第4話 分岐喰い
目的は第三層ゲート。
第二層の計測が始まって、まだ五秒。
線路へ足を出しかけて——止まった。
油と鉄の匂いが濃い。そこに湿った土の匂いが被さって、肺の奥が重くなる。
止まった車両の窓には黒い霧が溜まり、その内側に縦の瞳が点々と浮いていた。
見られている、というより——判定されている。
視界の中央に、透明なウィンドウが割り込む。
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【決断点:00:05】
A:ホームを横断する(最短)
B:連絡通路を探す(安全)
【後悔修正:使用不可(23:55:58)】
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安全はB。分かってる。
でもBは「探す」だ。探すって行為は、迷いを生む。
——迷った瞬間に、人は死ぬ。
それを俺は、もう一度見ている。
改札棒(粗)を握り直す。金属の冷たさが、指先の感覚だけを立たせた。
「Aで行く」
天瀬が息を呑む。
「……横断?」
「ただし条件がある。光を切れ」
「え?」
「瞳が反応してる。ライトは餌だ」
天瀬がフラッシュを切り、画面の明るさを落とす。
それだけで窓の縦瞳が、ほんの少し“薄く”なった気がした。
「走り方も変える。レールは踏むな。枕木だけだ」
「枕木……了解」
俺は線路へ降りた。
駅の床じゃない。硬いのに湿っていて、足裏から嫌な冷たさが這い上がる。
一歩目。二歩目。
枕木の中央だけ踏む。端は避ける。ボルトの錆は滑る。
線路に触れれば音が出る。音は呼び鈴になる。
視界の端で、縦瞳が揺れた。
——来る、と思った瞬間。
カチ、カチ、と乾いた音。
足元の分岐器。ポイントが勝手に動いている。
鉄の舌が左右へ切り替わるたび、空気が区切られる感覚がした。
「蓮!」
天瀬の声より先に、黒いものが線路の隙間から盛り上がった。
口。
二股に割れた鉄片そのものが口みたいに開き、俺の足首へ噛みつこうとする。
視界に表示。
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【SYSTEM:敵性存在を確認】
【名称:分岐喰い(小)】
【危険度:D】
【特性:進路干渉/足止め】
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分岐を喰う。
この世界は、俺の弱点を正確に撫でてくる。
噛まれる前に、改札棒を突き下ろす。
乾いた金属音。だが芯を捉えていない。外殻だけだ。
分岐喰いの開閉が速くなる。カチカチカチ。
その音に合わせて、窓の縦瞳が一斉にこちらへ向いた。
——増える。
「天瀬、耳塞いで! 今からデカい音が出る!」
「了解!」
俺はポイント脇の箱を見つけた。黄色いレバー。転轍機。
駅の設備には、まだ“動くもの”がある。
レバーを掴み、体重をかけて倒す。
ガコンッ。
鉄の舌が動く。
分岐喰いの胴体——黒い塊が、その間に挟まった。
声じゃない。摩擦の悲鳴みたいな音が走り、黒が薄く伸び、ちぎれて霧になる。
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【討伐:分岐喰い(小)×1】
【後悔蓄積:+0】
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息を吐く。
怖い、とは思わない。達成感もない。
「処理が終わった」それだけが残る。
天瀬が震える声で言う。
「今の、言語化する。『ポイントレバーで挟殺』」
「書け。あと——“音を出すと寄る”も」
俺は走り出した。枕木だけを踏む。
目線は遠く。ゴールだけ。
案内板の文字は黒く潰れて読めない。なのに矢印だけは白く浮いていた。
誘導されているみたいで、気持ち悪い。
進む先、止まった車両の間に細い通路。
その奥から、かすれた声がした。
「た、助けて……! ここ……出られない……!」
半開きのドア。引っかかって動かない。
中に二人。スーツの男と、制服姿の駅員らしい中年。駅員の額から血が流れている。
第二層に入って初めて聞く“人の声”が、縦瞳より重い。
視界が勝手に割り込む。
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【決断点:01:12】
A:救出して保護する(救助点↑/タイム↓)
B:無視して進む(タイム↑/救助点↓)
【後悔修正:使用不可(23:54:51)】
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Bを切れば速い。
