第2話:空気は見た目で作れる
深夜二時。
王都の誰もが寝静まる時間帯。
薄暗い部屋の中で、『原初の水晶』だけが淡い燐光(りんこう)を放っている。
アイリスは息を潜めた。
画面の向こう側に、不特定多数の「視線」がつながり始める気配を感じる。
水晶ネットワークにおける接続の伸び――それは「同時共鳴値」として可視化される。
同時視聴数に相当する指標だ。
一〇、五〇、一〇〇……。
数字の上がり方は緩やかだ。まだ、誰もこの配信の意図に気づいていない。
(照明、光量二。カメラ角、俯角十五度)
脳内で数値を弾き出す。
アイリスは膝を抱え、わざと背を丸めて水晶を覗き込んだ。
レンズ越しに見える自分は、完璧に「傷ついた少女」だった。
乱れた髪。
化粧を落としきれていない、目の下の隈(くま)。
そして背景に見切れる、乱雑に詰め込まれた鞄。
アイリスは、最初の十秒間、何も喋らなかった。
ただ、震える呼吸音だけをマイクに乗せる。
「……っ」
小さく喉を鳴らす。
それだけで十分だった。
静寂こそが、視聴者の想像力を最も刺激する「雄弁な言葉」だと、彼女は知っている。
──配信コメント──
「!?」
「え、なにこれ」
「アイリス様?」
「顔色悪……大丈夫?」
「こんな時間に?」
──────────
コメントの“念”が、光の文字となって周囲に浮き上がり始める。
不審、驚き、そして微かな心配。
空気が温まり始めたのを確認して、アイリスは唇を開いた。
「……驚かせてしまって、ごめんなさい」
声は、消え入りそうな囁くような声。
マイクが衣擦れの音さえ拾うほど静かな夜だ。
その声は、視聴者の耳元に直接届く。
「どうしても……眠れなくて。誰かの声が、聞きたくて」
視線を一度だけ上げて、すぐに伏せる。
カメラと目を合わせない。これは「罪悪感」と「恐怖」の演出だ。
だが、アイリスの瞳の奥は、冷徹に同時共鳴値のカウンターを見つめていた。
三百。
深夜の突発配信にしては、初動が早い。夜会の噂を聞きつけた生徒たちが拡散しているのだろう。
「……今日、学園で……いろいろなことが、あって」
言葉を区切る。
言い淀む。
文脈をつなげないことで、視聴者に「あの断罪劇か」と気づかせる時間を稼ぐ。
──配信コメント──
「今日の夜会のこと?」
「婚約破棄されたって噂、本当?」
「ちょ、後ろの鞄なに?」
「まさか追い出されたの?」
「アイリス様、泣いてる?」
──────────
(よし。誘導完了)
アイリスは小さく頷いたように見せて、実際には肩を震わせた。
そして、核心に触れる。
決して、嘘はつかない。
事実を、どう切り取るかだけの勝負だ。
「エドワード殿下は……とても、情熱的な方だから」
その一言に、すべての感情を乗せた。
恐怖。諦め。そして、無理やり自分を納得させようとする健気さ。
「私が……至らなかったの。殿下のお声が、少し大きくなってしまったのも……私が、殿下の理想に応えられなかったから」
事実、王太子は大声を出した。
事実、彼は情熱的に正義を語った。
アイリスは何も捏造していない。
だが、「深夜」「やつれた顔」「震える声」というフィルターを通した時、その言葉は別の意味として受け取られていく。
受け手の中で、「情熱」は、「何か怖いことがあったのでは」という連想にすり替わっていく。
──配信コメント──
「は?」
「声が大きくなったって、怒鳴られたってこと?」
「いや、この震え方は普通じゃない」
「情熱的って……オブラートに包んでるけど、それ」
「#アイリスを守れ」
「王太子、何したんだよ」
──────────
コメントの流れが速くなる。
同時共鳴値が跳ね上がる。
三千。
桁が変わった。
視聴者たちの脳内で、勝手に「何かあったのではと思わせる王太子」と「それに耐える可哀想な婚約者」の構図ができあがっていく。
アイリスは、膝の上で強く拳を握りしめた。
爪が食い込む痛みで、生理的な涙を誘発する。
一粒だけ。
計算通りに、頬を伝う雫。
「ごめんなさい……私、怖くて……震えが、止まらなくて……」
過呼吸気味に息を吸い込む。
ヒュー、ヒュー、という呼吸音が、視聴者の不安を煽る雑音となって響く。
「ただ、謝りたくて……殿下に、申し訳なくて……」
言葉にならなくなっていく。
これ以上は喋らないほうがいい。「情報の欠落」こそが、最大の燃料になる。
アイリスの手元で、水晶が赤く明滅し始めた。
共鳴過多による魔力負荷の警告だ。
だが、それは同時に、彼女の仕掛けた「空気」が、王都中に伝染し始めた合図でもあった。
その時、視界の端に新たな通知が浮かび上がる。
──結晶ギルド通知──
【通知】現在の同時共鳴値(同時視聴数に相当する指標)が、深夜帯の歴代記録を更新しました。
【流行】急上昇語句:「王太子の情熱」「#アイリスを守れ」が抽出されました。
──────────
***
(後書き)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
アイリスの演技力に「おもしろい!」「続きが気になる!」と感じていただけましたら、
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皆様の「★(評価)」と「フォロー」が、執筆の力(マナ)になります。
次回、**『第3話:9割の事実に、1割の間』**
切り抜き動画の拡散により、王太子の「情熱」が世界中に誤解されていきます。お楽しみに!
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