第2話 弟ーボヤキー
弟の
あ、龍太ってのは私の弟、大学生、二年生ね。
夏休みで暇だからじゃなくって、家業手伝うのがイヤだからって、報酬をエサに撮影助手として引きずって来たの。
まあ、行き先は夏の山よ?
一昔は避暑地とか言われてたけど、今じゃどこもかしこも酷暑ときた。
もう暑いし虫もいるわでうるさいのなんの。
山だからサルやらイノシシ、シカもいる。
そうね、野生のクマはいないわね。
特に夏場は繁殖時期で活性化するから、土地によっては危険地帯。
場所が福岡の奥地の奥地、大分とか熊本の境の山の中。
昔は
ダム湖じゃないわね。
都市は
けど昭和の頃に、地下水が街中にまで溢れて街ごと閉山されたわ。
そうして生まれたのが、阿尾湖ってわけ。
名所? ないない。
螺旋状に採掘していたのを居住地として利用していたの。
湖が円形をしていたのはその名残よ。
まあ珍しいものはあったわ。
湖を囲むように、二六の地蔵が奉られているの。
地蔵ってなに?
そうね、端的に言えば、人が通る道とかにあって、子供や旅人を守る神様ね。
ただこの地蔵が普通の地蔵とは違うの。
頭部がクマなのよ。
熊地蔵って呼ばれてるけど、どうして熊の頭なのか、あの時はあれこれ調べたけど、結局はわからないままだったの。
ええ、確かに元住人と接触はできたわ。
できたけど……まあ地蔵含めてそれは追々ね。
そうね、どこから、ん~まず最初は弟のボヤきからかしら?
*
「帰りてえ~!」
黒髪に整った顔立ちであるが、露骨な表情のせいで台無しである。
右を見ても森、左を見ても森、上を見れば青い空、下を見れば地面。
前を見れば清涼なる河川。
振り返れば、キャンプ地としたテントである。
夏用の長袖長ズボンのキャンプウェアだが、汗が肌に張り付いて不快だ。
「……逃げときゃよかった」
悔恨を口にしようと後の祭り。
都心より離れに離れ、四方を山に囲まれた僻地の僻地。
地理的に、福岡・大分・熊本の県境。
国道と銘打っていようと、整備を放置された荒れた道路。
山の中にはポツンと一軒家どころかコンビニすらない。
「ぐちぐちうるさい! こっちは金払ってんだから、キリキリ働きなさい!」
二〇代女性から飛ぶお叱りに龍太は、露骨に肩をすくめた。
テント前に広げたシートの上でカメラ機材のメンテナンスをしている女性は龍太の姉だ。
「だからって、いわくつきの地とか聞いてないって。ここあれだろう。じいさんが死んだ場所だろう?」
「正確には、負傷した場所! 亡くなったのは病院のベッド!」
語気で強調するは龍太の姉、
大学生である龍太と異なり、写真家として大成し自然界をありのまま撮影する腕は高く評価されていた。
「というか、父さんの地方巡業の手伝いはイヤだ~助けてくださいお姉様! って泣きわめいたの誰だっけ?」
「泣きわめいてないっての! 様づけとか勝手に脳内保管するな!」
「はぁん、どうだか。国会議員の手伝いより、写真家の手伝いのほうが人と交流ないからって楽な方に逃げてきたのが、どの口で言うの?」
龍太は唇噛みしめ、言い淀むしかない。
親が政治家、それも衆議院議員。
であるなら否応にも、子は二世として善し悪し関係なく、見られてしまう。
宗教二世よりマシだと割り切ってはいるが。
「あんた、大学二年でしょう? 一応、単位落とさず、しっかり勉強しているみたいだけど、いい加減、進路決めなさい。そのままコネとかツテ使われて、二世議員にされても知らないわよ?」
「ふ~ん、若手議員のコネ作りのための見合いががイヤだからって、親父を物理で沈めたのが言うと説得力あるわ~」
皮肉を込めて返したのだが、返ってきたのは言葉ではなく拳であった。
脳天から顎下を貫く衝動に、龍太はうずくまり、うめくしかない。
皮肉を言うのに失念していた。
物心ついた頃から、身に染みているはずだ。
この姉、口より拳が先に出る、と。
何より鍛え抜かれた身体は、某霊長類最強と真っ向勝負を行えると弟として推薦できるほどに。
谷間と尻は割れて一つだが、腹筋は六つも割れているから恐ろしい。
「ぐっ~んなん性格だから、親父が将来を悲観して見合いの席用意したんだろう! なのにさ相手さん、アグレッシブさに惚れちまったそうだけど? デートのお誘いきてんだろう? 俺に進路云々言う前に婚期から産廃にぐえっ!」
「お・だ・ま・り!」
余計な一言、追加の元。再度、うずくまるのを強要される。
「この私にあれこれマウント取りたいなら、経済的に自立してからいいなさい! 学費、誰が出していると思ってんのよ!」
「親父!」
卑怯である。
返答などひとつしかない。できない。
当人ではない他人が、一方的に口を出してくるのは、本当に卑怯だ。
「いいから、仕事して! こっちはしっかり金払ってんだから!」
「仕事って、熊のいない九州で熊の痕跡を見つけ出すバイトとか、徳川の埋蔵金探した方がマシ、おっと!」
三度めは受けぬと、カエルのように真横へと跳ぶ。
振り下ろされた鉄拳は空を切り、歯ぎしりする姉の顔にほくそ笑む。
ただこれ以上、からかえばオソロシイことになるので、龍太は身を質す。
ガサリ、と草木が揺れる音がしたのは、身を質したと同時であった。
「クマか!」
「そんなわけないだろう!」
素早くカメラを構える姉に、弟はツッコミを入れた。
仮に本物のクマならば、音がした時点で、すでに飛びかかれ、茂みの奥に引きずり込まれているはずだ。
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