第3話:9割の事実に、1割の間

「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」


 アイリスは、壊れた玩具のように同じ言葉を繰り返した。

 深夜二時一五分。


 配信開始から、まだ十五分しか経過していない。

 だが、同時共鳴値は、すでに五千を超えていた。異常な伸びだ。


(ペースが速すぎる)


 伏し目がちに涙を拭い、アイリスは冷静に状況を分析していた。


 水晶の向こう側にいる五千という数字の熱量が、肌を焼くように伝わってくる。


 彼らは「事実」を求めているのではない。「感情の投棄場所」を求めているのだ。


 アイリスは、わずかに身体の角度を変えた。

 計算された動きで、机の端に置いていた小瓶を画角に見切れさせる。


 ラベルには『鎮静用』の文字。


──配信コメント──

「え、今の薬?」

「安定剤じゃん」

「手が震えてるの、そのせい?」

「おいおい、そこまで追い詰められてるのかよ」

「王太子、何したんだ」

──────────


 コメントが「薬」に反応した瞬間、アイリスは小さく息を呑む演技を入れた。


 慌てて小瓶を手で隠し、強引に話題を変える。


「あ……ごめんなさい、汚いものをお見せしてしまって。……私、最近少し、眠れなくて」


 否定はしない。隠すことで、逆に「真実」だと確信させる。


 これが、人間の認知バイアスだ。


「殿下は……悪くないのです」


 アイリスは、震える声で紡いだ。


 ここからが、本番だ。


 決して断言はしない。


 けれど、視聴者の脳裏に“よくない想像”を組み立てさせるための、パズルを置いていく。


「殿下は、正義感が強くて……まっすぐな方だから。私の行動が、お気に召さなかっただけで」


 言葉を一度、切る。


 沈黙。


 一秒、二秒、三秒。


 この「間(ま)」こそが、言葉よりも雄弁な誤解を生む。


「教育熱心なあまり、少し……言葉が厳しくなるほど、情熱的にご指導くださっただけなのです。私が、痛みに弱くて……大げさに、倒れてしまったのが悪いのです」


 嘘は言っていない。


 だが、文脈を失った視聴者は、勝手に最悪の場面を補ってしまう。


──配信コメント──

「今の言い方、やばいだろ」

「暴力疑惑じゃねーか!」

「教育的指導でそれは終わってる」

「倒れるまで追い詰めたのか?」

「#アイリスを守れ」

「#王太子を許すな」

──────────


(……怖いな)


 ふと、アイリスの背筋に本物の寒気が走った。


 コメント欄を流れる憎悪の奔流。


 それは、アイリス自身が設計し、煽動したものだ。


 けれど、一度火がついた「空気」は、もう設計者である彼女にも制御できない。


 まるで、巨大な怪物の口の中を覗き込んでいるようだ。

 もし、この矛先が自分に向いたら?


 その想像を一瞬で振り払い、アイリスは「最後の仕上げ」に入った。


「うっ……はぁ、はぁ……」


 呼吸のリズムを崩す。


 過呼吸の演技。


 マイクに近い位置で、浅く、苦しげな呼吸音を拾わせる。


「ごめんなさい……息が……殿下のことを、思い出すと……」


 胸元を強く掴む。


 顔色を蒼白に見せる照明の下、彼女は酸素を求めてあえぐ小鳥のように見えたはずだ。


「怖い……ごめんなさい、やめて……ごめんなさい……」


 虚空に向かって、誰かに許しを請うように呟く。


 その視線が、カメラではなく、見えない「誰か(王太子)」に向けられた瞬間。


 アイリスは、糸が切れたようにガクリと崩れ落ちた。


 ガタンッ!


 椅子が倒れる派手な音が響く。


 画面からアイリスの姿が消え、無人の天井だけが映し出される。


──配信コメント──

「アイリス様!?」

「おい! 誰か!」

「気絶した!?」

「救急! 誰か王都の治癒士呼べ!」

「放送事故だろこれ」

──────────


 パニックに陥るコメント欄。


 その混乱が最高潮に達したタイミングを見計らい、アイリスは床に伏せたまま動いた。


 震える指で『原初の水晶』の通信回路を物理的に遮断する。


 プツン。


 唐突な暗転。


 配信終了。


   *   *   *


 静寂が戻った部屋で、アイリスはむくりと起き上がった。


 乱れた髪を指で梳き、大きく深呼吸をして、酸素を脳に送る。


「……ふう。疲れた」


 過呼吸の演技は、実際に身体に負荷をかける。手足の痺れは本物だった。


 彼女は冷めた紅茶を一口飲み、手元の水晶を操作して「結果」を確認する。

 狙い通り、いや、狙い以上だった。

 中途半端な配信終了は、視聴者の不安を爆発させた。


 「心配」は「怒り」に変わり、その怒りは共通の敵である王太子へと雪崩れ込んでいる。

 視界の端に、次々と通知が浮かび上がる。


 それは、王国の世論が書き換わったことの証明だった。


──結晶ギルド通知──

【通知】水晶ネットワーク内で、あなたのチャンネルへの言及数が急増しています。


【流行】一位:「#アイリスを守れ」

【流行】二位:「#王太子暴力疑惑」


【警告】複数の「切り抜き映像」が生成され、拡散され始めています。

──────────


***


(後書き)


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

アイリスの演技力と計算高さに「おもしろい!」「続きが気になる!」と感じていただけましたら、


ぜひ **【フォロー】** と **【★3つの評価】** をよろしくお願いいたします!

皆様の「★(評価)」と「フォロー」が、執筆の力(マナ)になります。


次回、**『第4話:切り抜き職人、稼働』**

拡散された「15秒の切り抜き動画」が、文脈を無視してバズり始めます。王太子の反撃はあるのか? お楽しみに!

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