第15話 黒い服の男 羽生晴花

 とある、病院でのことです。

 病院・・・・・・という場所は、私はあまり得意ではありません。けれど、その病院は海風のせいか潮の香りがほんのりと満ちていて、清涼な空気が感じられました。留まる霊もほとんどおらず、病院とはいえ、私でも行きやすいところでした。そこに、私は何度か知人のお見舞いに通っていたんです。

 二度目に行った時に、知人の隣の部屋の扉の前に、男の子がうずくまっていました。

 猫のように扉の前に丸くなっていたんです。黒い服を着ていました。

 病院に行く時は、黒い服は避けるものです。不幸が現実となってしまった場合でも、あからさまな服装はしないものでしょう?  他の患者さんと会うような場所では。

 なのに、その子は全身黒づくめ。明らかに、喪服として用意された服装でした。けれど、その子は患者さんの家族ではない。それは、生きた人ではありませんでした。

「どうしたの? お兄ちゃん」

 通りかかった看護師さんがその子に声を掛けました。私は、立ち止まってしまっていました。その子のいる場所の向こうに、 知人の病室があるんです。けれど、その子に近づくことができませんでした。

 子供は、むくりと起き上がりました。うつむいたままで。そうして、ぼそりと呟きました。

「ここの部屋の人、死んじゃった」

と。そうして、すぅっと、消えてしまいました。

 看護師さんは一度私の方を見て、それから、その病室へ入って行きました。私は動けずにその場で待ちました。看護師さんはすぐに出てきて、私をちらりと見、何も言わず小走りに廊下を駆けていかれました。

 私は、細く扉が開いたままの、その部屋の前へ行きました。

 中から、あの子供の気配がしたのです。

 子供は、その場にいました。

 個室の患者さんの、おなかの上にまたがって。

 子供は、私を見ていました。そうして、言ったんです。

「死んじゃったよ」と。そして、先ほどと同じように、消えてしまいました。

 同時に、患者さんから抜け出していくものが見えました。本当に、亡くなられていたんです。

 私は、看護師さんが戻る前に、知人の部屋へ行きました。

 私が五度目に訪ねた時、ちょうど、救急車が着くのに行きあいました。

 患者さんが運ばれてくる直前、自動ドアが開いて、黒い服を着た青年が先に入ってきました。一度閉じて、それから救急隊が入って来たのです。

 あれはあの子だ。

そう、私は思いました。病室の前で丸くなっていたあの、黒い服の男の子です。その子が成長した姿。そう、思えたんです。子供の姿の時から、一ヶ月も経っていなかったのに。

 私は、彼に構おうと思ったわけではありません。けれど、わざわざこちらの行動を変えようとはしませんでした。彼は私が進む方向へと先立って歩いて行きました。私はエレベーターに乗りました。知人がいる階に着くと、彼は階段がある方から現れました。そして、一人部屋の一つに入って行きました。扉を開けもせずに。

 知人を見舞って帰る時、黒服の青年が入った一人部屋に、患者さんが運ばれて行くのを見ました。

 救急車の患者さんに付き添っていた方が付いてきていました。手当てを終えて病室に運ばれるところだったのでしょう。

 中では、彼が待っていました。

 お医者さんも看護師さんも、彼が見えていなかったようです。

 彼は、ただじっと、患者さんをみつめていました。

 次に病院を訪ねた時、その病室に患者さんは誰もいませんでした。運ばれた方が大部屋に移った可能性はもちろんあります。でも、 私にはそうは思えなかったのです。それで、知人に尋ねてみました。前回訪ねた折に運ばれた患者さんはどうしたのか、と。

 知人によれば、夜中に人の気配が増えたので多分その頃亡くなったのだろうと言っていました。その部屋は翌朝にはもう空になっていたそうです。

 知人が退院する少し前に、また、病院へ行きました。

 海風が廊下を通っていました。空気は潮の香りに満たされて、それでも清涼な雰囲気で。

 けれど、私は、あの男の気配をみつけてしまいました。

 ナースステーションのすぐ近くの一人部屋。場所からしても、重症の患者さんがいるはずの部屋です。

 少し、迷いました。

 けれど、面会謝絶のその部屋に、私は入りました。

 中には、眠っている患者さんと、奥様らしいつきそいの方と、あの男がいました。

 また、姿が変わっていました。成長・・・・・・していたのです。もはや青年ではなく、冷えた瞳の中年の男。黒い服は、洋服ではなく黒い着物でした。たった一枚だけを身に纏い、黒い腰紐を結んで。

 胸もはだけ、足元もはだけて白い足が見えていました。素足のまま床を踏みしめて、彼は、大鎌を手に、立っていたのです。

 奥様が不審そうに私に何か尋ねましたけれど、応える余裕はありませんでした。奥様に彼は見えていないのです。私は知人のための花束を患者さんのベッドの足元に置き、数珠をとりました。

 彼から目を離さずに。彼は、私が部屋に入った時から、私を見ていました。なんの感情もうかがえない、冷たい瞳で。

 数珠を見て、奥様が慌てて立たれました。怒って私を追い出そうとされましたけれど、私は足を踏みしめ、彼を睨み返していました。彼は、そんな私を見て、薄く笑いました。確かに、笑ったのです。

 私が動かないので、奥様は部屋を出て看護師さんを呼ばれました。

 その声を聞きながら、私は男の目を見返していました。男は、少し、苦しそうでした。それなのに、笑っていました。

 駆けつけた看護師さんの一人が私を部屋から出そうとし、もう一人の看護師さんがそれを止めました。彼女には、彼が見えたのです。

 男は、大鎌の柄を床につき、それを支えに立っている。それでも、薄笑いを浮かべて私を見ていました。

 長い長い大鎌の柄にすがって、少しずつ、腕が下がっていく・・・・・・。私は見返し続けました

 膝をつく直前。

 彼は、消えました。

 ぱさりと、かすかな音がしました。

 彼がいた場所には、細かな灰が落ちていました。

 私は、奥様に謝り、看護師さんにお断りしてその灰を持ち帰りました。彼を見ることができた看護師さんのおかげで面倒なことにならず済みましたけれど、本当は知人が退院する日にも伺う予定でしたが、それはやめにしました。

 持ち帰った灰は、分析できるツテのある他の知人に預けました。後日、その灰から血液が検出されたと聞きました。

大鎌に黒服といえば死神ですけれど・・・・・・。私に、そんな強力なはずの者を除霊する力はありません。思いがけずにらめっこになりましたけれど、私は視えるだけの霊能者で、それをどうこうすることはできないのです。

 その、証拠に。

 新聞で、交通事故の死亡記事を読みました。

 大鎌を振り下ろされようとしていた患者さんの部屋の、表に出ていたネームプレートの名前。病院を退院したばかりの患者さんが、ハンドブレーキを引き忘れた無人の車に、病院のロータリーではねられ、死亡したという、記事でした。


 語り終えると、語り部は一本の蝋燭の火を消した。


『百物語が終わるまで』

https://kakuyomu.jp/works/822139841307342761

の作中話は800字程度に縮小させました。よろしければ本作もお読みいただけますと幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る