彼氏は消えて残ったのは連帯保証人の借金だけ。私はダンジョンに潜ることにした

華洛

第一章 ダンジョンへ

第1話 裏切り


 人生なんて、紙切れ一枚でひっくり返る。

 そんなありふれた警句を、まさか自分の身を以て実感する日が来るなんて思わなかった。


 私は大学の講義を終え、夕暮れに染まる街中を歩きアパートへ帰った時のことだ。

 いつもと変わらない、何の変哲もない帰り道だった――そのはずだった。

 アパートの正面左側にある外階段に、壁に背を預ける黒スーツの男がいた。


 近寄りがたい、明らかに一般人ではない雰囲気。

 二階にある自分の部屋へ戻るには、あの階段を使うしかない。

 足を止めて逡巡していると、男は私に気づき、ゆっくりと近づいてきた。


「――緋想天(ひそうてん)サテンだな」


 男は吸っていたタバコを携帯灰皿に押しつけ、火を消してから問いかけてきた。

 私は喉の奥がひくりと引きつり、震える声を絞り出す。


「……どなた、ですか」


「悪冥(あくめい)会、蛇噛(じゃがみ)組の黒慟(ごくどう)だ。詐道(さどう)ヨウスケの債務について話しがある」


 詐道ヨウスケ。

 私の彼氏の名前だ。

 その名前を聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。


 一か月ほど前――。

 一緒にアパートで食事をしていたときのことが、脳裏によみがえる。


『親が急病で入院した。事業の資金繰りがどうしても必要なんだ。銀行には断られた。お前しか頼れない。頼む、この通りだ』


 床に額を擦りつけ、土下座までして泣きつかれた。

 私は震える手で、借用書の連帯保証人の欄に自分の名前を書いた。


 そのとき、ヨウスケは私の手を強く握って、こう言ったのだ。


『お前のことが一番大切なんだ。絶対に迷惑はかけない。ダメになっても、両親に土下座してでも工面するから』


 心臓の鼓動が、やけにうるさい。

 同時に、嫌な予感が黒い泥のように胃の底からせり上がってくる。


「彼は……今日は、ヨウスケから連絡がなくて……」


「だろうな。アイツは飛んだ。住所に行ったが、もぬけの殻。電話も繋がらねぇ」


「そ、そんな……!」


 慌ててポケットからスマホを取り出し、電話帳を開いてヨウスケへ発信する。

 呼び出し音がしばらく続いたあと、無機質な応答音が流れた。


「あ、ヨウスケ!」


『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。電話番号をお確かめの上――』


 冷たいアナウンスが、耳に突き刺さる。

 通話を切り、LINEを開く。

 今朝送った『夜、時間空いてる?』というメッセージには、まだ既読がついていない。

 通話を試みても、虚しく呼び出し音が鳴り続けるだけだった。


 頭の中が真っ白になり、力が抜けた指からスマホが滑り落ちる。


「さて。これに見覚えはあるな」


「……はい」


「詐道がウチから借りた金は五千万円。連帯保証人であるお前には、返済義務がある」


「っ。分かり、ました。働いて、返します……」


 そう、言うしかなかった。


「働いて返す――か。立派な心掛けだ。ただ、ウチは他よりもちょっと利息が高くてな」


「利息」


「ああ。ウチはトイチ(十日で一割)で複利だ。

ヤツが借りてから十日経っているから元金含めて五千五百万。利息だけでも五百万を返済出来る宛はあるのか」


 ……うそ。

 複利ってことは、増えた利息を含めた金額に対してさらに一割の利息がかかってくる。

 ヨウスケが借りてから十日経って五千五百万だから。


 二十日後には六千五十万。

 三十日後には六千六百五十五万。


 利息だけで一ヶ月後には、千六百五十五万も支払わなければならない。

 もしも三カ月も返済が滞ったら、一憶一七八九万円……。元金の二倍以上。

 ……無理。

 こんなのまともに働いて返済できるわけがない。


 ――なんで私がこんな目に遭わないといけないの?


 そんな私の感情を見透かしたように、黒慟は言った。


「こんな渡世だ。人はいつか裏切る。

それが現実だ。特に愛しているとは抜かす奴は信用もできやしねぇよ」


「……」


「お前には選択肢がある。

一つはソープでもどこでも好きなところに堕ちて、身を粉にして身体を売る。

元金五千万とトイチの利息が返済できるところだ。少々キツイところだが、安心しろ、きちんと返済計画は立ててやる」


 心臓が早鐘を打ち。

 ヤクザがキツイというからには、かなりの場所なんだろう。

 想像するだけでは吐き気がした。


「もう一つは、ダンジョンに潜ることだ」


「――ダンジョン」


 その言葉に、わずかに指先が跳ねた。

 半世紀前に突如として世界各地に出現した異界の孔。

 孔の中には、凶悪な魔物――ゴブリンやドラゴン――が蔓延る危険地帯だ。

 ただ、その孔の中には、現代科学では到底生み出せない素材や、魔石といったエネルギーの素があった。


「潜るダンジョンは国が管理しているダンジョンじゃない。

悪冥会が管理している『未登録(アンレジスタード)』の高難易度ダンジョンだ。

生存率は一割を切るが、魔石やモンスターの素材を持ち帰る事ができれば、五千万を返すことも不可能じゃねぇ」


 黒慟の目が、私を刺す。


「女を売るか、命を売るか。選べ」


 どうしてこんなことに。

 大学進学のため上京して来て、同じ大学内でヨウスケと出会った。

 初めてできた彼氏で、一緒にいた時のヨウスケの笑顔が脳裏をよぎる。

 あの甘い言葉は、全部私をこの地獄に叩き落とすための餌だったのか。

 自分の間抜けさに悲しみよりも怒りが、そしてヨウスケに対しては、どす黒い殺意が込み上げてきた。

 電柱に止まっていた鴉は、鳴き声をあげながら一斉に飛び立つ。


「……身体を、安売りするぐらいなら」


 私は黒慟を睨みつけながら言った。


「命を賭ける。ダンジョンに行く」


「いいだろう。――なら、今日から潜って貰う」


「今日から!?」


「債務者は一分一秒を惜しんで金を作れ。

人生は突発的な出来事の連続だ。

万全の準備ができて挑めることなんてないんだよ」


 黒慟は言い切る。


「分かった。いけば……いいんでしょう」


 私は黒慟に促されて、近くに停められていた黒のワゴン車の後部座席へ乗せられた。

 そして車はエンジンを吹かして走り出す。

 助手席に座っていた黒慟は、バインダーに挟んだ一枚の用紙を渡してくる。


「それにサインをしておけ」


 用紙には『死亡保険金受取人指定承諾書』と書かれている。

 保険金額の欄には「一億円」と印字されていた。


「お前がダンジョンで野垂れ死んだ時に、死亡保険で債務を相殺するための書類だ」


 これにサインすれば、もう後戻りはできない。

 普通の女子大生としての生活は、今日この瞬間に死ぬことになる。


 ……地元では、普通でいることが許されなかった。

 だからこそ大学では、ただの学生でいたかった。

 けれど、それはもう叶わない。


 力強く、紙が破れんばかりの筆圧で、私はサインをして、黒慟に突き返す。

 黒慟は無言で受取る。


 私は絶対に死なない。

 生きて、借金を返済して、ヨウスケを見つけ出して百倍返しをしてやる!


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