第2話 不機嫌なパーカーと、砂糖菓子の嘘

入室早々、不機嫌を隠そうともしないその少女は、一ノ瀬 ましろ。

 中学一年生にして、私たちチームの火力担当だ。


ダボダボの黒いオーバーサイズパーカーを被り、萌え袖になった指先で、器用にスマートフォンの画面をタップしている。

 その背丈は、パーカーの裾から少しだけ覗く膝丈のスカートと相まって、まるで小学生のように幼く見えた。


「相変わらず陰気な部屋。カビ臭いし、Wi-Fi飛んでないし。ところで、バンドって何の話?」


ましろは部屋の隅にあるパイプ椅子にドカッと座り込むと、ジト目で私たちを睨みつけた。


「おお、ましろ! よくぞ聞いてくれた!」


 陽が待ってましたとばかりにモップを掲げる。


「僕たち四人でバンド組んで、文化祭に出ようって話をしてたんだよ! ましろはキーボードな。なんとなく指先動かすの早そうだし」

「はあ? 意味わかんない」


ましろは即答で切り捨てた。


「あのさぁ、陽センパイ。今の時代、中学生が文化祭でバンドとかコスパ悪すぎでしょ。練習に何時間かけんの? 楽器代は? その時間で『ノイズ』一匹狩って、配信で投げ銭稼いだほうがよっぽど有意義じゃん」


痛烈な正論。

 ましろにとって、この魔法少女としての活動はビジネスだ。

 彼女には入院している弟がいる。多額の治療費を稼ぐために、彼女は自分の未来を切り売りして、政府からの報酬と動画配信の収益を得ているのだ。


「うっ……。そ、そうだけどさぁ。お金じゃ買えない思い出とか、あるだろ?」

「思い出で腹は膨れないし、薬代も払えないの。却下。私はパス」


ましろはプイと顔を背け、再びスマホの画面に視線を落とした。

 取り付く島もない。陽が助けを求めるように私を見てくるが、ましろの事情を知っているだけに、私も強くは言えなかった。


その時だった。


「あらあら、まあまあ。ましろちゃん、そんなにトゲトゲしてると、可愛いお顔が台無しですよ?」


ふわり、と甘い匂いが部室に漂った。

 バターとバニラエッセンスの香り。

 いつの間にか、入り口にもう一人の少女が立っていた。


「紬先輩!」 


 陽の声が弾む。

 雨宮 紬。中学三年生で、私たちのチームの最年長。

 豊かな胸元と、柔らかいウェーブのかかった髪。制服の上から、授業で使ったらしいフリルのついたエプロンをつけている。

 

「今日の家庭科の授業でクッキーを焼いたので、余った分を持ってきました。紅茶も淹れますね」


 紬先輩は手際よく長机の上にクロスを広げ、バスケットから焼きたてのクッキーを取り出した。

 殺風景な部室が、一瞬にしてお洒落なカフェのような空気に変わる。


「別に、お腹減ってないし」


ましろがボソッと言うが、その視線はクッキーに釘付けだ。育ち盛りの身体は正直らしい。

 紬先輩はクスリと笑って、ましろの口元にクッキーを差し出した。


「はい、あーん」

「ちょ、子供扱いしないでよ」


口に放り込まれ、ましろが不服そうに、それでも美味しそうに頬張る。

 この人は、こういう強引な優しさを持っている。

 私たちのチームの盾(タンク)。

 誰よりも優しくて、誰よりも傷つくことに躊躇いがない人。


「碧ちゃんも、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


私は渡されたクッキーを手に取った。

 狐色の焼き目。チョコチップが散りばめられた、完璧な手作りクッキー。

 それを口に運び、咀嚼する。


サクッ、という軽快な音。

 口の中に広がるはずの、バターの風味。チョコレートの甘さ。


ああ、やっぱり。


私は奥歯を噛み締めた。

 味が、しない。


まるで砂を噛んでいるようだった。

 匂いは分かる。食感も分かる。でも、「味」だけがすっぽりと抜け落ちている。

 先日の戦闘で『未来』を燃やした時、私の味覚の一部はロストしたのだ。

 甘いも、辛いも、もう二度と感じることはない。


「どう? 美味しい?」


紬先輩が、期待に満ちた瞳で私を見つめてくる。

 彼女にとって、他人に喜んでもらうことは生きる意味そのものだ。

 ここで「味がしません」なんて言えば、彼女はどれほど傷つくだろう。


だから私は、精一杯の演技をする。

 口角を持ち上げ、目を細め、かつて知っていた「美味しさ」の記憶を総動員して。


「……はい。すっごく、甘くて美味しいです」


私の言葉に、紬先輩は花が咲いたように微笑んだ。


「よかったぁ。碧ちゃん、最近元気なさそうだったから」

「そんなことないですよ。それで、紬先輩。実は相談があるんですけど」


私は話題を変えるように、陽の提案したバンドの話を伝えた。

 ましろは反対していることも含めて。


すると、紬先輩は胸の前で手を合わせ、うっとりとした表情を浮かべた。


「まあ、素敵! バンドなんて青春って感じですねぇ。私、憧れてたんです」

「でしょ!? さすが紬先輩、話が早い!」

「私も混ぜてくださいな。ギターなんて弾いたことありませんけど、みんなの役に立てるなら、指の皮が擦り切れるまで練習しますから」


少しだけ、表現が重い。

 この人は時々、自己犠牲を前提にした発言をする。

 「役に立つ」ためなら、自分の身を削ることを厭わない。それが彼女の歪(ひず)みだ。


「えー、マジでやるの? 紬先輩まで?」


ましろが呆れたように言うが、こうなると彼女も断れない性格だ。

 孤立することを何よりも恐れている現代っ子だから。


「はぁ。分かったよ、やればいいんでしょ。その代わり、練習風景とか動画にしてアップするからね。広告収入は私が管理するから」

「おっ、さすがましろ! ちゃっかりしてる!」

「うるさいバカ犬」

「誰が犬だ!」


陽とましろがギャーギャーと言い合いを始める。

 それを紬先輩がニコニコと眺めながら、紅茶を注いでいる。


狭い放送室に、賑やかな声が満ちる。

 これが、私たちの日常。

 明日には壊れてしまうかもしれない、ガラス細工のような幸せ。


私は手の中にある、味のしないクッキーを飲み込んだ。

 喉を通る異物が、冷たい石のように胃に落ちていく。


私が味覚を失ったことを、陽はまだ知らない。

 ましろが弟のために無理をしていることも、紬先輩が自分の価値を「盾」としての有用性でしか測れないことも、私たちは見て見ぬ振りをしている。


私たちは全員、何かしらの嘘をついて、この場所にいる。


その時。

 私たちのポケットの中で、四台のスマートフォンが同時に震えた。


ピロン♪


『緊急警報。特別警戒レベルのノイズ反応を検知』

 『対象エリア、D-4区画。至急、現場へ急行せよ』


「休憩時間は、おしまいみたいね」


ましろがパーカーのフードを目深に被り直し、スマホを握りしめる。

 紬先輩がエプロンを外し、いつもの優しい瞳を、戦士のそれへと変える。

 陽が、壁に立てかけてあった双剣の柄を掴む。


私は立ち上がり、最後のクッキーを口に放り込んだ。

 やっぱり、何も感じなかった。


「行こう。また、私たちの未来を燃やしに」


(続く)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る