第8話 波音と、置き去りにしたスパイク
ガタンゴトン、と電車が揺れる。
車窓の外には、見渡す限りの水平線が広がっていた。
「うおー! 海だ海だー!!」
陽が窓に張り付き、子供のようにはしゃいでいる。
今日は待ちに待った夏休み初日。
私たちは任務の合間を縫って、電車で一時間ほどの場所にある海水浴場へ来ていた。
「陽、声が大きい。他のお客さんに迷惑だよ」
「だってさぁ、碧。見てみろよこの青さ! 『ノイズ』一匹いない完璧なオーシャンブルーだよ」
陽は私の注意なんてどこ吹く風だ。
その横で、ましろが座席で小さくなっていた。
眩しい。太陽が私を殺しに来てる。帰りたい」
「ましろちゃん、ほら日焼け止めですよ。最強のやつです」
「サンキュ。紬先輩、その荷物なに?」
紬先輩の足元には、巨大なクーラーボックスがあった。
中身は全て、朝四時起きで作ってきたというお弁当とドリンクだ。
「さあ、着きましたよ!今年一番の思い出作り、スタートです!」
駅を降りると、潮風が鼻孔をくすぐった。
白い砂浜。極彩色のパラソル。
私たちは海の家で着替えを済ませ、砂浜へと飛び出した。
陽の水着は、彼女らしいスポーティなセパレートタイプ。引き締まった腹筋と、陸上で鍛えられたしなやかな太腿が眩しい。
ましろは肌面積を減らすのが現代の最適解と言って、スクール水着の上にパーカーを羽織った完全防備スタイル。
そして紬先輩は――
「……先輩、それ」
「ん?変ですか?」
彼女が着ていたのは、清楚なパレオ付きのビキニだったが、その豊満なスタイルは隠しきれておらず、周囲の視線を独り占めしていた。
私はといえば、無難な紺色のワンピースタイプだ。面白みはないが、これが一番落ち着く。
「よっしゃー!一番乗り!」
陽が叫び声を上げて、波打ち際へダッシュする。
砂を蹴る脚。
そのスピードは、砂浜であっても驚くほど速い。
でも、私は知っている。
彼女が最近、陸上部に顔を出せていないことを。
『ノイズ』の出現頻度が増え、放課後の練習時間を確保できなくなった彼女は、部内で才能にかまけたサボり魔と陰口を叩かれているらしい。
あんなに大好きだったトラック(居場所)を、彼女は奪われつつある。
「ほら、碧も来いよ!冷たくて気持ちいいぞ!」
陽が海水を蹴り上げ、私に水をかけてくる。
私はため息をつきながら、冷たい水の中に足を踏み入れた。
それからは、ただの中学生に戻った時間だった。
ましろが浮き輪にしがみついて漂流しかけたり、紬先輩の持ってきたお弁当(料亭レベルの重箱)を広げたり、四人でスイカ割りをしたり。
食べて、笑って、泳いで。
戦いのことも、迫りくる死の恐怖も、波がすべて洗い流してくれるようだった。
夕方。
遊び疲れたましろと紬先輩がパラソルの下で眠っている間、私と陽は波打ち際に並んで座っていた。
オレンジ色の夕日が、海面をキラキラと照らしている。
「楽しかったなー」
陽が膝を抱えて呟く
「こんなに遊んだの、久しぶりだ。部活やってた頃は、夏休みなんて合宿と遠征ばっかりだったからさ」
「部活、最近行ってないんでしょ」
私が水を向けると、陽は苦笑いをして視線を落とした。
「まあね。行っても白い目で見られるだけだし。それにさ、最近ちょっとタイムも落ちてきてるんだ」
陽が自分の右足をさする。
そのふくらはぎには、薄っすらと赤い痣のような痕跡があった。魔法使用による過負荷の代償だ。
「なんかさ、走ってると足が鉛みたいに重くなる時があるんだよ。お前の走れる距離はここまでだって言われてるみたいに」
「陽……」
「でもいいんだ! 僕には今、バンドがあるから!」
陽はパッと顔を上げて、強引に笑った。
「陸上がダメでも、僕にはまだみんながいる。ドラムがある。この脚が動かなくなっても、最悪、手さえ動けばリズムは刻めるだろ?」
それは、あまりにも悲しい強がりだった。
走ることを誰よりも愛していた彼女が、それを諦めるための理由を探している。
「そうだね。最高のライブ、しなきゃね」
「おうよ!チルドレン・オブ・リベリオンの伝説はここから始まるんだ!」
陽が立ち上がり、海に向かって石を投げる。
水切り。一回、二回、三回。
四回目で、石はポチャンと沈んでしまった。
「あーあ、失敗」
陽が舌を出す。
その時、彼女が一瞬だけ顔をしかめ、右足を引きずったのを私は見逃さなかった。
ピクリ、と筋肉が痙攣している。
限界が近い。
彼女の走る未来は、もうほとんど残っていないのかもしれない。
「帰ろうか、陽。ましろたちも待ってる」
「お、そうだな!腹減ったし駅弁買って帰ろうぜ!」
陽は何事もなかったように歩き出す。
私はその背中を見つめながら、強く拳を握りしめた。
奪わせない。
陸上を奪われた彼女から、これ以上、何かを奪わせてたまるものか。
たとえ私の命(みらい)に変えても、彼女の最後の居場所であるバンドだけは、絶対に守り抜いてみせる。
波音が、私の決意を飲み込むように、静かに寄せては返していた。
(続く)
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