ではない。
地獄の蓋が開く、絶望のサイレンだった。
(続く)
余命一ヶ月の魔法少女は、夏の青空に「さよなら」の嘘をつく。 三澄 柊/Misumi Shu @Misumi_Shu
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