第5話 情報料

目的は第三層ゲート。

第二層の計測は、二分を少し超えたところ。


保線用通路の低い天井の下で、人影が滑り込んできた。


「……撮ってんのか」


声は乾いていて、湿った空気の中でも輪郭だけが残る。


黒いパーカー。無駄のない立ち姿。

手首のブレスレットだけが青白く光っていて、その光が俺の頭の中のランキング表示を叩く。


黒瀬 迅。

渋谷駅第一層、暫定二位。救助点ゼロ。


天瀬のスマホが微かに震えた。握り直したのが分かる。


視界に、容赦なく割り込む。


---


【決断点:02:03】

A:会話して情報を渡す(衝突回避/情報流出)

B:拒否して押し通る(衝突発生/情報保持)


【後悔修正:使用不可(23:53:55)】


---


今日の俺は戻れない。

だから——迷うな。


「撮ってる。だから?」


俺はBを切った。言葉も一緒に切るみたいに。


黒瀬の目が細くなる。縦瞳じゃない人間の目なのに、判定されている感じがした。


「だから、やめとけ。配信でも録画でも、外に流すな。ここはそういう“情報”の場所だ」


「誰が決める」


「上位の連中だ」


上位。連中。

たったそれだけで匂いがした。情報独占。派閥。飯の種。


天瀬が一歩引き、スマホを胸に抱えたまま言う。

「公開する。攻略手順として。真似できれば、死ぬ人が減る」


黒瀬は声を出さずに笑った。


「死ぬ人が減る? 知らねえよ。俺は順位が欲しい。報酬が欲しい。……そのために“遅い奴”のための攻略を撒くのか?」


遅い奴。

現実の俺は、ずっとそっちだった。


でも——ここで遅れたら、本当に死ぬ。


黒瀬が半歩詰めた。狭い通路でそれをやられると、空気が詰まる。


「どけ。……それか、スマホ置いてけ」


天瀬の肩が強張る。


視界がまた割り込む。


---


【決断点:02:09】

A:スマホを守る(タイム↓/情報維持)

B:スマホを捨てて進む(タイム↑/情報喪失)


【後悔修正:使用不可(23:53:49)】


---


スマホを捨てれば、速い。

でもそれは“最短”じゃない。


天瀬がここにいる意味を、俺が潰す。

潰した瞬間、次の分岐で取り返せなくなる。


俺はAを切った。


「触るな」


改札棒(粗)を前に出す。金属の先が、黒瀬の胸の前で止まる。


黒瀬の視線が棒へ落ちて、すぐ戻る。

「その程度で止められると思うなよ」


次の瞬間、黒瀬の身体が“横”に跳んだ。


——速い。


狭い通路なのに、壁を蹴って距離を殺す。

俺の棒が空を切る。


背後。

黒瀬の指が、天瀬のスマホへ伸びる。


「天瀬!」


「わかってる!」


天瀬が身を捻り、スマホを背中側へ隠した。

遅いのも、正しいのも、全部分かってしまう。


俺は迷わず、駅の“仕掛け”へ手を伸ばした。


通路脇。赤い注意札の付いた手動レバー。

**防火シャッターの非常閉鎖**。


駅の設備は、まだ生きている。


俺はレバーを倒した。


ガンッ。


天井から金属の板が落ちてくる。

黒瀬が舌打ちして跳んだ。ギリギリで板の下を潜る。


だがその一瞬で、距離ができる。


「走る!」


俺は天瀬の背中を押し、前へ送った。

天井の低さが、腕を殺す。脚だけで稼ぐ。


後ろで金属が擦れる音。

黒瀬がシャッターを押し上げようとしている。力がある。速いだけじゃない。


「蓮、判定線、もうすぐ!」


天瀬の声。

俺の目にも見えた。


通路の先。青白い線が、空間を切っている。

駅の改札みたいに、見えないはずの境界が“見える”。


——通行判定。


線へ近づいた瞬間、視界にウィンドウ。


---


【SYSTEM:通行判定】

【判定対象:救助点(累計)】

【判定基準:7】


【あなたの救助点:7】

【結果:通行許可】


---


息が詰まる。


……ギリギリだ。


母親と子ども。改札に挟まった男。車両に閉じ込められた二人。

あの“寄り道”が無ければ、俺はここで弾かれていた。


最短は、速さだけじゃ成立しない。


俺は線を踏み越えた。

抵抗はない。水面みたいな冷たさだけが足首を撫でる。


天瀬も続く。


背後で足音が迫る。


「待て!」


黒瀬が線へ突っ込んだ——瞬間。


バンッ、と空気が破裂したみたいな音がして、黒瀬の身体が弾き返された。

壁に背中を打ちつける鈍い音。


「……っ、クソ!」


黒瀬が歯を食いしばる。

線の向こう側にいる俺たちへ、憎悪みたいな視線を投げた。


「救助点、稼いだのか。……そういうことかよ」


天瀬がスマホを構え直す。震えてるのに、止めない。

「記録する。『通行判定は救助点7』。これで、救うルートが見える」


黒瀬の表情が歪む。

「やめろ。……それ、上が許さない」


黒瀬が低い声で続けた。


「改札獣、倒したなら券が出る。……持ってんだろ。通行券」


懐の紙の硬さが、逆に存在を主張する。


視界に最後の分岐。


---


【決断点:02:41】

A:通行券を渡す(衝突回避/最短喪失)

