第一話

「姫様。姫様!!どこに行かれるのです~」


 自分の馬の手綱を左手に持ち、右手でもう一頭の馬の手綱をもって待機している隼人の耳に、力強い足音と、取りすがるような侍女の声が聞こえてきた。


 もうそろそろ現れるな。


 そう思った瞬間、小袖に袴、髪は高い位置で一つでまとめ、どう見ても「姫」とは思えない出で立ちの少女が式台に現れた。


「隼人、馬!」


 その言葉を聞いた隼人は、即座に右手で馬の鼻面を抑え込み、その脇腹を式台の縁へぴたりと寄せた。馬が安定しているのを見て取った姫は、式台から素早く鞍にまたがった。


「姫様、手綱を!」


 背筋を伸ばしたのを見て取った隼人は、右手で持っていた手綱を投げ渡す。

 投げ渡した手綱の行方を確認もせず、隼人は素早く左手で手綱を持っていた馬の鞍へ、地面をけって飛び乗った。


 そこにようやく追いついた侍女が、悲鳴を上げる。


「姫様は輿入れのお年頃におなりです。遠乗りなど恐ろしいこと!」


「遠乗りの何が恐ろしいのだ。戦乱の世、女子おなごとて馬ぐらい乗れた方が役に立つ!」


 侍女に向かって叫んだかと思ったら、姫――瑞穂――は、顔を隼人の方へ向けた。


「隼人、行くぞ!」


「は」


 瑞穂が腹を蹴ると、その馬がつぶてのような砂利を後方へ蹴り上げた。

続いて隼人の馬が猛然と地を叩き、二騎の影は瞬く間に大手門の向こうへと吸い込まれていく。


「ひ、姫様ぁ」


 侍女と乳母の声は、乾いた蹄音の余韻にかき消され、あとには白く舞い上がる土埃だけが残された。



**


 人里離れた森の中に、城下にある神社の境内ほどに開けた平坦な地があった。

 隼人が子供のころに見つけて、一人で鍛錬したりするのに使っていた広場だった。


 この場所に通う姿を瑞穂姫に見つけられてからは、何かあると「気分転換に付き合え」と、武芸の稽古に連れ出される場所だった。


 今日も、馬を入り口近くの木につなぎとめると、手合いをしろ、と短く命じる。


 隼人が馬の確認している間にも、瑞穂は広場の中央に進み、さっそく脇に刺してきた木刀の素振りを始めている。


 ここまできて手合いじゃないことはまずないが、馬の処置が終わるのを待たずに素振りを始めるとは、そうとうなにか気に障ることが起きたに違いない。


 隼人は、冷静にあるじの気持ちを推し量った。


 黙って広場の中央に進み、瑞穂の前に静かに立つ。


「手加減は、なし」


 瑞穂は木刀を構えると、いつもの台詞を口にする。


 手加減も何も、貴女のような達人を相手に本気にならなければ、大けがをするではないか。


 そう心の中でつぶやくのも、隼人のいつものこと。

 だが、表面は小さくうなずいて瑞穂の言葉を肯定すると、隼人も剣を構えた。


 互いに隙を見つけるようにしばらくじりじりと円を描くように動くと、瑞穂が焦れたように大上段から打ち込む。


 かーん


 気持ちの良い木刀の打ち合う音が、広場に響きわたる。


 隼人は木刀の側面で瑞穂の木刀を摺り上げると、そのまま肩口を狙って木刀を振り下ろす。


 瑞穂もわかっているので、そのまま優雅に半身にかわし、隼人の剣先は瑞穂の肩先で空を切った。


 二人は元の間合いに戻り、また剣を構えてにらみ合いに入る。


 変幻自在の瑞穂の攻めに対し、隼人も的確にすべてを受け流し、隙をついていく。


 しばらく攻防を繰り返したところで、瑞穂は小さくちっ、と舌打ちをすると唐突に木刀を放り投げた。


「隼人、やはり手加減しているだろう?」


 ごろん、と地面にあおむけに身を横たえながら、瑞穂が問いかける。

 空を見上げる瑞穂の息は乱れていた。


 隼人は木刀を脇に差し戻すと、やはり乱れている呼吸を整えながら瑞穂のもとに近寄り、膝をついた。


「恐れながら、姫様ほどの使い手に手加減ができるほど、わたしの剣術は優れてはおりませぬ」


 実際、少しでも油断しようものなら、隼人は瑞穂にしたたかに打ち抜かれる。薄皮一枚の攻防であることは間違いないのだがしかし、それは相手の剣筋を読み切る瑞穂の頭の良さにも負うところがあった。


 だが、そんなことはどうでもよい。瑞穂の武芸が確かなことは事実だ。

 その瑞穂が手加減かどうかを気にするのは、何かあった時、と相場は決まっていた。


「姫様。何か気になることがございましたか?」


 広場に着いてから気になっていることを、静かに主に問う。


「隼人。苦しゅうない」


 瑞穂は空に目を向けたまま、隼人に楽にするように声をかける。

 これは、質問に答える気はないという意志表示なのだろうか。


 そう思いながら、そっと地面に座り込み、隼人は胡坐をかく。


「奥から見る空は狭いが、本当はこんなに広いのだな」


 そう語る瑞穂の声がどこか湿っている。

 

 何があったのか、とうまく聞きだすべきなのかもしれないが、隼人の性格上、口をうまく操り、瑞穂の気持ちをどうにかすることなどできない。ただ、黙って瑞穂が何か言葉を紡ぎ出すのを、待つのみ。


 二人の間に沈黙が下りる。


 風が広場を吹き抜け、草を揺らす音さやさやとした音が響き渡った。


「輿入れだ」


 一瞬、瑞穂がどこからか姫を娶るのかと言う錯覚を隼人は起こした。

 だが、そんなはずはない。瑞穂は姫である以上、瑞穂がどこかに嫁ぐのだ。


「どちらに……」


 城を出るとき、乳母が「輿入れですし」と言っていたことを唐突に思い出した。そういう歳に達した、程度の意味かと思ったが、実際は具体的にそのような話がでていたのだ。


「高坂だ」


「こっ高坂とは……」



 喉の奥をつかまれたような、嫌な感覚を隼人は覚える。


「そうだ。あの地獄の閻魔よりも恐ろしいと言われる、高坂の若殿だ」


「順番として、大姫様が嫁がれるのが順当なはずでは?」


「あのたおやかで珠玉の姫と言われた姉上を、高坂の閻魔に差し出すわけがない。武芸に秀でる中姫がよかろう、というのが父上の判断だ」


 瑞穂は突然むくり、と起き上がった。


「わたしもそう思う。武芸に秀でてしまったわたしの、身から出た錆じゃの」


 口では割り切って何でもないことのように言うが、その表情の奥にはやるせなさと恐怖が潜んでいることを、隼人ははっきりと見て取った。


「逃げればよいではないですか。護衛します」


 思わず、隼人の口からあってはならぬ提案が飛び出る。


 瑞穂の回答は微笑みだった。


「だから、そちとの武芸の稽古は、今日限りじゃ。戻るぞ」


 瑞穂は立ち上がると、馬に向かう。


 隼人は瑞穂の背後で、空を見上げた。すぐにつかめそうな美しい青は、手を伸ばしてもやはりつかめないものだった。目の前の瑞穂のように。

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