第7話
「救出」を誓ったあの日から、俺は生きた心地がしなかった。
仕事中も、ふとした瞬間に彼女のドレス姿と、あの魔王の刺すような眼光が脳裏をよぎる。
その日の会社帰り。マンションのロビーに入った瞬間、エレベーターの前で「それ」は待っていた。
「……おい。遅かったじゃねえか」
地を這うような低い声。
そこには、仁王立ちでスマホをいじっていた魔王(旦那)がいた。今日はいつになく殺気が鋭い。
「ひ、ひいっ! あ、家守さん……こんばんは」
「佐藤。ちょっと面貸せ。非常階段の方だ」
有無を言わさぬ口調。大きな手が俺の肩に置かれる。万力のような力だ。
ああ、死ぬんだ。俺は今日、ここでキムチの材料にされるんだ。
人気のいない薄暗い非常階段。魔王は壁に背を預け、ポケットから煙草を取り出した。
「お前、最近うちの奴とやけに仲がいいな。……夜の街でも会ったんだろ?」
心臓が跳ね上がった。バレている。彼女が夜の店で働いていること、そして俺がそこにいたことも。
「……あれは、その!」
「あいつはな、根が真面目すぎるんだ。自分のことは後回しで、他人のために平気で無理しやがる。……お前みたいな優男に、あいつの何がわかる?」
魔王の言葉に、俺の中の恐怖が別の感情に塗り替えられた。
(何がわかる、だと……? 何もわかっていないのは、あんたの方だ!)
「……わかっています! 彼女がどれだけ無理をしているか!」
「あぁ?」
「昼は保育園で働き、夜はあんな店に出て……! 家ではあなたの顔色を伺いながら、必死に子供を守っている! あなたは彼女の優しさに甘えているだけだ!」
魔王の煙草が止まった。鋭い眼光がさらに細くなる。
だが、一度決壊した俺の言葉は止まらない。
「あんなに美しい人を、あんなにボロボロにして……! あんたに、彼女を『うちの奴』なんて呼ぶ資格はない! 彼女を自由にしてください! さもなければ、僕は……僕は、刺し違えてでも彼女を連れて行く!」
静寂が訪れた。
魔王は呆然とした顔で俺を見つめ、やがて、深く、長いため息をついた。
「……お前、本気で言ってんのか?」
「本気です! 命なんて惜しくない!」
「…………そうかよ。あいつも、妙な奴に好かれちまったな」
魔王はそれだけ言うと、煙草を揉み消して階段を降りていった。
その背中が、どこか寂しげに見えたのは気のせいだろうか。
ガクガクと膝が笑い、俺はその場に座り込んだ。
勝った……のか? いや、これは宣戦布告だ。
あの男が身を引くはずがない。
(待ってて、家守さん。必ず、あなたを救い出すから)
俺は震える手でスマホを取り出し、レンタカーの予約サイトを開いた。
決行は、数日後の彼女の休日。
そこが、この「不倫(という名の勘違い)」の終着駅になるはずだった。
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