B:渡さず進む(衝突継続/最短維持)


【後悔修正:使用不可(23:53:17)】


---


Aを切れば、目の前の衝突は消えるかもしれない。

でもそれは、未来の分岐を削る。


俺はBを切った。


「持ってると思うな」


嘘を吐く感覚が、どこか他人事だった。

後悔蓄積のせいで、罪悪感の温度が薄い。


黒瀬が笑う。

「そうかよ。じゃあ——覚えとけ。お前らの攻略、潰す」


脅しは、脅しじゃない。

上位が組めば、それは現実になる。


でも今は——進む。


俺は踵を返した。

線の向こう側は、空気が少し澄んでいる。


信号所へ続く梯子があった。


「天瀬、撮るのは後だ。今は登れ」


「了解」


梯子を上る。錆の匂い。指に鉄の粉がつく。


上は、小さな信号所だった。

壁一面にレバー。古い盤。赤と青のランプが点滅している。


盤の奥に、青白い膜。


【渋谷駅 第三層ゲート】


——ゴールが見えた。


だが、盤の陰から黒いものが這い出した。

ケーブルみたいに細い影が束になり、レバーへ絡みつく。


絡みついた瞬間、ランプの色が一斉に赤へ変わった。


赤い点滅が、部屋全体を“警告”で染める。


視界に表示。


---


【SYSTEM:敵性存在を確認】

【名称:信号喰い(中)】

【危険度:C】

【特性:警告灯誘導/進路封鎖】


---


進路封鎖。

こいつも“分岐”の親戚だ。


天瀬が息を呑む。

「蓮、ゲート、あそこ……!」


「分かってる。赤を消す」


盤のレバーには番号が振ってある。

俺の脳が勝手にマップを組む。信号。切り替え。挟み込み。


——なら、挟める。


俺は右端のレバーを掴み、倒した。


ガコンッ。


盤の奥で機械が唸る。

影が、その動きに引っ張られて伸びる。


次のレバー。逆方向。


ガコンッ。


影が、二本のレバーの間で張られた。


「切る!」


改札棒で叩き落とす。

影がちぎれ、赤い点滅が一つ消える。


だがまだ、束が残っている。


視界に二択。


---


【決断点:03:05】

A:信号喰いを処理してからゲートへ(安全↑/タイム↓)

B:無視してゲートへ突入(タイム↑/被弾リスク↑)


【後悔修正:使用不可(23:52:53)】


---


今日の俺は戻れない。


Bは速い。でも被弾したら終わる。

ここで死んだら、救助点も記録も全部ゼロだ。


俺はAを切った。


「二十秒で終わらせる」


天瀬が短く頷く。

「数える。……二十まで」


影がレバーへ飛びつく。

俺は盤を使って“噛ませる”。レバーで挟んで、棒で叩く。


挟んで、叩く。

挟んで、叩く。


赤が、消えていく。


最後の束がちぎれた瞬間、影は霧になって床へ落ちた。


---


【討伐:信号喰い(中)×1】

【後悔蓄積:+0】


---


赤い点滅が止まり、盤のランプが青へ戻る。

空気の圧が抜けたみたいに、部屋が静かになった。


「行くぞ」


俺は第三層ゲートへ走った。


踏み抜く直前、梯子の下——通行判定線の向こうで、黒瀬が隔壁を叩いている音が遠く響いた。


「蓮!」


天瀬の声に頷くだけで返し、膜へ飛び込む。


青白い膜の向こうへ、現実が切り替わる。


---


【SYSTEM:渋谷駅 第二層 踏破】

【クリアタイム:03:27.84】

【救助点:7】

【暫定順位:集計中】


---


膜の向こうは、さらに暗い。

駅の匂いが消えて、代わりに湿った土と、焦げた電気の臭いがした。


視界に、再びタイマー。


---


【SYSTEM:渋谷駅 第三層 攻略開始】

【計測開始:00:00.00】

【踏破条件:第四層ゲートへ到達】


---


最初の決断点が、五秒で出た。


---


【決断点:00:05】

A:階段を上る(最短)

B:保守通路へ降りる(安全)


【後悔修正:使用不可(23:52:21)】


---


迷うな。


だが背中に——“人間の視線”が残っている。


黒瀬 迅。

あいつは、遠回りでも追ってくる。


そして今度は、“通行判定”じゃ止められないかもしれない。

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