続プロローグ:洗脳か、はたまたそれ以外か

 捜査本部の朝は、コーヒーの匂いと、紙の擦れる音で始まる。

 半田はファイルを机に落とし、ページをめくった。

 連続殺人。証拠なし。被害者は“善人”ではない。

 そして何より――被疑者は黙秘している。

「……詰みかけてるな」

 

誰に言うでもなく呟くと、隣で若い刑事が咳払いをした。

「半田さん。九条巡査補の心理鑑定が始まります」


「分かった。俺も行く」


「え、立ち会うんですか?」


「立ち会う。あの子は直接Aに接触している。彼女の記憶は事件解決の重要な糸口になりうる。」

 半田は椅子を引いて立ち上がった。

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 ◆鑑定室

 病院の小さな部屋は、妙に静かだった。

 白い壁、柔らかい照明、机と椅子。

 九条は毛布を膝にかけたまま座っている。頬はまだ少し青い。


「九条さん、今日はお話できる範囲で構いません」

 担当医が穏やかに言う。


 半田は壁際に立ち、腕を組んで黙っていた。


「……はい」

 九条は頷いたが、視線が揺れている。

 眠れていない目だ。


「まず、誘拐・監禁の経緯を、覚えているところから」


 九条は息を吸い、吐いて――言葉を探す。

「……路地で、男の人たちに……」


「暴力は?」


「……ありました」

 そこで一度、口を閉じる。


 医師が促す。

「その後、“助けに入った人物”は?」


 九条の指が毛布を握りしめた。

「……女の人」


「特徴は?」


「……背が高くて……声が……落ち着いてて」


「名前は?」


「……」

 沈黙。

 半田はそこで、背筋がひやりとした。

 昨日、現場で見た女が重なる。


「名前は、言いましたか?」

 医師が続ける。


 九条は首を振る。

「……名乗らなかったと思います」


「“思います”?」


「……はっきりしなくて」


 半田は思う。

 “はっきりしない”のは記憶の問題か、それとも判断の問題か。


「その女性は、あなたに命令しましたか?」


「……命令……」

 九条は眉を寄せ、ゆっくり首を振った。

「……してない、です」


 医師は淡々と確認する。

「脅迫は?」


「……してない」


「恐怖で支配する言い方は?」


「……違う、と思います」

 九条の声は小さいが、そこは妙に確信がある。

 半田はそこで一つ、嫌な確信を持った。

 洗脳なら、もっと分かりやすい。

 催眠なら、もっと乱暴だ。

 でもこれは――。


「あなたはその女性を、警察に話そうと思いましたか?」

 医師の問いに、九条が凍った。


「……」

 喉が動く。唇が震える。

 そして、かすれる声が出た。

「……分からないです」


「分からない、とは?」


「……話すべきだって、思うのに」


 九条が目を伏せる。

「……口にすると……何かが……違う気がして」


 医師は、視線を半田に向けずに言った。

「“違う”とは、事実と違う? それとも――」


「……私が、悪いことしてる、みたいで」


 半田の眉が僅かに動く。

 ――それは、”被害者”の言葉じゃない。

 医師は慎重に続ける。


「その女性は、あなたに“秘密にしろ”と言いましたか」

 九条は首を振った。

 ただ、困ったように言う。


「……でも……」

「でも?」


「……『正確に話す必要はない』って」

 半田の胸の奥で、何かが噛み合う音がした。

 命令じゃない。

 脅迫じゃない。

 ただ、罪悪感を避ける逃げ道を差し出している。

 ――歪んでる。


 医師が問いを変える。

「あなたはその女性に好意を抱きましたか?」


 九条の耳が、みるみる赤くなった。

「……っ」


「……九条さん?」


「……わ、分からないです!」

 思わず声が大きくなる。

 九条は慌てて口を押さえ、深呼吸した。

「……助けられたから……そう思っただけかも……」


 医師は頷く。

「吊り橋効果という言葉を知っていますか」


「……知ってます」

 九条は小さく答えた。

 半田は、九条がそれを“理解しているのに抗えない”ことに、嫌な予感を覚える。


 医師が、最後に一つだけ問う。

「あなたは、その女性が“悪人”だと思いますか」


 九条は即答できなかった。

 ――思うべきだ。

 警察官なら、そう言うべきだ。

 だが、九条の口は動かない。

 沈黙の中で、九条は泣きそうな顔をした。

「……分からないです」


 同じ答え。

 医師はペンを置き、静かに告げた。

「本日はここまでにしましょう」

 九条は小さく頭を下げた。


【極秘】

心理鑑定結果報告書①

対象者:九条 巡査補

鑑定担当医:***

提出先:捜査本部(半田)

作成日:プロローグ終了時点

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■ 鑑定実施理由

• 誘拐・監禁被害

• 殺害未遂(第三者による)

• 被疑者Aとの直接接触

• 被疑者に対する供述の曖昧さ

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■ 現在の精神状態

• 意識清明

• 見当識良好

• 記憶障害なし

• 急性ストレス反応:中等度

• 不眠・反芻傾向あり

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■ 記憶・供述の特徴

• 状況・感覚(声、距離、雰囲気)は明確

• 人物の断定(名前・評価)を避ける傾向

• 「怖かったが、すべてが恐怖ではない」という混在評価

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■ 洗脳評価(暫定)

• 強制的洗脳・催眠の所見は認められない

• 命令・脅迫による支配の痕跡なし

• 一方で、以下の影響が考えられる:

 o 吊り橋効果による安心感の誤帰属

 o 「正確に話さなくてよい」という許可による判断の歪み

 o 被疑者Aの態度による評価保留

※現時点では

洗脳と断定する根拠は不足

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■ 対象者の自己評価(抜粋)

• 「助けられたと思ってしまった」

• 「話すべきなのに、口にすると違う気がする」

• 「自分が選んだのか、分からない」

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■ 危険性・対応方針

• 被疑者Aへの依存傾向:低〜中(未固定)

• 再接触時の心理的影響:不明

• 推奨対応:

 o 現場対応からの一時除外

 o 継続的カウンセリング

 o 判断の言語化を急がせない

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■ 半田 手書き追記

洗脳なら簡単だ。

だが、これは違うかもしれない。

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天才犯罪者×ぽんこつ警官カップリングは癖です ミヤザキ @miyazaki_01

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