第2話 首輪


 ワゴン車に揺られて二時間ほど経った。


 窓の外はいつしかビル群から深い木々へと移り変わり、街の喧騒は重苦しい静寂に取って代わられた。

 舗装の途切れた道に入るたび、車体は激しく上下に跳ねる。


「着いたぞ。降りろ」


 黒慟の短い言葉に従い、外へ出る。

 夜の帳が下りた周囲は、吸い込まれるような闇に包まれていた。

 車のヘッドライトだけが、不気味に浮かび上がる二階建てのプレハブ小屋を照らし出している。


「あそこが宿だ。一泊五千円。

 食事は別だ、一階の券売機で食券を買え。

 風呂は一回三千円、シャワーなら千円。

 ……ああ、Wi-Fiも通っているが、一時間一万円だ。

 支払いはツケも利くが、その分はすべて借金(元本)に組み込まれる」


 法外な値段設定に耳を疑う。


「……ここに泊まるのは、強制なの?」


「お前の場合はな。本来は自由だが、返済が一度でも滞った債務者は強制収容だ。

お前はすでに一回目の支払いに遅れている。ここで寝泊まりし、死ぬ気で金を稼げ」


 黒慟は、無機質なプレハブを見上げて吐き捨てた。


「人間らしく過ごそうと思えば、一日で一万円以上は飛ぶ計算だ。

 あまりに利息を貯めすぎて、保険金で精算……なんてことにならないよう、精々励むんだな」


 車中で書かされた『死亡保険金受取人指定承諾書』。

 そこに記されていた金額を思い出す。……一億円。

 つまり、私の借金が膨らみ、その額を超えた瞬間、私を「生かしておく価値」はなくなる。


 一億円。それが、私の命のデッドラインだった。


 背中に冷や汗が流れる。

 大丈夫。

 ダンジョンに潜ることは初めてじゃない。

 なんとかなる……


 そんなことを考えていると、風がないのにも関わらず、木々の葉が揺れて掠れる音が響き渡る。

 辺り一帯を重力が増したかのような錯覚を受けるほどのプレッシャー。


(――来る!)


 背後から叩きつけられる強烈な殺気。

 だが、それはあまりにあからさまで、逆に違和感を覚えた。

 直感が強制的に身体を動かす。

 刹那、夜の闇を割って、空から巨大な斧が振り下ろされた。

 避ける隙はない。私は咄嗟に、落ちてくる斧の腹を両手で挟み込むようにして受け止めた。衝撃で腕の骨が軋む。


「――少しあからさま過ぎましたかしら?」


 月を覆い隠していた雲が流れ、月明かりが女の姿が浮かび上がらせた。

 金髪を靡かせる細身の女性。

 その華奢な体躯には似つかわしくない、凶悪な斧を握っている。


 紅い瞳が私を丸裸にするような視線を向けてくる

 かつて地元の大人たちが向けてきた、すべてを見透かし、心の奥底を覗き込むような嫌な目だ。

 それに、この獅子のようなオーラ。確実に今の私より強い。


「ライカ。これなら問題ないだろ」


「まあ、及第点ですわ」


 私が襲撃されたことなど興味もなさそうに、黒慟が口を挟む。

 ただ私には文句をいう権利がある


「ちょっと! いきなり襲ってきてどういうつもり!!」


「? ダンジョンではいきなり襲われるのは当たり前ですわよ」


「ここはダンジョンの外じゃないっ」


「常在戦場の心得なしで、ここで生き残られると思ってらして?

