第3話 改札獣

「最短は、Aだ」


言い切った瞬間、通路の闇が軋んだ。


改札獣が立ち上がる。

背中の突起——改札のバーみたいな骨が一本ずつ持ち上がり、カチ、カチ、と音を立てて開閉した。


そのたびに空気が“区切られる”。

目に見えない柵が、通路に刺さってくる感覚。


視界の中央に、透明なウィンドウ。


---


【SYSTEM:敵性存在を確認】

【名称:改札獣(中)】

【危険度:C】

【特性:通行判定/遮断】


---


今日の俺は、戻れない。

後悔修正は——まだ遠い。


だから、一撃も受けられない。


俺は走りながら壁を見た。

赤いケース。白い文字。


「消火器、取る。天瀬、ライト!」


「了解!」


天瀬のスマホが白く光る。

闇に浮いた縦瞳が、その光に細く反応した。


俺は消火器を引き抜き、ピンを抜く。


シューッ。


白い粉が噴き出し、闇を塗り潰す。

改札獣が顔を振り、背中のバーを振り下ろした。


バーが床に刺さる。

次の瞬間、通路が狭まった。柵が立ったみたいに。


——狭まるなら、角ができる。


俺はその角へ、斜めに切り込む。

柱を背にして、バーの外側へ回り込み、粉の幕の中へ潜った。


口元から垂れている紙片が揺れた。

切符みたいなそれが、白い粉の中でやけに目立つ。


「そこだ」


俺は折り畳み傘の中棒を突き立てた。


紙に刺さる感触じゃない。

根元——黒い核に刺さった。


「ギィィ——ッ!!」


改札獣がのたうち、刺さったバーが震える。

空気の柵が崩れ、通路が開いた。


俺は傘を抜かない。

抜いたら、こいつが生き返る気がした。


代わりに、ねじった。


音が割れて、改札獣が霧にほどける。

床に残ったのは、白い粉と、二つの落下物。


薄い通行券。

折れた改札棒。


---


【討伐:改札獣(中)×1】

【ドロップ:通行券(渋谷)】

【ドロップ:改札棒(粗)】

【後悔蓄積:+0】


---


拾い上げようとした瞬間、天瀬の視線が横へ跳ねた。


「蓮、あれ……!」


自動改札の陰。

床に刺さったバーが抜けずに残っていて、簡易な柵みたいになっている。


その柵の向こうで、人が倒れていた。


「た、助けて……! 足、挟まって……!」


男の脚が、刺さったバーと改札機の隙間に噛まれている。

血が滲んでいた。


第二層ゲートは目の前だ。

通行券を差し込めば、第一層は終わる。


でも——第二層へ行ったら、戻れないかもしれない。

置いたら、また同じ声が頭に残る。


視界に、容赦なく浮かぶ。


---


【決断点:03:06】

A:救出してからゲートへ(救助点↑/タイム↓)

B:ゲートへ直行(タイム↑/救助点↓)


【後悔修正:使用不可(23:56:44)】


---


天瀬が小さく言った。


「……倫理担当としてはA。あなたがどう選ぶかも、記録する」


タイマーを見ないようにして——見た。

秒が走っている。止まらない。


でもここでBを切ったら、俺は今日ずっとこの声を聞く。

明日、後悔修正が戻っても、この分岐を直すしかなくなる。

他の分岐を救う余地が、潰れる。


それが、“最短”か?


俺はAを切った。


「救う。十秒で終わらせる。数えるぞ」


男の肩が跳ねる。

「じゅ、十秒……?」


「動けるなら動け。叫ぶな。犬を呼ぶ」


俺は改札棒(粗)を掴み、噛まれた隙間へ差し込む。

てこの原理。支点と力点。


「——上げる」


体重を乗せた瞬間、ギリッと金属が鳴った。

男が歯を食いしばる。


隙間ができる。


「抜け!」


男が脚を引き抜き、転がるように外へ出た。

俺は腕を掴んで引き起こす。


---


【救助点:+1】

【状態:救出】


---


一。たった一。

でも数字が増えた。


「駅員室がセーフポイントだ。光の縁がある扉。そこまで戻れ。——走れるか」


「は、はい……!」


男が足を引きずりながら走り出す。


天瀬が男の背中へ叫んだ。

「そのまま真っ直ぐ! 扉、光ってるところ! そこに人がいる!」


母親と子ども。

一人よりマシだ。声があるほうが、生き残る確率は上がる。


俺は通行券を握り、第二層ゲートへ走った。


差し込む。


カチ、と硬い音。


青白い膜が開く。現実に“切れ目”が入るみたいに。


---


【SYSTEM:渋谷駅 第一層 踏破】

【クリアタイム:03:39.12】

【救助点:5】

【暫定順位:41位】


【第一層 基準:3(達成)】


---


順位は落ちた。

でも、救助点は上がった。


天瀬が息を吐く。

「今の判断、残す。『十秒救出→通行』。真似できたら、死ぬ人が減る」


感情は薄いままだ。

怖いとも、達成感とも違う。


ただ——“処理”が積み上がっていく。


ランキングが表示された。


---


【渋谷駅 第一層 攻略タイムランキング(暫定)】

1位:??? 01:38.22 救助点:0(減額)

2位:黒瀬 迅 01:59.07 救助点:0(減額)

3位:白石 里奈 02:24.10 救助点:2(減額)

……

41位:蓮 03:39.12 救助点:5


---


速いだけのやつが、上にいる。

救助点ゼロで、減額を背負って。


天瀬が言う。

「ブレーキ、効いてる。……でも、上はそれでも速い」


「なら、速さも救助も——最短で両立する」


言葉が冷たい。

冷たいまま、正しいことを言っている気がして、余計に嫌になる。


視界の端に、無慈悲な表示。


【後悔修正:次回使用可能まで 23:56:05】


——戻れない。


なら、積み上げるしかない。


俺は改札棒を握り直し、第二層ゲートを踏み抜いた。


青白い膜の向こう、匂いが変わる。

油と鉄と、湿った土。


視界が開けた。


そこはホームだった。

けれど線路が二本じゃない。何十本も、蜘蛛の巣みたいに分岐している。

止まった電車の窓の内側に、黒い霧が溜まっていた。


滴る音。

そして、線路の間を這う影。


天瀬が息を呑む。

「……次の目的は?」


視界に、またウィンドウ。


---


【SYSTEM:渋谷駅 第二層 攻略開始】

【計測開始:00:00.00】

【踏破条件:第三層ゲートへ到達】


【決断点:00:05】

A:ホームを横断する(最短)

B:連絡通路を探す(安全)


---


タイマーが、再び走り始めた。


俺は線路へ足を出しかけて——止まった。


影が、こちらを向いた。

縦の瞳が、何十個も。

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