第3話 日々の値段
首輪を嵌められた私は、プレハブ小屋の外へ出た。
「ああ。黒慟さまは男性ですものね。
そこまで気が回らなかったのでしょう。先に教えて差し上げますわ」
ライカは、まるで注意事項を読み上げるような軽さで言った。
「ここではトイレも有料ですの。一回二千円。
外でする場合は、地面に穴を掘って用を足していただきますわ。
スコップの貸し出しは無料。トイレ横のバケツに入っていますの」
指さされた先には、建設現場で使い捨てられる類の簡易トイレが無造作に置かれていた。
……排泄すら、料金表に載せられる行為。
ここは、生きているだけで請求書が積み上がる場所だ。
「まあ、ダンジョンに潜る方なら、外ですることにも慣れていらっしゃるでしょう?」
確かに、ダンジョン内にトイレなど存在しない。
穴を掘り、用を足す。それ自体は珍しいことではない。
だがそれは生き延びるための工夫であって、金を取られる理由ではない。
この場所では、その最低限の尊厳すら、値札を付けられている。
「次は売店ですわ」
拒否する余地もなく、私はライカの背中を追った。
プレハブの裏手には、一台の大型トラックが停まっている。
運転席のドアを数回叩くと、窓が下がり、無言で鍵だけが放り投げられた。
ライカは鍵を鮮やかにキャッチすると、トラックの後部へと回り込む。
鍵を差し込むと、カチリと重々しい音が響いた。
「……広い」
思わず漏れた声が、空間に吸い込まれる。
トラックの荷台に足を踏み入れた瞬間、視界が開けた。
外から見た大きさの数倍――いや、十倍以上はあるだろうか。
一目で分かるほど、空間そのものが何らかの術式で拡張されていた。
棚には、節操のない色々な商品がぎっしりと詰め込まれている。
入り口から見て左側にはダンジョン探索用の装備品。
剣、槍、斧などの近接武器。
銃火器に弾薬、弓や鏃など中遠距離武器。
防弾チョッキやヘルメットなどの防具。
入り口から見て右側には、ドラッグストアにあるような日用品。
包帯、薬、生理用品、傷薬。
菓子、飲料、酒といった嗜好品。
地獄に設えられた、歪なドラッグストア。
だが、本当の地獄は次の瞬間に現れた。
「……」
値札を見て、言葉が喉に詰まる。
コンビニで百数十円のペットボトル飲料が八百円。
カットバンは三千円。
生理用ナプキンは六千円。
量産品のショートソードは、外なら一万円程度のものが、ここでは百万円。
スーパーやドラッグストアの感覚で考えれば、正気を疑う値段ばかりだ。
「ここでの物資はすべて貴重品ですもの。妥当な対価ですわ」
ライカは楽しげですらない、事務的な笑みを浮かべた。
「もちろん、今すぐ現金で払えとは申しませんの。
すべて端末で決済できますわ。
お金がなければ、そのまま借金に上乗せされるだけ」
彼女は淡々と告げる。
「貴女の場合は元々の契約書通りトイチの複利ですの。
食べる。飲む。血を止める。
そのたびに、貴女の数字は増えていく」
――数字。
命は体重でも心拍でもなく、借金残高で測られる。
「生き延びる努力をすればするほど、ここから逃げられなくなる。
よくできた仕組みでしょう?」
喉が、ひくりと鳴った。
空腹も渇きも出血も、すべてが負債へ変換される。
棚を眺めているだけで、見えない鎖が一本ずつ増えていく錯覚に襲われる。
私は反射的に、自分の首に触れた。
冷たい首輪は、まだ何もしていないのに、すでに締め付けている気がした。
この首輪が外れる日は来るのだろうか。
いや、来る。絶対に。
そのためには――生き延びなきゃいけない。
「さて、何を買いますの?
これからダンジョンへ潜るのですから、手ぶらと言う訳にはいかないでしょう」
ダンジョンの内容は千差万別だ。
地元には、極寒と灼熱が同時に存在するダンジョンがあった。
丸腰で潜るのは、街歩きの格好で冬山登山に挑むような無謀な行為だ。
ここの情報を得たいけれど……。
「ダンジョンの情報はいくらなの?」
「そうですわね。黒慟さまからお世話を命じられている身。
特別価格で五百万でいいですわよ」
だと思った。
喉から手が出るほど欲しいけど、今の私に買う余裕はない。
……一階か二階を自力で探索して、把握するしかない。
私はいくつかの棚を巡り、足を止めた。
「初心者セット……五百万……」
量産型の片手剣、ヘルメット、防刃チョッキ。
包帯が二個に傷薬が五個。
ヘッドライト、素材回収用のリュックサック。それに水と非常食が三個ずつ。
高い。外の世界なら数万円で揃うものが、狂った値段で並んでいる。
……でも、私は大学の帰りにそのまま連れて来られた。
今の私はダンジョンに潜る為の道具は、何も持っていない。
「それを買いますの?」
私の沈黙をどう受け取ったのか、ライカが話しかけてきた。
「……」
「ふふふ。なんでしたら、わたくしが買い与えて差し上げましょうか?
ただし。一晩、わたくしの命令に絶対服従するという条件でよろしければ、ですが」
ライカの手が私の太腿に触れ、そのまま這い上がるように腰へと滑り込んできた。
蛇が這い回るような粘りつく感触。
ゾクゾクと全身に嫌悪感が走り、私は反射的にライカを突き放して距離を取った。
「な、何をするのっ!」
「あら、つれないことですわね。貴女の身体を五百万で買ってあげようという親切心ですのに。
一晩で五百万も稼げるのですから、悪くないお話ではなくて?」
ライカは拒絶されても顔色一つ変えず、むしろその反応を楽しむように目を細めた。
「……」
言い返す言葉が見つからない。
ここは倫理も常識も通用しない場所なのだ。
心が激しくグラつき、内なる天秤が危うく傾きかける。
今日の一晩。
ライカに身を委ね、屈辱に耐えさえすれば五百万が手に入る。
そうすれば、この法外な「初心者セット」を借金なしで手に入れられる。
装備を整えた状態でダンジョンに潜ることができ、生存率は飛躍的に上がるだろう。
――たった一晩。
それだけで、命が助かる確率が上がるなら。
第一、ヨウスケに比べたら、ライカの方がまだ……。
いや、違う。
私は黒慟に「身体を売るぐらいなら命を賭ける」と宣言したはずだ。
あの時の自分を、ここで裏切るのか?
「わ、私は……」
ライカの赤い瞳が爛々と輝き、私の浅ましい迷いを見透かしているようだった。
「時は金なり。あと十秒以内に決断をして下さいな」
ライカは無慈悲にカウントダウンを始める。
一秒ごとに、残されたプライドが削り取られていく。
追い詰められた末、私は乾いた喉を鳴らし、ライカに向けて言葉を絞り出した。
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