第9話 不機嫌な少女の、優しい嘘
夏休みに入って数日後。
私は、ましろに呼び出されて市内の総合病院に来ていた。
「遅い」
病院のロビー。
私服姿のましろが、自販機の前で不機嫌そうにスマホをいじっていた。
いつもの黒いパーカーではなく、今日は白いTシャツにデニムのショートパンツという涼しげな格好だ。年相応の可愛らしさがあるが、その表情は相変わらず仏頂面だ。
「ごめん、バスが遅れてて。それで、用事って?」
「別に。アンタが暇そうだったから付き合わせてあげただけ」
ましろはそっけなく言うと、歩き出した。
エレベーターに乗り込み、小児科病棟のフロアへ。
消毒液の匂いが強くなる。
「ここ、弟が入院してる」
病室の前で、ましろがポツリと言った。
「難病指定されてるやつ。今の医療じゃ完治は難しいけど、延命治療にはバカみたいに金がかかるの。海外の認可待ちの薬とか使うから」
「そうなんだ」
「両親はいない。だから私が稼ぐしかないわけ」
彼女は淡々と事実だけを並べる。
同情を求めているわけではない。ただの事実として説明しているだけだ。
ましろは深呼吸をして、表情を一変させた。
あの、配信の時と同じ営業スマイルに。
「おっはよー!レン、調子どう?」
ガラッとドアを開ける。
四人部屋の窓際。ベッドの上で、青白い顔をした男の子が本を読んでいた。
痩せ細った腕には点滴が繋がれている。
「姉ちゃん!」
弟のレン君が、パッと顔を輝かせた。
ましろの笑顔を見て、安心しきった表情を浮かべる。
「今日は友達連れてきたよ。碧さん。ほら、挨拶して」
「は、初めまして。碧です」
「初めまして!姉ちゃんの友達なんて初めて見た!」
レン君は無邪気に笑う。
ましろはベッドの脇に座り、袋から新作のゲームソフトを取り出した。
「ほら、欲しがってたやつ。発売日にゲットしたから」
「うわー!すげえ!ありがとう姉ちゃん!でも、高かったんじゃない?」
「平気平気。私のバイト、時給いいからさ」
嘘だ。
そのお金は、彼女が命を削って、大人たちに媚びを売って稼いだ血濡れのお金だ。
でも、ましろは微塵もそれを感じさせない。
「レン、薬ちゃんと飲んでる?ご飯残してない?」
「飲んでるよ。ねえ姉ちゃん、僕、いつ退院できるの?」
レン君が不安そうに尋ねる。
ましろの手が、一瞬だけ止まった。
「もうすぐだよ。お医者さんが言ってた。新しい薬が効けば、来年の春には学校に行けるって」
それも、嘘だ。
彼女は私に言っていた。完治は難しいと。
それでも、彼女は弟に希望を与え続ける。
たとえその希望(うそ)が、自分自身の命を燃料にしているとしても。
「そっか!じゃあ早く治さないとな。僕、姉ちゃんと一緒に遊園地行きたいんだ」
「うん、行こうね。絶対だよ」
ましろが弟の頭を撫でる。
その横顔は、私が今まで見たどの表情よりも、優しくて、悲しかった。
帰り道。
病院を出ると、夕立が降っていた。
私たちはバス停の屋根の下で、雨宿りをした。
「あいつには、内緒だから」
ましろが、雨音に消えそうな声で言った。
「私が魔法少女やってること。あいつの薬代が、私の寿命と引き換えだってこと。知ったらあいつ悲しむから」
「うん。言わないよ」
「アンタさ、私のこと軽蔑してるでしょ。金のために戦場を配信して、ヘラヘラ笑って」
「してないよ」
私は即答した。
「ましろは凄いよ。私には、そこまでして守りたいもののために、泥をかぶる覚悟なんてないもん」
ましろが驚いたように私を見る。
それから、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「バーカ。お人好し」
その耳が少し赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
「ねえ、碧」
「ん?」
「バンド、やるなら本気でやってよね。中途半端なクオリティじゃ、私のチャンネルのブランドに関わるから」
「ふふ、分かった。ましろ先生のご指導通りに」
雨が小降りになってきた。
雲の切れ間から、薄日が差す。
ましろの嘘は、確かに打算的だ。
けれどその嘘の答えは、全て弟への愛で埋め尽くされている。
彼女もまた、大切な人の未来を守るために、自分の未来を燃やしているのだ。
「あーあ。靴濡れちゃうな」
ましろが水たまりを避けて歩き出す。
その小さな背中が、少しだけ頼もしく見えた。
ましろが守りたい弟との未来。
陽が守りたい夏休みの約束。
みんな、必死に手を伸ばしている。
その手が届く先が、断崖絶壁だと知らずに。
私の視界の右端で、黒い靄が揺らいだ気がした。
(続く)
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