ミカンヘッド

津多 時ロウ

🍊

 正月なんて碌なもんじゃない。

 一月三日の昼前。自室で電気コタツの天板に突っ伏して、俺は昨日の初詣デートでの一件を思い出しかけて、そしてあっという間に記憶の彼方に追いやった。

 端的に言って、振られたのである。三年付き合った彼女に。

 理由も「屋台で買い食いをする男は嫌い。アパート暮らしの男は貧乏ったらしくて嫌い」などという、言いがかりにも等しいもので、もしかしたらあいつはずっと俺と別れる機会をうかがっていたのかも知れないとも思えるが――


 おっと、いけない。

 いくら正月休みで時間が有り余っているからと言って、振られたのは、もう過去のことなのだ。前を向かなくてはならない。ひょっとしたら、前の彼女より、もっと素敵な女性に巡り会えるかもしれない。

 意地でもそう思い込むことにして、実家の両親が送ってくれた温州ミカンを手に取った。

 ちなみにミカンが入ったザルは、チラシを細く丸めて編み上げられたもので、両親が毎晩少しずつ協力して作ったそうだ。いつまでも仲睦まじいとは、実に羨ましいことである。

 おっと、未練がましく過去の女を思い出すところだった。

 もう、このミカンを最後に、あの女のことは忘れよう。

 そう決意して、親指をミカンに刺し込もうとしたとき、チャイムが鳴った。ピン、ポンと、少しもったいつけて。


 こんな正月休みに腐っているロンリーブロークンハート男子に、いったい誰が何の目的で訪ねてきたのか。

 だけど、一応、相手の顔くらいは確認せねばならないだろう。もしかしたら理想の彼女がドアの前で「彼女にしてください」などと、ドキドキしながら待っているかも知れないのだ。

 そう思えば、俺の声も足取りも、多少は軽くなろうというもの。


「はいはーい。どちら様ですかー?」


 チェーンをかけたままドアを開け、隙間から相手を確認してから、ゆっくりドアを閉めた。

 すべてを忘れ、コタツの温もりに癒やされようかときびすを返したとき、またチャイムが鳴った。ピンポンピンポンと連打されて。

 俺は盛大に溜め息を吐き、再び玄関ドアを開けた。もちろん、チェーンはかけたままだ。


 だって、ドアの外にいたやつ、頭がミカンなんだぜ?

 パリッとした男物のスーツを着たミカンなんだぜ?

 頭にちょっとした枝と葉っぱも付いてるんだぜ?

 だから、俺はそいつに言ってやったんだ。


「あ、間に合ってます」 


 そしたらそいつ、やたら良い声で言うんだよ。


「わたくし、先日あなたに助けて頂いたミカンです。今日は恩返しに参上しました」

「あ、間に合ってます」 


 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!


「わたくし! 先日助けて頂いた! ミカンなんです! 恩返しを! 恩返しをさせてください!」


 そうまで言われて、相手の厚意を受け取らない俺じゃない。

 やむなくドアを開け、彼を招き入れることにした。


「ちっ。立ち話もあれなんで、中でコタツにあたりながら話をしましょう」

「お邪魔します」


 いそいそと二人ともコタツに入ったところで、これからいったいどうすれば良いのだろうと、やや意識を失いかけたが、それはミカンが喋り始めたことによって未遂に終わった。


「さっき招き入れたときに、あなた、舌打ちしましたよね? ああいうの、良くないですよ」


 なんたることだ。いきなり家に訪ねてきたミカンにそんなことを言われようとは、夢に思わなんだ。

 けれどまあ、相手はスーツまで着て俺に会いに来てくれたのだから、頭はミカンだが、確かに舌打ちなどしてはいけなかった。俺のマナー違反である。


「まじ、すまんかった」

「分かれば良いのです」

「ところで恩返しというのは、いったい何をするのでしょうか。有料ですか?」


 身に覚えのない恩返しをするというのだから、きっとこのミカンは、俺から彼女ばかりかなけなしの銭まで奪うつもりなのだ。きっとそうに違いない。

 ミカン相手なら殴り合いでも勝てそうな気はするが、会話で撃退できるのであれば、それに越したことはない。そのためには、細かく確認することが重要なのだ。


「当然、無料です。お客様からお金を頂くことは一切ありません」


 お客様とか言い出し始めちゃったよ、このミカン。

 これはどうにも風向きが怪しいと思い始めたとき、玄関のチャイムが鳴った。


「お、来客か。ちょっと失礼しますよ」

「ごゆっくり」


 それは俺のセリフだと思いながら、玄関のドアを開けた。

 するとドアの前にいたのは、パリッとした男物のスーツを着たミカンだったのだ。


「あ、間に合ってます」


 そう言って一度ドアを閉め、チャイムが連打されるのも構わず、コタツを確認する。

 いない。

 先ほどのミカンは見当たらず、コタツ布団が乱れた様子もない。

 はて、これはおかしな事になってきたぞと思いながら、チャイムの連打を止めるために、俺は玄関を開いた。

 やはりそこにいたのは、頭にちょっとした枝と葉っぱが付いたミカンだったのだ。


「えっと、俺が助けたミカンで恩返しがしたいという用件でアーユーオーライ?」

「ザッツライト」


 そうして俺とミカンはコタツで足を延ばし、恩返しが有料か無料かの話をしたのだが……


 ――やっぱり夢か。


 目が覚めれば、目の前にはコタツの天板が広がり、その上には、剥きかけの干からびたミカンが転がっていた。

 体を起こして薄くなったミカンの皮を剥き、少々固くなってしまった中身を口に頬張って咀嚼そしゃくする。


「痛い!」


 不意に外から悲鳴のような男の声が聞こえてきて、俺は恐る恐る玄関ドアを開いた。

 するとそこには、パリッとしたスーツを着たミカンが転がっていた。

 ところがその皮は先ほどまでと違ってすっかり萎びている。

 そればかりか一房分の穴も空いていて、中に人の顔のようなものも見えるではないか。

 これはきっと見てはいけないものに違いない。

 心のうちではそう思っても、好奇心は抑えられない。

 干からびて薄くなった皮を慎重に剥き、やがて現れたその顔は、どう見ても自分の顔だった。

 カッと目を見開き、ミカンの中に埋もれている自分だった。


 ――夢か。


 その瞬間、俺は再び目を覚ました。

 目の前に広がるのは、やはりコタツの天板で、剥きかけの干からびたミカンが転がっている。

 体を起こして薄くなったミカンの皮を剥き、少々固くなってしまった中身を口に頬張って咀嚼そしゃくして、今度は「痛い」とは聞こえてこなかった。

 代わりにピン、ポンともったいつけたようにチャイムが鳴った。

 だが、ミカンごときに恩返しなどさせてやるものかと、俺はザルに盛ったミカンを平らげることに集中した。

 それにしても今日は寒い。

 どうにも眠くてたまらない。

 やがて俺の頭は、ミカンが盛られたザルの中に――




  『ミカンヘッド』 ― 完 ―

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ミカンヘッド 津多 時ロウ @tsuda_jiro

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