第10話 傷だらけの盾と、微笑みの綻び

夏休みに入ってからも、私たちは週に二回のペースでスタジオ練習を続けていた。

 相変わらず演奏はバラバラで、ましろには騒音公害と毒づかれているけれど、それでも少しずつ曲らしくはなってきている。


休憩中、私は紬先輩の手元を見て、息を呑んだ。


「先輩、その指」


彼女がギターのネックを握る左手の指先は、ボロボロに皮がめくれ、痛々しい絆創膏が何枚も巻かれていた。

 ギター初心者が通る道とはいえ、いくら何でも酷すぎる。指紋が見えなくなるほど赤く腫れ上がっていた。


「ああ、これですか?お恥ずかしい。不器用なもので、なかなかコードが押さえられなくて」


紬先輩は、自分の傷ついた指を愛おしそうに眺め、ふふっと笑った。


「でも、いいんです。指先がジンジンすると、ああ、私みんなのために頑張ってるんだなぁって実感できるので」


その言葉に、背筋が寒くなるような違和感を覚えた。

 痛みを努力の証として誇るのとは少し違う。彼女はまるで、痛みそのものをご褒美として享受しているように見えたからだ。


ブブブブッ――!!


私の懸念を遮るように、スマホのアラートが鳴り響いた。

 日常の終わりを告げる、無機質な電子音。


「D-2区画。住宅街だ」


ましろが素早くスマホを確認する。

 私たちは楽器を置き、スタジオを飛び出した。


現場は、古いアパートが立ち並ぶ住宅密集地だった。

 出現した『ノイズ』は、カマキリのような鎌を持った中型種。

 周囲の空間を切り裂きながら、逃げ遅れた住民の恐怖を吸収して肥大化している。


「展開(セット)!」


光と共に変身し、私たちは散開する。

 場所が狭い。ましろのガトリング砲をフルバーストすれば、周囲の民家ごと吹き飛ばしてしまう。陽のスピードも、入り組んだ路地では活かしきれない。


「私が引きつけます!」


紬先輩が叫び、路地の真ん中で巨大な花弁シールドを展開した。

 『ノイズ』の鋭利な鎌が、シールドに振り下ろされる。


ガギィィィン!!


凄まじい衝撃音。シールドの表面に亀裂が走り、光の粒子が飛び散る。


「くっ……うぅっ……!」


紬先輩が苦悶の声を上げる。

 敵の攻撃は重い。だが、耐えられないほどではないはずだ。彼女のシールドなら、角度をつけて衝撃を逸らすことだってできる。

 なのに、彼女は真正面から全ての衝撃を受け止めていた。


「先輩!受け流して!そのままだと盾が割れる!」


私が叫ぶが、彼女には届かない。


「ダメ!私が逃げたら、後ろの家が壊れちゃう。私が、痛い思いをすれば済むことだから!」


彼女の瞳は、恍惚とさえ言える熱を帯びていた。

 守るため?

 違う。彼女は今、自分が必要とされている状況に酔っている。

 みんなのために傷つく可哀想な私でいることで、自分の存在価値を確認しているんだ。


『キリサケ……キリサケ……』


『ノイズ』が追撃を繰り出す。

 今度はシールドの隙間を縫うような、横薙ぎの一閃。

 回避できる。私なら避ける。

 でも、紬先輩は動かなかった。


ズパァッ!


刃がシールドをすり抜け、彼女の脇腹を浅く切り裂いた。


「きゃああっ!」


悲鳴。

 けれど、彼女は倒れない。傷口を押さえながら、それでも盾を構え続ける。

 その顔には、苦痛よりも深い安堵が浮かんでいた。

 よかった、役に立てた。


その歪んだ献身が、私には何よりも恐ろしく見えた。


「ふざけんなッ!!」


私の思考より早く、身体が動いていた。

 地面を蹴り、紬先輩の前に躍り出る。

 大剣を盾のように構え、敵の鎌を弾き返す。


「碧ちゃん!?」

「下がってて!陽、ましろ、今だ!」


私の剣撃で体勢を崩した『ノイズ』に、陽の双剣が走り、ましろの銃弾がピンポイントで核を撃ち抜く。

 怪物は断末魔と共に霧散し、戦闘は終わった。


変身を解いた後、私たちは路地裏に座り込んでいた。

 紬先輩の脇腹には、赤くただれたような裂傷が残っている。魔法少女の治癒能力でじきに塞がるだろうが、痕は残るかもしれない。


「なんで避けなかったんですか」


私は強い口調で問い詰めた。

 いつもの私なら言わない。でも、今日の彼女はあまりに危うすぎた。


「避けたらかえって危ないですよ。後ろに逃げ遅れた人がいたかもしれませんし」

「いませんでした。住民は避難済みでした」

「でも、万が一ってことがありますから」


紬先輩は悪びれる様子もなく、傷口にハンカチを当てながら微笑む。


「それに、私が怪我をするだけでみんなが無事で済むなら、それが一番効率的でしょう? 私は盾なんですから」


効率的。

 ましろがよく使う言葉だ。でも、紬先輩が使うと意味が違って聞こえる。

 彼女は自分自身の価値を、限りなくゼロに見積もっている。

 自分は傷ついて当然。むしろ傷つかないと、ここにいる資格がないと思っている。


「痛くないんですか」

「痛いですよ。すごく痛い」


彼女は嬉しそうに言った。


「でも、この痛みのおかげで、私はみんなのでいられる気がするんです」


彼女は私の頭を優しく撫でた。

 その手は温かかったけれど、私は身震いを抑えるのに必死だった。


この人は壊れている。

 ましろはお金のために。陽は夢を失った穴埋めのために。

 そしてこの人は、自己肯定感の欠落を埋めるために、命を燃やしている。


歪んでいる。

 私たち全員、どこかが決定的に欠落したまま、正義の味方ごっこを続けている。

 そのツケを払わされる時は、きっとそう遠くない。


「……帰りましょう。手当しないと」


私は彼女の手を振り払うこともできず、ただ俯いた。

 視界の右端にある黒い靄が、まるで私たちの行く末を暗示するように、また少しだけ濃くなった気がした。


(続く)

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