第3話:名簿の余白

筆音が夜ごと耳に残るようになってから、私は奇妙な癖を持つようになりました。

就寝前、必ず自分の手や指を確かめるのでございます。皮膚が減ってはいないか、爪の形が変わってはいないか——理由は分からぬまま、そうせずにはいられなかったのです。


ある日の講義後、塾監より書生名簿の整理を命じられました。

古い帳面を蔵から運び出し、埃を払いながら頁を繰っておりますと、例の先輩の名が目に留まりました。


名の横には、細い墨で書き添えられた文字がございます。


——「未返却」


何を返していないのか。

塾の蔵書か、学費か、それとも——。


不意に、帳面の余白が目につきました。

本来なら何も書かれていないはずの空白に、私の見覚えのある筆致が、うっすらと残っていたのでございます。


それは、私自身の字でした。


——「代リニ 書ク」


背筋に冷たいものが走りました。

私はこの帳面に、そのような書き込みをした覚えは一切ございません。


その晩、寮に戻ると、机の上に名簿の切れ端が置かれておりました。

昼に扱っていた帳面の、余白部分だけが、きれいに切り取られていたのです。


そこには、さらに続く文字がございました。


——「名ヲ 置イテ 行ケ」


意味が分かった瞬間、喉が鳴り、声が出ませんでした。

名とは、名簿に記される名。すなわち、存在の証でございます。


夜半、廊下を歩く足音が聞こえました。

ゆっくりと、しかし確かに、私の部屋の前で止まります。


戸の向こうで、紙を繰る音がいたしました。

まるで誰かが、名を探しているかのように。


私は息を殺し、布団の中で身を固くしておりました。

硯と筆が、机の上で、同時に小さく鳴ったことを、今も忘れることができません。


——次は、誰の名が消えるのか。

その答えが、私自身である可能性を、この夜、初めて悟ったのでございます。

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