でもBを切った瞬間、俺は今日ずっとこの声を持ち歩く。
明日、後悔修正が戻ったら——この分岐を直すしかなくなる。
それは“最短”じゃない。未来の選択肢を潰すだけだ。
俺はAを切った。
「救う。三十秒で終わらせる」
駅員が呆然と呟く。
「……三十……?」
「数えるぞ。ドアは押すな。引け。引けないなら外す」
ドア脇の非常コック。現実と同じ位置に赤いレバーがある。
引く。
カシュン、と空気が抜ける音。
抵抗が消え、ドアが引けた。
——その瞬間。
車内の黒い霧が、生き物みたいに外へ這い出してきた。
喉の奥が冷える。呼吸ができなくなる感覚。
目に見えるのに、手を伸ばすのが本能で嫌になる。
「天瀬、近づくな! 画面だけで撮れ!」
天瀬が一歩下がりながら頷く。
俺は息を止め、改札棒で霧を押し戻す。
抵抗がない。ないのが怖い。触れた場所から皮膚の温度だけを奪ってくる。
駅員の腕を掴む。
スーツの襟を掴む。
「出ろ!」
二人を引きずり出す。
霧が足首へ絡む感覚がして、背筋が跳ねた。
——切る。
改札棒を振り下ろし、絡んだ霧ごと床へ叩きつける。
霧が散る。散った一瞬で二人を通路へ押し出した。
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【救助点:+2】
【同行者:一時保護】
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駅員が咳き込みながら言った。
「……光と音に寄る。……目のやつ……。ありがとう……」
「保護できる場所は?」
駅員が震える指で、車両の先を示す。
そこに、青い縁取りの扉があった。乗務員室。
俺は二人の背中を押す。
「そこだ。入れ。扉を閉めろ。音を立てるな」
扉の縁が強くなり、内側の空気が押し返すように澄む。
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【セーフポイント:乗務員室】
【収容可能:3名】
【効果:侵入不可/簡易回復】
【注意:踏破条件の進行には寄与しません】
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二人が転がり込むのを確認して、俺はすぐ踵を返す。
セーフポイントに留まる時間はない。
駅員が扉の隙間から、必死に叫んだ。
「第三層ゲートなら……信号所の奥だ! でも途中に“通行判定”がある! 通れないと……遠回りになる!」
通行判定。
改札獣の気配が、背中に貼りつく。
天瀬が言う。
「券、使う? さっきのドロップ」
俺は懐の通行券を指で確かめた。紙なのに硬い。
その瞬間、ウィンドウが開く。
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【アイテム:通行券(渋谷)】
【効果:渋谷駅内部の“通行判定”を一度だけ無視する】
【消費型】
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一度だけ。
その“一度”をどこで切るかで、全体のタイムが決まる。
——スピードランは、鍵の使い所が全部だ。
俺は言った。
「温存する。判定が一回で済む保証がない」
天瀬が小さく息を呑む。
「最短を捨てる?」
「最短を守るために捨てる」
矛盾してる。でも俺の中では一本の線で繋がっている。
俺たちは信号所へ向かう矢印を追い、床の点検口へ滑り込んだ。
保線用通路。線路の下。
臭いが変わる。錆と水と土。
天井が低く、肩が擦れる。音が吸われる。
瞳が見えないのが、逆に不安だった。
曲がり角。
そこに、新しい足跡があった。
——誰かいる。
次の瞬間、通路の先が白く裂けた。
人影が滑り込む。背が高い。黒いパーカー。動きが無駄なく速い。
俺たちを見るより先に、天瀬のスマホへ目を向けた。
「……撮ってんのか」
声が冷たい。
手首の光るブレスレットが、ランキングの名前を頭の中で叩いた。
黒瀬 迅。
天瀬が小さく息を吸う。
「蓮……上の……」
視界が勝手に割り込む。
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【決断点:02:03】
A:会話して情報を渡す(衝突回避/情報流出)
B:拒否して押し通る(衝突発生/情報保持)
【後悔修正:使用不可(23:53:55)】
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今日の俺は戻れない。
だからこそ——迷うな。
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