第二話

 瑞穂の輿入れの準備は速やかに進み、あっという間に輿入れの日となった。


 白無垢姿の瑞穂が姿を現し、式台に横付けにされた輿に乗り込む。


 乗り込む際、高坂に向かう随行の列の中に隼人がいるのを見つけた瑞穂は大きく目を見張った。


 まさか、俺がいるとは思わなかったのか?


 その態度に隼人は不満を覚えるが、こんなところでそんな個人的な不満を瑞穂にぶつけるわけにはいかない。


 輿に従い高坂に入り、そのまま遠くで祝言を上げられるのを、隼人は見ていた。


 見る、以外に何ができようか。

 所詮、身辺護衛の忍びにすぎないのだ。


 翌日、陽が高く昇ったころ、高坂にまでついてきた挨拶をしに、瑞穂の御前ごぜん伺候しこうした。


「何故、ついてきた」


 あの日の高く結った髪型ではない、垂髪に打ちかけの通常の姫の姿で、瑞穂は上座に端然と座っている。


「姫専属の護衛でありますれば」


 それ以外なにがありましょうや?


 そういう意味の視線を瑞穂に投げかけ……その首元を見て絶句した。


 そこに、口吸いの痕が残されている、ぐらいならば驚かなかった。昨夜は初夜だ。そんなものがあることぐらい、当たり前だ。だが、瑞穂の首元に残された痕は、そんな生易しいものではなかった。


「絞められた」


「なにゆえ……」


 初夜で、妻の首を絞めあげる夫がどこに居ようか?


「知らぬ。大姫が来るようにと言ったはず、なにゆえ中姫なのだ、と立腹であった」


 そう。

 祝言に続いて行われていた宴から引き揚げた高坂の若殿は、初夜の床に座る瑞穂をぎらついた瞳で射抜いた。


 武芸など、物の役に立つものではなかった、と瑞穂は初めて現実を突きつけられた。


 若殿――惟信――の指が、瑞穂の顎にかかり、強制的に上を向かせた。


「そちは、大姫ではないな?」


「……中姫にございます」


 高坂の閻魔。


 彼の二つ名を思い出す。なるほど、閻魔にふさわしい恐ろしさだ。

 武芸など手も足も出ない。ただ、瑞穂は身をすくませるしかできなかった。


「余は、大姫を求めたはずだ。なにゆえ、そちがここにおるのだ」


「そのような話は何も聞いておりませぬ。ただ、輿入れせよと」


「まことか?」


 惟信の昏い瞳が瑞穂を射る。

 答えなければ。


 そう思った次の瞬間、顎にかかっていた惟信の手が首に滑り落ち、そのまますごい勢いで首を絞めあげてきた。

 そのまま首を握りつぶすのでは、という力で絞めあげられる。


「よいか。よく考えて答えよ。何のはかりごとがあってのことだ」


 瑞穂は締め上げてくる惟信の腕を両手でつかみ、なんとか首から外そうと試みるが、びくともしない。


 息が詰まる中、否定しなければと思うのだが、締め上げられている身、当然のことながら声など出るはずもない。


 ただ、ひたすら首を横に振ることで飲み、ようやく否定の意を伝えられる。


 どこまで絞め上げても、首を縦に振らない瑞穂を見て惟信もあきらめたのか、手を離した。


「かはっ」


 瑞穂は床に崩れ落ち、肺は貪欲に空気を求める。

 瑞穂はただ、咳き込みながら貪るように空気を吸った。


 惟信は苦しむ瑞穂を冷静に見下ろすと、冷たく言い放った。


「そちが大姫でない以上、余は手を出さぬ。石女うまずめとして、三年後に武藤に戻るがよい」


 そんな。何故そのようなことを。


 そう問いたいが、まだ息が整わぬ瑞穂は、ただ惟信を見上げることしかできない。


「祝言を上げた以上、同衾せぬわけにはいかぬ。だが、余に触れるな。触れたらどうなるか、わかっておろうの」


 瑞穂を見下ろし、そう宣言する惟信に、瑞穂は何もすることができなかった。


 そう、どうすることもできぬのだ。

 武芸など、このような時に何の役にも立たぬ。

 瑞穂は隼人を前にして、改めて自らの無力さを痛感した。


「三年だ」


「は?」


 ぽつんと呟いた瑞穂についていけず、隼人は短く問い返す。


 虚空を見つめていた瑞穂は、改めて視線を隼人に当てた。その瞳は、隼人が、今までに見たことがないほど、虚無を宿していた。


「三年我慢すれば、武藤に帰れるとのことじゃ」


 三年。

 それはどういう時間なのか?


 訝しんだ隼人が脳裏に、一つの文書が閃いた。


 三年子無きは去れ


 なんとむごい……。確信を持って三年子ができぬ、と宣言できるのは、絶対にそのような行為は無しである、夫婦としての体はなさない、と宣言したということだ。


 輿入れして、瑞穂が他の男のものになる覚悟は、とっくの昔から固めていた。今さら動揺しない。


 しかし、輿入れ後に放置される、という状況はまったく想像すらしていなかった!


 どうすれば、瑞穂の気持ちを和らげられるのか。


 ただ、だまりこむしかできなかった隼人を一瞥し、瑞穂は、ふ、と小さく笑った。


「よい。これも運命」


 夏の終わりを告げる、カナカナカナ、というひぐらしの声が響いてきた。


「隼人。さがれ。護衛は引き続き、頼む」


「は」


 当たり前だ。

 だが、やはり隼人は短い返答のみで、その場を去った。

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