第8話 住人ールスー
えっほえっほ。
龍太の脳内にかけ声が勝手に響く。
背負った美鶴は見かけ以上に体重が軽く、胸にかかえたリュックの荷物あろうと、お荷物にはならなかった。
「えらい軽いな、食べてるのか?」
「あれこれあったからあまり食べられなかったんでしょう」
肩にかかる手の平を見た。
抵抗した後か、切り傷擦り傷が多いも、目を見張るのは右手にあるペンダコだ。
電子教材が多いこのご時世、アナログで勉強を重ねてきた証拠だろう。
ただ一人残されようと、ひたすら努力を重ねてきたはずだ。
それが身に覚えのない罪一つで弁明さえ許されず水泡に返した。
もし神様がいるなら、彼女がなにをしたか、ブン殴りながら問い質したい。
「ヘドが出る!」
「ふ~ん、あんたでもそんな感情あるんだ」
「茶化すなよ。本当に人間は救おうとしても救われねえ!」
現実はままならず、不条理だとは親父の弁。
救ったからといって救われたとは限らない。
自殺者志願者の自殺を止めたところで、自殺の原因が解決しない限り、再度、自殺に走る。
もっとも、世の中、大衆に見えるキレイゴトしか賞賛されないため、自殺を止めた者が賞賛されるのは皮肉すぎた。
「けど、この子はまだ生きてる。生き抜いてる」
「殺されていないだけ。自殺は他殺だよ。死ぬまで追いつめた奴がいるなら、それはもう立派な殺人だ。自業自得なら、真っ先に自分を殺している」
厄介で面倒なのが、その殺人は現行犯でないことだ。
直接手を下していないからこそ、証拠能力は乏しい。
「これから生きられる保証なんてない」
ずり落ち掛けた美鶴を、龍太は背負い直す。
酷な言い方だが、虎真は一介の写真家、龍太当人もただの大学生だ。
親が政治家だからといって子供が偉いはずがない。
昨日の政治家が今日は無職など珍しい話ではない。
だが世間ではそうと思われない。
頼んでもないのに、手もみで近づき、縁を得て利益を会得しようとする者や、懐に入り込んで弱みを握らんとする者もいる。
政治家の子供というのは、色眼鏡で見られることもあれば、税金を搾り取る悪人と思いこんでいる輩が多いのも事実。
悪人の子は悪人。
支持率が高かろうと、国民全員が支持しているわけがなかった。
「頼れる大人もいない。味方もいない。本当に、この子がなにをしたってんだ!」
苛立ちしか口からでない。
不条理な目に遭う少女ではなく、知ってもなお有効な手段を持ち得ぬ自分に龍太は苛立っていた。
「あんた、また悪い癖出てるわよ」
虎真は肩で息をするように、深いため息をこぼす。
「そうやってひとりで抱え込んで、ひとりで解決しようとする」
「頼れるのがいないなら、ひとりでやるしかないだろう」
「……まあね」
姉からする賛同の声は重い。
実際、姉とて最終的に弁護士の力を借りたとはいえ、証拠集めはすべて単身単独で行っている。
誰もが関わらぬと巻き込まれるのを恐れて、距離を取っていたのも大きい。
「そう思うのなら、せめて関わった子ひとりぐらい、助けてあげましょうよ?」
大人としての貫禄か、それとも余力か。
まだスネかじりな学生にはわからない。
「善処はするさ、けどよ」
これからを、それでもと生きるかどうかは、今背負う彼女次第だ。
若干、和らごうと、美鶴自身、心が折れに折れている。
複雑骨折のように心は治せるものではない。
今一度、立ち上がり奮起するにしても、原動力となる心が折れていれば、命救おうと意味がなかった。
空は夕闇色に染まりつつあった。
「あら、おかしいわね?」
目的地の家屋にたどり着いた。
何度か足を運んでいるからか、特に虎真は目じりに警戒を露わとしていた。
「……静かすぎる」
曰く、鶏やヤギを飼っているため、鳴き声がするはずだと。
聞こえる音は風に揺られる枝葉の音だけ。
それが逆に不気味すぎた。
「こんな辺鄙な場所にひとりで住んでいるのか?」
テレビの収録番組に出てくる絵に描いたような古い木造住宅だ。
都市部より遠く離れており、近隣に集落はあっただろうと今では廃村。
買い物すら満足にできぬ地で暮らす理由が理解できなかった。
「住んでいた家が阿尾湖となった後から住み始めたみたい。理由は頑として教えてくれなかったけど」
「元住人で、生活が忘れられないとか?」
「故郷を思う気持ちは誰にだってあるわよ」
龍太は口を瞑りながら、背負っていた美鶴を縁台にゆっくりと乗せる。
瞼がピクピク動いていることから、目覚めは近いようだ。
「
玄関ドアを開けて呼びかけているが反応がない。
何より、鍵がかかっていないことに龍太は驚くしかない。
「鍵かけてないとか不用心だろう」
「人が来ないならかける必要ないけど、出かけているのかしら?」
反応がないことに虎真はいぶかしむ。
「病院とか?」
「確かに八〇越えているけど、自力で麓の街と家を荷物背負って往復できる人よ?」
なんともフィジカルでバイタリティな人である。
「阿尾湖周囲にある熊地蔵の管理をしているのもその人よ」
「んで、一悶着は?」
目を細めながら龍太は軽口で問う。
決めつは良くないが、この手の田舎は部外者の立ち入りを拒む空気が強い。
案の定、姉は唇を噛みしめ、苦い顔つきである。
「あったわよ。最初来た時なんか、来るな、撮るなとかやかましくわめきながら追いかけてくるわで大変だったんだから」
撮影の地で一悶着は珍しいことではない。
仮に土地の所有者や行政に許可をとっていようと、全会一致ではないため、トラブルに繋がってしまう。
特に、女だからとナメてくる輩も多い。
「もうカメラと機材背負って、湖一周チェイスよ。走っても走っても追いかけてくるんだから、下手なゾンビより恐ろしいわ」
追いかける方も追いかける方もだが、追いかけられる方も追いかけられる方である。
湖の円周は約十二キロメートル。
老人のアグレッシブさはともあれ、姉も姉だ。
撮影機材込みだから、下手なフルマラソンより酷なはずが、この姉ならば問題なく完走したと納得できてしまう。
龍太は冷ややかな目で頷いていた。
「あの写真家の孫だって言ったら、すんごく苦い顔してたし、湖に入るな! ってことで話はついたのよ」
「湖になんかあったんだろう?」
「ん? 普通に水没した街があるだけよ?」
案の定、抜け目ない姉ときた。
「私が入った訳じゃないわよ? 入ったのは水中用撮影カメラだし~」
言い訳が白々しいのは確信犯である。
広い湖を老人ひとりで管理取り締まるのには無理があるだろう。
特に、このご時世、機械の自動化が進んでいるため、こっそり水中カメラを沈めれば事足りる。
「裏の畑にいるのかしら? この子、見てるから、あんたちょっと呼んできなさい」
「へいへい」
反論はしない。
ただ生返事だけはしておく。
龍太は住人の顔を知らない。
ただ老人なのは確かなので、しわくちゃの顔でわかるだろうと家の裏手に向かうのであった。
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