第2話 はじめての『おそと』と飲み物

​ それは、気のせいなどではなかった。

 何百年もの間、少女の言葉に答えてくれたのは、冷たい空気と静寂だけだったからだ。

​ 窓枠に腰掛けたその女性は、少女が今まで見た誰よりも自由で、そして柔らかい光を纏っていた。

「……な、な……っ!」


​ 声が、うまく出ない。

 驚きと、そしてずっと心の奥に隠していた「生きているものが来た」という嬉しさで、少女は小さな顔を伏せた。

 

 けれど、その女性は怖がるどころか、ふふ、と優しく喉を鳴らした。

「あらあら。そんなに驚かせちゃったかしら。ごめんなさいね、小さなお嬢様」


​ 彼女はひらりと窓から飛び降り、こちらへ歩み寄ってくる。

 少女の足元からは、触れるものすべてを壊してしまう禍々しくも寂しい魔力が、黒い霧となって溢れ出していた。


 (近付かないで。危ないですわ!!)


 そう叫ぼうとした少女の言葉よりも早く、女性はその白い手を、少女の頭にそっと置いた。

「……っ!? だ、ダメですわ! わたくしに触れたら、あなた、いなくなっちゃいますのよ!?」


​ 少女は慌てて身を引こうとした。

 けれど、女性の手は驚くほどあたたかく、そして、少女の荒れ狂う魔力をまるで「よしよし」となだめるように、穏やかに包み込んでしまった。

「大丈夫よ。あなたの力はね、本当はとっても優しい力だもの。……ただ、ちょっぴり寂しくて、暴れん坊になっちゃっているだけ」


​ 女性は、少女の目線に合わせてゆっくりと膝をついた。

 

「ねぇ、お嬢様。もう、十分でしょう? あなたはこんなに長い間、ひとりぼっちで、本当によく頑張ったわ」


​ その言葉が、少女の胸の奥にある、冷たく凍りついた部分にじわじわと染み込んでいく。

 お行儀よくしていれば、いつか誰かが。その「いつか」が、今、目の前にいるのだと、少女は直感した。

「……わたくし、もう、お留守番はやめてもよろしいのですの?」


「ええ。これからは、私と一緒に夜遊びを楽しみましょう?」


​ 女性が魔法の杖を床にトントン、と優しく鳴らした。

 すると、部屋を閉じ込めていた重たい空気の壁が、キラキラとした光の粒になって、夜風にさらわれていった。

「……あ……っ」


​ 初めて見る、本物の外の世界。

 女性は立ち上がり、もう一度、白くて柔らかな手を差し出した。

「さあ、お嬢様。まずはその喉の乾きを癒しに行きましょう。とびきり美味しい飲み物があるところまで、ひとっ飛びよ」


​ 少女はおそるおそる、自分の小さな手を、女性の手へ重ねた。

 

 ぎゅっと握り返されたそのあたたかさに、少女の目からは、ポロリと涙がこぼれ落ちた。

 それは、数百年分の孤独が、ようやく溶け出した合図だった。

​ 女性に抱き上げられたまま、少女は初めて城の外へと飛び出した。

 視界に飛び込んできたのは、窓から見ていたよりもずっと広い、キラキラした星の海。

 

「……ひゃっ! あ、足が、地面についていませんわ!」


「ふふ、驚かせてごめんなさいね。でも見て、あんなに遠くまで世界は続いているのよ」


​ 少女は女性の首にちっちゃな腕をまわして、夢中でその景色を眺めた。

 やがて二人は、静かな湖のほとりに舞い降りた。

 そこには、女性が旅の拠点にしているという、不思議な形をした幌馬車が止まっていた。

「さあ、お嬢様。乾杯しましょう。ずっと喉が渇いていたのでしょう?」


​ 女性は手際よくテーブルを出し、綺麗なグラスに真っ赤な果実の飲み物を注いだ。

 少女はおそるおそるそれを口にする。

 ひんやりとして、太陽のにおいがするような、とびきり甘い味だった。

「……おいしい。本当においしいですわ……」


​ ひと心地ついたところで、少女はふと気がついた。

 この優しい人のことを、自分はまだ何も知らない。

「あの……お姉さま」


「なあに、お嬢様?」


「わたくし、お名前を伺ってもよろしいかしら。お礼が言いたいですの」


​ 女性は少し意外そうに目を丸くした。それから、困ったような、でも嬉しそうな顔をして微笑んだ。

「……あら。本当にお行儀のいいお嬢様なのね。名乗るのが遅れてごめんなさい」


​ 彼女は大きな帽子を脱いで、胸に手を当てた。

 さらり、と月光に銀髪が揺れる。

「私の名前はね――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る