第15話

「行っちゃった」


 私は律が出て行った扉をじっと見つめ続ける。


 律を追うつもりなんてない。


 それどころか――律とは二度と、会うことはないだろう。


「これ以上……律を騙し続けたくない……これ以上……危険な目に遭わせたくない」


 最悪の場合、私も――でしまうから。


 だから――


「これで……良かった」


 これで正しかった。


 私が律を利用した事実は変わらないのだから、嫌われるのは当然。


 頭では……そうわかっているのに。


「奇跡でも……起こってくれないかな」


 願わくば、もう少しだけこの日常を堪能したかった。


 一生、忘られないほどの新鮮で楽しかったこの日常を、もっともっと……。


 気付けば、馬鹿みたいに願っていた。天使は人間のように願っても奇跡を生み出せないというのに。


「じゃあね……律」


 私は、ベランダに出ると、大空へ羽ばたいた。


 私一人で――全ての決着をつけるために。


 私一人で――律のことも守るために。


 私一人で――神に抗うために。






「はあはあ……ここまで来れば大丈夫か?」


 数分走った後、俺は慌てて後ろを振り返る。


 どうやらセレスは追ってきていないようだ。


「また……裏切られたのか」


 信じても無駄だった。


 俺は結局、裏切られる運命にあるのだ。


「雫さんは、裏切られても良いと思えるほど愛せば良いって言ってたけど……どんなに信じていて実際に裏切られると、辛い……だろ……」


 視界が歪む。


 ポツポツと地面に涙がこぼれ落ちた。


 俺は、愚かにも希望を抱いていた。


 もしかしたら……今度こそ、裏切られずに済むかもと。


 こんな俺でも、誰かと親しくなって良いのかもしれないと。


 でも……希望なんて――願いなんて抱くだけ無駄だった。


「……もう、嫌だな」


 俺は、近くのベンチに腰をかけると、力無く空を見上げた。


 滲む視界に、憎たらしいほど晴れ渡った青空が映る。


 まるで――俺だけが世界で不幸だと言われているようだった。


「……死んだ方が、良いのか」


 信じた人にことごとく裏切られ、世界にも見放された俺に、生きる価値なんて、果たしてあるのだろうか。


「あるわけ……ないな」


 どうせ、人間は誰とも親しくならずに孤独に生きていくことなんて、できないのだ。


 徐々に心が毒に蝕まれていき……いずれ、逃げるように、懲りずに誰かと関係を持つ。


 そして、また裏切られるのだ。


 その繰り返し。


 そんな地獄……はやく終わらせてしまえばいいじゃないか。


「そうだ……こんな地獄、勘弁だ」


 俺は、青空を思いっきり睨みつけた。


 そんな時。


 女性の声が、耳に入った。


「――あれ? 律君……だよね」


 聞き覚えのある呼び方だ。


 思わず、声の方を振り向くと、そこにはワンピースに身を包んだ黒髪の少女が。


「……誰?」


「へ? 律君、もう忘れちゃったのぉ? あたし、卯月雫……つい二週間前に会ったよね?」


「ああ……雫さんだったんですね……」


「あー、やっぱり、わからないよね?」


 雫さんは自身の服装に目を向ける。


 会った時の地雷系のコテコテなメイクや派手な服装とは打って変わって、彼女は、ごく普通の格好をしていた。


「実はあたし、あの界隈に行くのは止めて、普通に生きていこうと思ったんだよね」


「そうなんですね」


「うん! 今までは味方が欲しくて縋るようにあの界隈にいたんだけど、願いが消えてから、どうでも良くなっちゃってさぁ」


「へえ」


「だから、メイクも服も普通にしてみたんだっ!」


 雫さんの言葉が右耳から入って、左に抜けていく。


 内容なんて、頭に入ってくるわけなかった。


「えっと……律君、大丈夫? さっきから様子変だけど」


 すると、案の定、雫さんは心配してきた。


「大丈夫です……マジで。放っておいてくれていいですから」


「いや……そんな放っておいたら死にそうな人の顔で言われたら、放っておけないよ……」


 雫さんは、じっと俺の顔を見つめると――


「今の律君、自殺する寸前の友達と同じ顔してるよ」


「ッ……?! そ、そんなことない――」


「――嘘つき」


 雫さんは、一瞬で断言した。


 色々な人が死んでいくのを目の当たりにしたことのある彼女には、こんな嘘、通じるわけがなかったのだ。


「ねえ……何があったの?」


「……セレスのことはわかりますよね」


「うん、あの子ね?」


「実は――」


 ああ……どうせ死ぬんだし、全てを彼女に打ち明けてしまおうか。


 そうできたのなら――どれほど楽だろうか。


「……セレスと喧嘩しちゃいまして」


 でも、出来なかった。


 真実を話すなんて、人を信じるなんて、もうしたくなかった。


「ふぅん? その様子だと、随分な大喧嘩をしたんだね」


「はい……絶縁するくらいの大きな喧嘩を」


「それは……大変だったんだね」


 雫さんは、俺の横のベンチに腰掛けると――


「でも……絶対に二人は復縁できると思うよ」


 なぜか、そう言った。


「……どうして、そう言い切れるんですか? 簡単に絶縁するくらいの、裏切りを受けたんですよ?」


 俺の声には怒りが混じっていた。


 俺よりも多くの裏切りを経験してきたからといって、あの時味わった絶望を軽んじられるのは、許せなかったのだ。


 すると、雫さんはクスリと笑った。


「だって、セレスちゃん……あたしと律君が話してる時、ずーっと律君の方を心配そうにチラチラみてたんだもん」


「心配……そうに? あの時、セレスはご飯を食べてただけじゃ……」


「え? もしかして、気づいてなかった?! セレスちゃんは、ご飯を食べながらずっと律君の心配をしてたよ? まるでボディーガードみたいだったなぁ」


「は……」


 意味が……わからない。どうして、セレスが俺を心配する必要があるというのか。


 彼女の使命は、俺を殺すことなんだぞ?!


「まあ、つまり……律君はセレスちゃんにあんなに大切にされてるんだから、律君が復縁しようと思えば、簡単にできると思うなぁ」


「……でも、セレスがもう、俺を大切に思ってないって可能性も……」


「その可能性もなくもないけど……じゃあ、喧嘩する直前のセレスちゃんはどうだったの?」


「へ?」


「ほら、愛想を尽くした様子とか、呆れた様子とかじゃなかった?」


 直前……セレスは美味しそうにハンバーグを食べていた。


 それよりさらに遡れば……魔物との戦いで俺を命の危機から救ってくれた。


 愛想を尽くした様子も、呆れた様子もどこにもなかった。


「その顔だと……そんな様子じゃなかったんだね」


「まあ……」


 でも、よく考えればおかしい。


 俺を殺すことが使命なら……どうして俺のことを命の危険から助けたのだろうか。


 あのまま放置していれば、セレスが手を下すまでもなく死んでいたはずなのに。


「でも……」


 俺には、セレスにまた裏切られるんじゃないかという恐怖があった。


 すると、横に座っていた雫さんは、俺の左手を両手で優しく包み込んだ。


「大丈夫……絶対にセレスちゃんは律君を裏切ったりしてない……私が断言する」


「そう……ですか」


 もう一度だけ、最後に一回、セレスと話をしてみよう。


 それでダメだったら……もう終わりにしよう。


「わかりました、最後に一回だけ、セレスと話をしてきます」


「うん! 頑張って……!」


 雫さんは、優しく微笑みかける。


 雫さんのことだって、信じられないはずなのに。


 どうして俺は……こんなにも希望に縋りつこうとしているのだろうか。


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