第10話 足跡ーアカー

「……これは酷いわね」

 カメラを手に虎真はシャッターを切る。

 被写体は当然のこと、松葉、の死体だ。

 虎真とて写真家の端くれ。

 行く先々で、と出くわすのは珍しい話ではない。

 ただし、自らの意志で人間の死体を撮影するのは初めてであった。

 撮影理由はただひとつ。

 警察に提出する証拠を確保するためだ。

 人間にしては猟奇的であり、かといって動物にしては違和感が強すぎる。

 手足は雑草のようにもがれ、首は竹串でも折るかのようにへし折られている。

 腹はヘソから真横へと引き裂かれ、臓物が畳の上にぶちまけている。

 欠損箇所は見あたらず、なおかつ咬痕も現時点で見あたらない。

 純粋な膂力で殺害された、としか思えない。

 基本、野生動物は、命の糧として喰らうために生き物を殺す。

 おもちゃのようにもてあそぶことなど絶対にしない。

「強盗じゃないのは確かだけど、気になるのは……」

 畳の上に転がる右手と左手。

 古ぼけた木の小箱を掴むように力強く握っている。

 真新しい爪痕が小箱に刻まれ、開けようとした時に殺害されたのか。

「中身を確かめるのは警察の仕事よ」

 小箱の中身よりも写真家として気になる痕跡があった。

「この足跡……」

 畳に刻まれた赤い足跡。

 小さな小さな足跡だが、表情を曇らせる。

 微妙にサイズ差があり、仮にサルだとしても形がおかしいのだ。

 畳に刻まれた赤き足跡は、五指がまっすぐ並んでいる。

 サルは手だけでなく、足すら物を掴むことに特化している。

 母趾ぼし――足の親指だけでも顕著な違いが出る。

「人間は、地面を歩くから親指の可動範囲は低いし、指五本がまっすぐ並ぶ構造だけど、サルは、木とか掴む構造上、親指が他の指から離れているはずよ? この足跡、どう見ても人間に近い――いえ人間そのものよ」

 子供の常軌を逸脱したいたずらだとしても、道具ひとつなく人間をバラバラにして腹を引き裂くなどありえない。

 大人が先に殺して、子供に解体させた?

 なんのために?

 ――考えるな!

 自分は探偵ではなく写真家。

 下手に推理しても時間の無駄だ。

 今できるのは現場を撮影して状況を確保すること。

「……松葉さん」

 撮影が終われば、改めて冥福を祈る。

 確かに湖周辺の撮影に良い顔をしなかったのは事実。

 その地で亡くなった男の孫ならばなおのこと。

 湖底に何かあると、こっそり機材を沈めて撮影もした。

 結局は、当時の建造物が沈んでいるだけであった。

「え、本当ですか!」

 弟が歓喜の声を漏らしている。

 基本的に、他人とは一歩距離を取って接するのだが、あの喜びようは珍しかった。

「美鶴さん、起きて! 大家さん、目を覚ましたってよ!」

 とんでもない朗報だ。

 龍太は、自分事のように喜んで未だ目を覚まさぬ美鶴の肩を揺さぶっていた。


「本当、ですか?」

 まだ意識が完全覚醒していないのか、美鶴は半信半疑だ。

「大家さんの名前、田中則子たなかのりこさんで間違いないよね?」

「あ、はい、そ、そう、です!」

「おばさんに事情を説明していたら、ちょっと調べてくれて、そしたら、きみの失踪届が出されていたのがわかったんだ」

「それが、お、大家さん……」

 美鶴の肩が震える。目じりに涙が籠もる。

「なんでも三日前に意識を取り戻したみたいなんだ」

「うっ、ううっ……」

「はいはい、泣くのは山を下りて再会してからにしなさい。それで愚弟、麒麟叔母さん、他になんか言ってた?」

「写真はしっかり提出すること、後……」

 美鶴に聞かれぬよう、姉の耳元で龍太は小声で囁いた。

(状況を鑑みて、迎えに直属の部下を派遣するって)

(警視庁出向組の? 子供ひとりに?)

(おばさんが言うには、この子の住んでいたアパート、放火で確定したみたい。あの子の部屋に物音がしたから覗くと、知らない男がいたそうなんだ。そのまま部屋に火をつけたって、止めようとしたら殴られて、そのまま……)

(ほおぅ)

 虎真の瞼を細め、口先から怒りを滲み出す。

 放火は殺人と同等の罪だ。

 仮に火つけが不発だったとしても実行した同然の扱いとなる。

(近隣のコンビニの防犯カメラから、大家さんを殴った男とよく似た背格好の男が映っていたみたい)

(ぶっ飛ばした時、写真撮っとけばよかったわね)

 有益な証拠になっていたが、後悔先に立たずである。

 今この姉弟がすべきなのは、一日でも早く、美鶴を保護者の元に帰すことだ。

 ひとりでないだけで、心がどれだけ救われるか。

(あともうひとつ、合流ポイントだけど)

(オーライ、ここは叔母さんの手に乗りましょう)

 見捨てるのは容易い。

 無関係を装えばいい。

 それでも姉だけでなく弟が、赤の他人に関わり続けるのは、誰かのためにあれという親の教育によるものであった。


 関わったからこそ、最後まで関わり抜けと。

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