ここを観光地と勘違いしてますの?」


 ライカと呼ばれた女性は首を傾げて不思議そうに聞いてくる。


「言い争いをいたかったら後にしろ。

コイツの名前は緋想天サテン。今日からここで汗水涙を流しながら働くことになる。

で、コレは麒麟嶺(きりんみね)ライカ。お前とダンジョンに潜るパートナー(見張り役)だ」


「……コレって、まるで物みたいに」


「コレに人権はない。俺が買い取っている。債権者以下の奴隷だ。

 ああ、勘違いするな。奴隷とはいえ、俺の所有物。

 下手な真似をすれば、俺に喧嘩を売ったと見なす」


 ――ライカも、私と同じ。

 いや、もしかしたら私以上に、この地獄に囚われているのかもしれない。

 黒慟の冷徹な言葉に、ライカは表情ひとつ変えず淑やかに微笑んだ。


「よろしくおねがいしますわ、サテンさん」


「……よろしく」


 差し出された手を、少し迷ってから握り返す。


「ライカ。後は任せた」


「……帰るの?」


「債権者に付きっきりでいられるほど、俺の時間は安くない。

分からないことは、ライカに聞け」


 それだけ言い残し、黒慟はワゴンに乗り込むと、来た道を引き返していった。

 車のテールランプが闇に溶けていくのを見送り、私は改めて周囲を見渡した。

 プレハブ小屋の前に立つライカは、さっきまでの殺気など微塵も感じさせず、優雅な所作で髪を指で梳いている。


「それでは、こちらにいらっしゃいな」


 ライカに促され、プレハブ小屋の一階へと足を踏み入れた。

 彼女がスイッチを入れると、古びた蛍光灯がパチパチと音を立てて点灯し、六畳ほどの無機質な空間を照らし出す。

 部屋の奥には、周囲の安っぽさとは対照的な重厚で威圧的な金庫が四基、鎮座していた。


「スマートフォンと財布を渡しなさい」


「……分かった」


 震える手で、カバンから財布とスマートフォンを取り出す。

 財布には免許証、保険証、マイナンバーカード――私の社会的な証明がすべて詰まっている。

 それを差し出すことは、この世に自分が存在した痕跡をすべてライカに預けるも同然だった。

 受け取られた瞬間、胃の底が冷たくなるような感覚に襲われる。

 ……もう、引き返せない。


 ライカは淀みのない手つきで金庫の暗証番号を入力した。

 重い扉が開き、私の私物が暗闇の中へと放り込まれる。

 カタン、と軽い音がして扉が閉められたとき、私の過去との繋がりは物理的に断たれた。

 再びこちらを振り返ったライカの手には、無骨で頑丈そうなタフネススマートフォンと、鈍い銀光を放つ金属製の首輪が握られていた。


「今日から、こちらが貴女のスマートフォンですわ。

トップ画面のウィジェットには、現在の借金額が表示されていますの」


 渡された端末を起動すると、液晶には「57,000,000」という暴力的な数字が、その下には「10日後:5,700,000」という利息予定額が冷酷に浮かび上がっていた。


「ちょっと待って……! 二百万も増えてるじゃない! さっきの話と違う!」


「わたくしが貴女を案内するための手数料ですわ。

ボランティアで手取り足取り教えて差し上げるほど、わたくしは慈悲深くありませんの。

ここでは、何ひとつとして『無料』ではないと思い知ることね」


「……っ!」


 怒りで視界が歪む。

 けれど、ここで感情をぶつけても何も変わらない。

 それどころか、さらに借金が増やされるかもしれない

 私は唇を噛み締め、込み上げる怒りを飲み込んだ。


 その一瞬の隙を、彼女は逃さなかった。

 冷たい指先が首筋に触れる。

 反射的に身を引こうとしたが、間に合わない。

 金属の冷たさが、直接、肌に伝わる。


「あ……」


 カチリ、と絶望的なほど小気味よい音がして、首輪のロックが閉じられた。

 冷たい金属が、じわりと体温を奪っていく。

 これは、もう戻れない。

 普通の女子大生だった私は、今この瞬間に完全に死んだ。


「GPS付きの首輪ですわ。

忠告しておきますけれど、無理に外そうとすれば爆発いたしますわ。

以前は腕や脚に取り付けていたそうですけれど、切断してまで逃げ出す輩が後を絶たなかったそうでして。

それで、首に取り付ける仕様に変わりましたの」


 ライカは目を細め、首輪の感触を確かめるように指でなぞった。


「人間、手足一本なら諦めもつくでしょうけれど――。

首を切り落としてまで逃げることは、できませんものね?」


 首を絞められているわけではないのに、呼吸が苦しい。

 鏡を見なくても分かった。

 今、私の首には、債務者としての首輪が取り付けられたのだ。



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